第80話 咲いた花と、未来を告げる香り(1)
第80話 咲いた花と、未来を告げる香り
体験系の屋台が並ぶ一角は、料理屋台の通りとはまた違う賑わいに包まれていた。
甘い香りや香草の匂いが満ちていた通りとは違い、こちらには土の匂い、花の匂い、乾いた葉の匂いが混じっている。
小さな鉢を抱えた子供。
光る苔を瓶に詰める女子生徒。
葉っぱのしおりに魔力を通して、色が変わる様子に歓声を上げる来客。
どこを見ても、魔法植物を使った体験で溢れていた。
その中で、ルミエール・ド・アルセリアは一つの看板の前で足を止めた。
――魔力で咲く花の鉢植え体験。
木製のテーブルの上には、小さな鉢植えがいくつも並んでいる。
どれも、まだ芽すら出ていない。
柔らかそうな黒い土が入っているだけだ。
だが、その横には説明書きが置かれていた。
《あなたの魔力を少しだけ注いでください》
《属性や魔力の性質に応じて、違う花が咲きます》
《咲いた花は記念にお持ち帰りできます》
ルミエールの金色の瞳が、ぱっと明るくなる。
「蒼真さん、これやりたい」
「ああ。面白そうだな」
蒼真がそう答えると、ルミエールは少しだけこちらを見る。
嬉しそうな顔。
けれど、すぐに申し訳なさそうに眉を下げた。
「でも……ごめんね。蒼真さんは、できないかもしれない」
「俺の魔力か」
「うん」
ルミエールは小さく頷く。
「この体験は、自分の魔力を鉢に流して花を咲かせるものだから。蒼真さんは魔力を作れないでしょう?」
「そうだな」
蒼真は自分の手を見る。
魔力生成不能。
この世界では魔力ゼロと呼ばれる体質。
魔法を使えず、魔法陣も普通には起動できない。
植物に魔力を注いで花を咲かせる、という行為も、おそらく蒼真にはできない。
ルミエールは少しだけ唇を結ぶ。
「一緒にやりたかったのだけど」
「気にするな。俺は見てる」
「本当に?」
「ああ。ルミエールがどんな花を咲かせるのか、興味がある」
そう言うと、ルミエールは少し赤くなった。
「……じゃあ、見ていてね」
「ああ」
二人は受付へ向かう。
担当しているのは植物研究会の女子生徒らしく、胸元に小さな蔦の徽章をつけていた。
「いらっしゃいませ。鉢植え体験ですね」
「はい」
ルミエールが丁寧に頷く。
受付の生徒は鉢を一つ選び、ルミエールの前に置いた。
「こちらに両手を添えて、ゆっくり魔力を流してください。強く入れすぎると花が驚いてしまうので、優しくお願いします」
「優しく、ですね」
「はい。魔力の量よりも、安定が大切です」
その説明に、蒼真は少し興味を持った。
魔法植物は魔力に反応する。
ただし、強ければいいわけではない。
安定。
制御。
それは魔法陣学や魔法理論でも何度か聞いた言葉だった。
ルミエールは椅子に座り、小さな鉢を前に置く。
両手で鉢を包むように添え、ゆっくり目を閉じた。
普段の彼女は、貴族令嬢としての気品をまとっている。
けれど今は、少し緊張しているようにも見えた。
指先が、ほんの少しだけ震えている。
「ルミエール」
「え?」
「無理するなよ」
「うん。大丈夫」
ルミエールは小さく笑った。
そして、息を整える。
「……いきます」
彼女の手元から、淡い金色の光がこぼれた。
光属性の魔力。
それは火のように熱くなく、水のように流れるわけでもない。
柔らかく、まっすぐで、朝日が差し込むような光だった。
土がふわりと明るくなる。
最初はわずかだった。
だが、次の瞬間、土の中央が小さく盛り上がる。
芽が出た。
小さな緑の芽。
それはゆっくり伸びていく。
茎が細く立ち上がり、葉が二枚開く。
周囲にいた来客が足を止めた。
「わあ……」
「光属性だ」
「綺麗……」
ルミエールは集中している。
金色の髪が頬にかかり、睫毛がわずかに震えている。
彼女の魔力に応えるように、茎の先に小さなつぼみができた。
つぼみは一度だけ震えた。
そして。
ぱっと開いた。
咲いたのは、黄色い花だった。
太陽のように明るい。
花弁は透明感を持ち、中心から柔らかな光を放っている。
派手ではない。
けれど、とても温かい花だった。
周囲から小さな拍手が起きる。
ルミエールは目を開けた。
「咲いた……?」
「ああ」
蒼真は素直に頷く。
「すごいな」
ルミエールの表情がぱっと輝いた。
「本当に?」
「ああ。綺麗だ」
その言葉に、ルミエールは一気に赤くなった。
「……花が、よね?」
「花が」
「そうよね」
「ルミエールも嬉しそうで、いい顔してる」
「っ」
ルミエールは言葉を詰まらせた。
受付の生徒が微笑ましそうに見ている。
「とても綺麗に咲きましたね。光属性の方らしい、安定した花です」
「ありがとうございます」
ルミエールは嬉しそうに鉢を受け取った。
けれど、立ち上がろうとした瞬間。
彼女の体が、ふらりと揺れた。
「ルミエール!」
蒼真は咄嗟に手を伸ばした。
腰と肩を支える。
ルミエールの体が、蒼真の胸元に軽く寄りかかった。
「ひゃっ……」
「大丈夫か?」
「う、うん……」
ルミエールは慌てて体勢を戻そうとする。
だが、足元が少しふらついている。
蒼真は手を離さなかった。
「顔色が少し悪い」
「魔力を使いすぎたみたい」
「そんなに使ったのか?」
「花を綺麗に咲かせようと思って、少し……」
「少しじゃないだろ」
「……はい」
ルミエールは素直に認めた。
蒼真は近くの椅子を引く。
「少し座ってろ」
「でも、まだ見たいものが……」
「休んでからだ」
「……はい」
ルミエールは椅子に座った。
咲いたばかりの鉢植えを膝に抱え、大切そうに見つめる。
「ごめんね。せっかくの植物祭なのに」
「謝ることじゃない。綺麗な花を見せてもらったしな」
「蒼真さんって、そういうことを自然に言うのね」
「そうか?」
「そうよ」
ルミエールは照れたように鉢植えへ視線を落とした。
黄色い花は、まだ淡く光っている。
まるでルミエール本人のようだった。
少し休んだ後、二人は体験ブースの通りを歩き出した。
ただし、蒼真は先ほどよりゆっくり歩く。
ルミエールもそれに気づいたらしく、横目で見上げてくる。
「歩幅、合わせてくれてる?」
「まだふらつくかもしれないだろ」
「大丈夫よ」
「念のためだ」
「……ありがとう」
そう言いながら、ルミエールは少しだけ蒼真の袖をつまんだ。
腕を組むほどではない。
けれど、離れない距離。
そのまま歩いていると、次のブースが見えてきた。
――花冠づくり体験。
色とりどりの花が籠に入れられ、参加者が自由に選んで花冠を作ることができるらしい。
子供たちや女子生徒たちが、楽しそうに花を編んでいる。
ルミエールが足を止めた。
「これも楽しそうね」
「花冠か」
「ええ。綺麗」
そう言った彼女の声には、やってみたいという気持ちがにじんでいた。
だが、蒼真は先に言った。
「今度は俺が作る」
「え?」
「ルミエールは休憩」
「でも」
「さっき魔力を使いすぎただろ」
「これは魔力を使わないわ」
「それでも座って見てろ」
蒼真がそう言うと、ルミエールは目を瞬かせた。
そして、ふっと笑う。
「なんだか、蒼真さんに命令されるのって新鮮」
「命令じゃない。提案だ」
「そうかしら」
「そうだ」
「じゃあ、提案に従うわ」
ルミエールは近くの椅子に座った。
その膝には、先ほど咲かせた鉢植え。
蒼真は花籠の前に立つ。
花冠を作るのは、セレナの相性迷路で一度やった。
あの時は白、青、薄紫を選んだ。
銀髪に合う色。




