第82話 植物が記憶する世界
第82話 植物が記憶する世界
ルミエールと蒼真が魔法植物研究発表の会場に入ると、空気が変わった。
屋台通りの賑やかさや、体験ブースの楽しげな声とは違う。
ここには、静かな熱があった。
中央研究展示ホール。
高い天井からは淡い緑色の魔法灯が吊るされ、壁際には魔法植物の標本や、葉脈を拡大した図、魔力測定用の水晶器具などが並べられている。
会場には生徒だけではなく、教師や外部研究者らしき大人の姿も多かった。
貴族らしい身なりの来客もいる。
誰もが手元の資料を見たり、展示物を覗き込んだり、発表台へ視線を向けたりしていた。
「思ったより本格的なんだな」
蒼真が呟くと、隣のルミエールが頷いた。
「植物祭の研究発表は有名なのよ。特に上級生の発表は、外部の研究者も見に来るくらい」
「祭りというより、学会みたいだな」
「がっかい?」
「ああ……研究発表会みたいなものだ」
「なるほど。蒼真さんの世界にも似たものがあるのね」
ルミエールはそう言いながら、少しだけ胸元のイヤリングに触れた。
先ほど蒼真が贈った、小さな光る花のイヤリングだ。
金髪の横で淡く揺れ、彼女の表情をいつもより柔らかく見せている。
蒼真はその横顔を見て、少しだけ目を逸らした。
ルミエールが気づいたのか、くすりと笑う。
「どうしたの?」
「いや、似合ってると思って」
「……もう一回言われると、少し照れるわね」
「一回目だったか?」
「心の中では何回か言ったでしょう?」
「それ、セレナにも言われたな」
その瞬間、ルミエールの目が細くなった。
「へえ」
「……失言だったか?」
「少しだけ」
ルミエールはにっこり笑った。
けれど、笑顔の圧が少し強い。
蒼真は話題を変えるように、発表台へ視線を向けた。
ちょうど司会の生徒が壇上に上がるところだった。
「それでは、次の発表に移ります」
会場のざわめきが少しずつ静まる。
「次の発表者は、植物研究会副代表、二年生――エルミナ・リーフグレイスさんです」
その名前が告げられた瞬間、会場の空気がわずかに変わった。
ただの拍手ではない。
期待。
注目。
それから、少しの緊張。
周囲の大人たちも、手元の資料から顔を上げる。
蒼真はその反応に気づいた。
「……有名なのか?」
小声で聞くと、ルミエールは当然のように頷いた。
「かなりね」
「そうなのか」
「知らないの?」
「植物施設で会っただけだからな」
ルミエールが一瞬、こちらを見た。
何か言いたそうにしたが、ちょうど壇上にエルミナが現れたため、言葉を飲み込んだ。
緑色の長い髪。
柔らかな雰囲気。
長い耳。
エルミナ・リーフグレイス。
普段の彼女は、植物を前にするとおっとり笑い、危険植物にすら愛情を注ぐ先輩という印象が強い。
だが、発表台に立つ姿は違った。
緊張していないわけではない。
けれど、背筋は伸び、視線はまっすぐで、手元の資料を持つ指も落ち着いている。
柔らかさの奥に、確かな芯が見えた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
エルミナの声が会場に響く。
いつもの柔らかい声。
だが、そこには研究者としての自信があった。
「植物研究会二年、エルミナ・リーフグレイスです。本日の発表題目は――」
背後の魔導スクリーンに文字が浮かび上がる。
《魔力構造体としての植物葉脈の情報伝達機能》
蒼真は文字を見て、少し眉を上げた。
「長いな」
ルミエールが小声で笑う。
「研究発表は、だいたいこういうものよ」
「なるほど」
エルミナは続ける。
「本研究は、植物の葉脈が魔力を単に通すだけの通路ではなく、魔力を受信し、変換し、保持する魔力構造体として機能する可能性を検証したものです」
会場の空気がさらに静まった。
難しい。
蒼真にも、すべてを理解できるわけではない。
だが、言っていることの方向は分かる。
植物の葉脈。
人間で言えば血管のようなもの。
それが、ただ魔力を通すだけではなく、情報を処理しているかもしれない。
エルミナは魔導スクリーンに葉脈の拡大図を映した。
細い線が無数に分岐し、網のようにつながっている。
その図は、蒼真に魔法陣学で見た導魔線を思い出させた。
保持環。
導魔線。
核。
制御符。
魔力節点。
円に刻まれた意思。
葉脈の分岐もまた、何かを刻んでいるように見えた。
「葉脈は、魔力の導線ではありません」
エルミナは静かに言う。
「植物自身が持つ、自然発生的な魔力回路です」
その言葉に、何人かの教師が頷いた。
蒼真も少し身を乗り出す。
「葉脈内部の細胞は、魔力刺激に応じて微細な色素変化を起こします。これは単なる反応ではなく、魔力波形の一部を保持している可能性があります」
スクリーンに実験映像が映る。
一枚の葉。
そこへ属性魔力が流される。
葉脈の一部が淡く光り、色が変わる。
次に別の波形の魔力を流すと、同じ葉でも違う部分が反応した。
「同じ物理刺激であっても、魔力波形が異なる場合、植物の反応は変化します」
映像が切り替わる。
高周波魔力を受けた葉が閉じる。
低周波魔力を受けた葉が開く。
不規則な波形を受けた苗が、成長方向を変える。
ルミエールが小さく呟いた。
「なんか、難しいね……」
「そうだな」
蒼真は頷いた。
「けど、エルミナ先輩らしい」
「え?」
ルミエールがこちらを見る。
「エルミナ先輩らしい?」
「ああ。植物がただ生えているんじゃなくて、感じて、考えているみたいに扱ってるところが」
蒼真は壇上のエルミナを見る。
「植物を大事にしてる人の研究だと思う」
ルミエールは少し固まった。
「……蒼真さん」
「ん?」
「エルミナ先輩のこと、知ってるの?」
「ああ」
蒼真は普通に答えた。
「植物施設でたまに指導してもらってる」
「え?」
「マンドラゴンの植え替えとか、魔法植物の分類とか」
「え?」
ルミエールの声が一段上がった。
周囲の人がこちらを見る。
ルミエールは慌てて口を押さえ、声を落とす。
「蒼真さん、ちょっと待って」
「何だ?」
「エルミナ先輩に、直接、植物を教わってるの?」
「ああ」
「たまに?」
「最近だけどな」
「二人で?」
「施設ではそういうこともあった」
「……」
ルミエールがじっと見る。
笑顔ではある。
だが、さっきより目が笑っていない。
「そんなにすごいことなのか?」
「すごいわよ」
「そうなのか」
「蒼真さん、本当に知らないの?」
「知らない」
蒼真は正直に答えた。
ルミエールは額に手を当てる。
「エルミナ・リーフグレイス先輩は、エルフ族の名家の出身よ」
「名家?」
「そう。リーフグレイス家は、植物と精霊に深く関わる一族。エルフ族の中でもかなり古い家系だと言われているわ」
「……そうなのか」
「しかも、将来的にエルフ族の長に近い立場になるかもしれない方よ」
蒼真は思わず壇上を見る。
そこではエルミナが、葉脈の魔力情報保持について真剣に説明している。
蒼真の頭には、別のエルミナが浮かんだ。
食人植物に触りかけた蒼真を止めたエルミナ。
マンドラゴンを眠らせながら、背後から手を添えてくれたエルミナ。
土臭いと言われた過去を、少し寂しそうに話したエルミナ。
耳についた泥を拭われて、真っ赤になって逃げたエルミナ。
トマスの前で「私の彼氏よ」と言い、蒼真にキスしたエルミナ。
植物が戻った時、泣きながら抱きついてきたエルミナ。
その彼女が、エルフ族の長候補に近い存在。
「……知らなかった」
本気でそう呟くと、ルミエールはため息をついた。
「蒼真さんって、そういうところあるわよね」
「どういうところだ?」
「すごい人を、すごい人だと知らないまま仲良くなるところ」
「肩書きで接してないだけだ」
「それは良いところだけど……」
ルミエールは少しだけ頬を膨らませる。
「少し心配にもなるわ」
「心配?」
「だって」
彼女は蒼真をじっと見た。
「エルミナ先輩、美人でしょう?」
「そうだな」
蒼真は普通に答えた。
ルミエールの表情がぴたりと止まる。
「即答なのね」
「事実だろ」
「……蒼真さん」
「何だ?」
「まさか、エルミナ先輩に惚れた?」
「は?」
蒼真は思わず聞き返した。
「いや、そんなことはないんだが」
「あやしい」
「何がだ」
「植物施設」
「それは研究施設だ」
「二人きり」
「そういう時もあっただけだ」
「指導」
「植物のな」
「美人エルフ先輩」
「それは事実だが」
「ほら!」
「何がほらなんだ」
蒼真が困惑していると、前の席に座っていた教師が振り返りかけた。
ルミエールは慌てて姿勢を正す。
「……後で詳しく聞きます」
「今じゃないのか」
「発表中です」
「正論だな」
「蒼真さんが言わせたんです」
「俺か?」
小声のやり取りをしながらも、二人は発表へ視線を戻した。
エルミナの発表は佳境に入っていた。
「葉脈で処理された魔力情報は、根系へ伝達され、植物の反応を決定します。開閉、成長方向、色変化、香りの変化。これらは単なる本能的反応ではなく、魔力環境を情報として解析した結果である可能性があります」
スクリーンには、根から葉へ、葉から根へ戻る魔力の流れが図示されている。
植物全体が、一本の魔法陣のように見えた。
「すごいな」
蒼真は素直に言った。
ルミエールは横目で見る。
「今度は研究のこと?」
「もちろん」
「……ならいいわ」
「何と勘違いしたんだ?」
「なんでもありません」
エルミナは最後の結論へ移る。
「植物の葉脈は、魔力世界における自然発生的な情報伝達装置です。魔力文明以前から存在する、原初の魔力回路とも言えるでしょう」
会場が静かになる。
「本研究は、魔法植物の知覚、反応、成長を、魔力情報学という新しい視点から再定義するものです」
エルミナは一礼した。
「以上です。ご清聴ありがとうございました」
一拍の沈黙。
そして、大きな拍手が起こった。
教師たちも、外部研究者たちも拍手している。
蒼真も自然と手を叩いた。
ルミエールも隣で拍手している。
壇上のエルミナは少し照れたように微笑みながら、頭を下げた。
その表情は、植物施設で見る柔らかな先輩の顔に戻っていた。
質疑応答に入る。
魔法植物学の教師が手を挙げた。
「葉脈内に保持された魔力波形は、どの程度の時間保存されると考えていますか?」
エルミナは落ち着いて答える。
「植物種によって差があります。今回の実験では、短いものでは数分、保持能力の高い魔法植物では数日単位で波形の痕跡が確認されました」
別の研究者が尋ねる。
「その保持痕跡を人為的に読み取ることができれば、植物が受けた魔力環境の記録として利用できる可能性がありますか?」
「はい。将来的には可能だと考えています。ただし、現段階では葉脈を傷つけずに読み取る技術が未成熟です」
蒼真はその言葉に少し反応した。
植物が魔力を記録する。
葉脈が痕跡を保持する。
もしそれが本当なら、事件現場の植物が、魔力の記録媒体になる可能性がある。
魔力痕跡を見る蒼真の目と組み合わせれば――。
「蒼真さん?」
ルミエールが覗き込む。
「何か考えてる顔」
「植物が魔力を記録できるなら、事件の証拠になるかもしれないと思って」
「……発想が本当に探偵ね」
「癖だ」
「ふふ。そういうところ、嫌いじゃないわ」
「そうか」
ルミエールは少しだけ赤くなり、すぐ前を向いた。
質疑応答は続いた。
エルミナはどの質問にも丁寧に答えた。
専門用語は多い。
しかし、逃げない。
分からないことは分からないと認め、今後の課題として整理する。
その姿勢が、蒼真には好ましく見えた。
やがて、発表は完全に終了した。
会場の人々が少しずつ動き始める。
教師や研究者たちがエルミナへ近づき、質問や感想を伝えている。
エルミナは一人一人に丁寧に対応していた。
「すごい人なんだな」
蒼真が改めて言うと、ルミエールは得意げに頷いた。
「だから言ったでしょう?」
「ああ」
「でも、蒼真さんはそういう肩書きを知らないまま接していたのね」
「悪かったか?」
「悪くないわ」
ルミエールは少しだけ優しい声になる。
「むしろ、エルミナ先輩にとっては嬉しかったかもしれない」
「そうなのか?」
「たぶんね。すごい人としてじゃなく、ただ植物が好きな先輩として見てもらえるのは、きっと嬉しいと思う」
蒼真は黙って、壇上のエルミナを見る。
エルミナは資料を片付けながら、ふと顔を上げた。
視線が会場の後方を流れる。
そして、蒼真を見つけた。
「あ……!」
エルミナの表情が一気に明るくなる。
まるで花が開いたように。
彼女は手元の資料を抱え直し、人混みの間を抜けてこちらへ向かってきた。
ルミエールが横で小さく呟く。
「……見つかったわね」
「見つかった?」
「蒼真さん、本当に距離感がおかしいわ」
「俺が?」
「そう」
エルミナは嬉しそうに、まっすぐこちらへ歩いてくる。
その笑顔は、先ほど壇上で研究者として拍手を浴びていた人物のものではない。
蒼真を見つけて喜ぶ、柔らかな先輩の笑顔だった。
ルミエールは花冠に触れ、ほんの少しだけ目を細める。
蒼真は、まだ何が問題なのか分からないまま、近づいてくるエルミナを見ていた。




