第81話 花に残る思い出
第81話 花に残る思い出
「あ、蒼真さん」
ルミエールが足を止めた。
植物祭の通りは、夕方に近づくにつれて少しずつ光の色を変えていた。昼間の明るさはまだ残っている。けれど、空の端には淡い橙色が混じり始め、光る花々の輝きが少しずつ目立つようになっている。
ルミエールの頭には、蒼真が作った花冠。
白と黄色の花に、ほんの少し青い小花を混ぜたものだ。
彼女はそれを大事そうに押さえながら、前方を指差した。
「あそこのフォトスポットで写真撮ろうよ」
「写真?」
蒼真は看板を見る。
そこには、魔法植物フォトスポット、と書かれていた。
花で作られた大きなアーチ。蔦で編まれたベンチ。周囲には光る花びらが舞い、足元には淡い金色の苔が敷かれている。
たしかに記念撮影用の場所らしい。
「この世界にカメラってあるのか?」
蒼真がそう言うと、ルミエールは小首を傾げた。
「カメラ?」
「ああ。映像を記録する道具というか」
「ああ、魔導カメラのこと?」
「魔導カメラ?」
「あるわよ。貴族の式典や研究記録なんかで使うことが多いわね。ただ、高価だから誰でも持っているわけではないけど」
「あるのか……」
蒼真は少し感心した。
魔法世界は、現代日本と比べて不便なところもある。
だが、ある分野では異様に進んでいる。
記録水晶、魔導灯、魔法陣、保存瓶、記憶系の植物。
文明の方向が違うだけなのだろう。
「でも今回は違うみたい」
「違う?」
「ええ。見れば分かるわ」
ルミエールは楽しそうに微笑み、蒼真の手を引くようにフォトスポットへ向かった。
人気の場所らしく、前には数組が並んでいた。
友人同士の女子生徒たち。
親子連れ。
恋人らしき男女。
そして、少し離れたところには、花冠をつけた子供が満面の笑みで記念品を受け取っている。
ルミエールはその光景を見て、柔らかく笑った。
「こういうの、いいわね」
「記念になるからか?」
「うん。楽しかった時間が、形に残るでしょう?」
「そうだな」
蒼真は頷く。
形に残るもの。
元の世界なら、写真は当たり前だった。
スマホで撮って、見返して、時には忘れたままになる。
けれど、この世界で改めて「思い出を形にする」と言われると、少し意味が重く感じた。
蒼真は隣を見る。
ルミエールは花冠にそっと触れていた。
「まだ付けてるんだな」
「当然でしょう?」
「そんなに気に入ったのか」
「うん」
ルミエールは少し小さな声で言った。
「蒼真さんが作ってくれたものだし」
「そうか」
蒼真が普通に返すと、ルミエールは少し頬を赤くした。
「……そこで照れないのね」
「照れるところだったのか?」
「もう」
ルミエールは軽く頬を膨らませる。
けれど、すぐに笑った。
順番が近づく。
スタッフらしき生徒が、前の組を案内している。
「はい、次の方どうぞー」
ついに蒼真たちの番になった。
フォトスポットの中央には、蔦で編まれたベンチが置かれている。
背後には大きな花のアーチ。
上からは、光る花びらがゆっくり降っていた。
ルミエールは少し緊張したようにベンチへ座る。
蒼真も隣に座った。
すると、撮影係の上級生が笑顔で言った。
「はい、お二人とも、もう少し近寄ってくださいね」
「近寄る?」
蒼真が聞き返す。
ルミエールが小声で言う。
「記念写真なんだから、少し近い方がいいの」
「そういうものか」
「そういうものよ」
ルミエールが少し近づく。
肩が軽く触れた。
蒼真は特に動じていないが、ルミエールは明らかに動揺している。
花冠の下で、耳が赤い。
「ルミエール、大丈夫か?」
「大丈夫よ」
「顔が赤い」
「夕日よ」
「まだそこまで赤くないと思うが」
「夕日なの」
「分かった」
蒼真はそれ以上追及しなかった。
撮影係が笑いをこらえるように言う。
「では、笑ってくださいね」
「笑う……」
蒼真は少し困った。
事件現場なら、観察すればいい。
証言なら、矛盾を探せばいい。
しかし、笑えと言われて自然に笑うのは難しい。
蒼真がぎこちなく口角を上げると、ルミエールが吹き出した。
「蒼真さん、硬い」
「難しいんだよ」
「もっと自然に」
「自然にと言われても」
ルミエールは少し考え、蒼真の腕に自分の腕を軽く絡めた。
「こうすれば、少しは自然になる?」
「逆に緊張するんだが」
「私も緊張してるわ」
「ならなぜやった」
「思い出だから」
ルミエールはそう言って笑った。
その笑顔につられて、蒼真の表情も少し緩む。
撮影係がすかさず言った。
「はい、そのままで! 撮りますよー」
撮影係の手元には、カメラらしいものはない。
代わりに、鉢に植えられた大きな花が置かれている。
淡い金色の花弁を持つ、不思議な花。
撮影係がその花へ魔力を流すと、花弁がゆっくり開いた。
「サンフラワー!」
その合図と同時に、花びらがぱあっと光った。
一瞬、暖かな光が二人を包む。
眩しいほどではない。
だが、確かに何かが記録されたような感覚があった。
「はい、撮影完了です」
「今ので?」
蒼真が尋ねると、撮影係は別の小さな花を手に取った。
薄い白の花弁を持つ花だ。
その花の中心へ先ほどの光が吸い込まれるように入り、花弁に淡い色が浮かび上がっていく。
やがて、その花の中に小さな映像が現れた。
蔦のベンチに座る蒼真とルミエール。
花冠をつけたルミエールが笑い、蒼真もぎこちなく、しかし確かに笑っている。
蒼真は思わず覗き込んだ。
「なんだこれ……」
ルミエールが嬉しそうに言う。
「メモリフラワーよ」
「メモリフラワー?」
「記憶花。魔法植物の一種ね」
撮影係が説明を補足する。
「この花は、短い瞬間の色や光を記録できるんです。植物祭では記念撮影用に使われることが多いですね」
「写真というより、花に記録するのか」
「ええ」
ルミエールはメモリフラワーを受け取り、大事そうに両手で持った。
花弁の中には、先ほどの二人の姿が小さく映っている。
「すごいな」
「他にも記録樹の葉――メモリリーフというものもあるわ」
「メモリリーフ?」
「記録用の葉ね。ただ、あれは色が残りにくいの。白黒というか、影絵みたいになるから、記念撮影にはメモリフラワーの方が向いているのよ」
「なるほど」
蒼真は感心しながら花を見た。
「文明レベルが本当に分からなくなるな」
「蒼真さんの世界にも、こういうものがあるの?」
「似たようなものはある。けど、花に記録するわけじゃない」
「今度教えて」
「ああ」
ルミエールはメモリフラワーを専用の小瓶に入れてもらった。
瓶の中でも花は淡く光り、二人の姿を静かに残している。
「これは私が持っていていい?」
「ああ。ルミエールが誘ったんだしな」
「じゃあ、大事にする」
そう言って微笑むルミエールの顔は、花冠と同じくらい明るかった。
フォトスポットを離れた後、二人は雑貨系の屋台が並ぶ通りへ向かった。
この辺りは料理屋台より静かだ。
色とりどりの小物、アクセサリー、植物標本、香り袋、護符、羽ペン。
どれも魔法植物を素材にしているらしい。
ルミエールが立ち止まったのは、光る花アクセサリー店だった。
店先には、小さな光を放つ花を加工した髪飾りやイヤリング、ネックレスが並んでいる。
派手すぎず、どこか幻想的だ。
「綺麗だな」
「ええ。光る花は加工が難しいの。枯れないように魔力保存処理をする必要があるから」
「詳しいな」
「貴族の社交でも、こういうアクセサリーはよく使われるの」
蒼真は一つのネックレスに目を止めた。
淡い金色の花を中心にした品で、細い銀の鎖がついている。
光は強すぎず、胸元で柔らかく輝くようなデザインだった。
「これ、ルミエールに似合いそうだな」
「え?」
ルミエールが驚いてこちらを見る。
「どうだ?」
「綺麗だけど……少し派手じゃない?」
「そうか?」
「私には、こっちの方がいいかも」
ルミエールが指差したのは、小さな花弁のイヤリングだった。
淡い黄色の花びらを一枚だけ閉じ込めたような、上品で控えめな品。
金髪の横で揺れたら、きっと似合う。
「じゃあ、それにしよう」
「うん。見るだけでも――」
ルミエールが言い終える前に、蒼真は店員へ声をかけた。
「すみません。これをください」
「え?」
ルミエールが固まる。
「蒼真さん?」
「何だ?」
「買うの?」
「ああ」
「誰に?」
「ルミエールに」
「え、いいの?」
ルミエールの声が少し裏返った。
蒼真は不思議そうに首を傾げる。
「今日、ルミエールといて楽しかったから。記念に」
「記念……」
「嫌ならやめるけど」
「嫌じゃない!」
ルミエールは思わず大きめの声で言った。
店員が微笑ましそうに見ている。
ルミエールは慌てて声を落とした。
「嫌じゃ、ないわ」
「ならよかった」
蒼真は会計を済ませた。
小さな箱に入れられたイヤリングを受け取り、ルミエールへ差し出す。
「はい」
ルミエールは両手で受け取った。
大切なものを扱うように、そっと。
「蒼真……」
「ん?」
「一生大事にするね」
「お、おう」
思ったより重い言葉に、蒼真も少し照れた。
「いや、一生までいかなくても」
「いくの」
「そうか」
「そうよ」
店員に頼み、ルミエールはその場でイヤリングをつけてもらった。
金髪の隙間で、小さな花弁が揺れる。
光を受けるたびに、淡く輝いた。
「どう?」
ルミエールが少し不安そうに尋ねる。
蒼真は素直に答えた。
「似合う」
「本当?」
「ああ。花冠とも合ってる」
「……ありがとう」
ルミエールは何度もイヤリングに触れた。
そのたび、花弁が小さく光る。
その仕草があまりにも嬉しそうで、蒼真は少しだけ視線を逸らした。
次に二人が入ったのは、植物標本ミニボトル店だった。
小さな瓶の中に、さまざまな魔法植物が保存されている。
青白い草。
赤く光る苔。
小さな羽のような葉。
星のように光る種。
どれも手のひらに収まる大きさだが、瓶の中に小さな世界が閉じ込められているようだった。
蒼真は足を止めた。
「こういうの、いいな」
ルミエールが意外そうに見る。
「好きなの?」
「ああ。見てると落ち着く」
「へえ。蒼真さん、こういうのが趣味なんだ」
「趣味というほどじゃないけどな。図鑑とか標本を見るのは好きだった」
「蒼真さんらしいわね」
「そうか?」
「うん。観察するのが好きなんでしょう?」
「否定はできない」
蒼真は棚の一角にある小瓶を眺めた。
中には、青白い小さな花が入っている。
花弁は透明に近く、光の当たり方で色が変わる。
「こういうのを見ると、部屋に置いておきたくなるんだけどな」
「買わないの?」
「置き物はかさばるから、あまり買わないようにしてる」
「現実的ね」
「物が増えると管理が大変だ」
「ふふ。やっぱり蒼真さんらしい」
ルミエールは棚を少し見回した。
そして、一つの小瓶を手に取る。
青白い花と、小さな銀色の葉が入ったミニボトル。
静かで、控えめで、それでいて光を受けると強く輝く。
「これ」
「ん?」
「蒼真さんっぽい」
「そうか?」
「うん。静かなのに、よく見ると不思議な感じがするもの」
「褒められてるのか?」
「もちろん」
ルミエールはそのまま会計へ向かった。
「待て、ルミエール」
「何?」
「買うのか?」
「ええ」
「誰に?」
「蒼真さんに」
今度は蒼真が固まった。
「いや、いいのか?」
「さっき私ももらったから」
「それは俺が勝手に」
「私も勝手に贈るの」
ルミエールは楽しそうに笑った。
「記念よ」
会計を済ませたルミエールは、小瓶を蒼真へ差し出す。
「はい」
蒼真は少し戸惑いながら受け取った。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「部屋に飾るよ」
「本当?」
「ああ」
「やった」
ルミエールは本当に嬉しそうだった。
イヤリングをつけたルミエールと、小瓶を持つ蒼真。
お互いに相手からもらったものを持っている。
少しだけ照れくさい。
けれど、悪くない。
二人は屋台通りをゆっくり歩いた。
夕方の光が、植物祭の装飾を柔らかく照らしている。
メモリフラワーの小瓶。
花冠。
イヤリング。
植物標本ミニボトル。
今日の思い出が、少しずつ形になって増えていく。
「今日は本当に楽しかった」
ルミエールがぽつりと言った。
「そうだな」
「朝は、蒼真さんがすぐいなくなっちゃったから少し拗ねてたけど」
「すまん」
「いいの。こうして一緒に回れたから」
ルミエールはイヤリングに触れる。
「また来年も、一緒に来たいな」
蒼真は一瞬、言葉に詰まった。
来年。
この世界にいるのか。
元の世界へ帰っているのか。
そもそも帰れるのか。
まだ何も分からない。
だが、ルミエールはすぐに笑って言った。
「……なんてね。今から来年の話をしても仕方ないわね」
「いや」
蒼真は小さく首を振る。
「来られるなら、また来たい」
ルミエールの表情が明るくなる。
「本当?」
「ああ」
「約束?」
「……できる範囲で」
「もう。そこは約束って言ってほしかったのに」
「無責任な約束はできない」
「蒼真さんらしいわ」
少しだけ寂しそうで、それでも嬉しそうな笑顔。
その時だった。
中央広場の方から、魔法拡声具の声が響いた。
「まもなく、魔法植物研究発表を開始します。発表会場へお越しの方は、中央研究展示ホールまでお集まりください」
ルミエールが顔を上げた。
「あ」
「研究発表か」
「エルミナ先輩の発表があるんじゃない?」
「そういえば、植物研究会の中心だって言ってたな」
「見に行きましょう」
「ああ」
二人は中央研究展示ホールへ向かった。
料理屋台、体験屋台、雑貨屋台を抜け、少し落ち着いた雰囲気の展示エリアへ入る。
そこでは、魔法植物に関する研究ポスターや標本、実験装置が並んでいた。
学生たちが真剣な顔で資料を運び、教師たちが発表順を確認している。
賑やかな祭りの空気とは違い、ここには研究発表特有の緊張感があった。
その奥で、緑髪のエルフ少女が忙しそうに資料を確認している。
エルミナ・リーフグレイス。
彼女は何かに気づいたように顔を上げた。
そして、蒼真を見つけると、ぱっと表情を明るくする。
「あ、蒼真くん!」
ルミエールの視線が、蒼真とエルミナの間を行き来する。
「……蒼真さん?」
蒼真は小さく息を吐いた。
植物祭は、まだ終わりそうになかった。




