第79話 金髪令嬢と植物祭ランチ
第79話 金髪令嬢と植物祭ランチ
「行きましょう、蒼真さん」
ルミエール・ド・アルセリアは、そう言って当然のように蒼真の腕を取った。
採集競争の会場は、まだ拍手と歓声の余韻に包まれていた。蒼真とリリアの優勝を祝う声。珍しい素材が集まったことへの驚き。賞品である『古代薬草術大全――アルケミア・コーデックス』に目を輝かせるリリア。
そのすべてを横目に、ルミエールは蒼真を引っ張る。
「ルミエール?」
「どうかしましたか?」
「いや、どこへ行くんだ?」
「決まっているでしょう?」
ルミエールは振り返り、少しだけ頬を膨らませた。
「次は私の番です」
「俺は順番制なのか?」
「そうよ。蒼真さんは放っておくと、すぐ誰かに連れていかれるんだから」
「否定しづらいな」
「でしょう?」
ルミエールは満足そうに頷く。
後ろではリリアが分厚い本を胸に抱えたまま、こちらを見ていた。
「蒼真」
「ああ」
「研究部に来る約束、忘れないで」
「忘れない」
「本当に?」
「本当に」
リリアは少しだけ目を細めた。
「ならいいわ」
ルミエールはにこりと微笑む。
「リリアさん、蒼真さんは少しお借りしますね」
「ええ。食べ過ぎさせないようにね」
「それは保証できないかもしれません」
「……どういうこと?」
「ふふ」
ルミエールはそれ以上答えず、蒼真の腕を引いた。
蒼真は苦笑しながら歩き出す。
植物祭の会場は、昼を過ぎても賑わいを増していた。
屋台通りには色とりどりの布が張られ、看板には魔法植物の絵が描かれている。花の香り、焼けた香草の匂い、甘い蜜の香り、どこか爽やかな草の香り。
それらが混じり合い、学園の中とは思えないほど祭りらしい空気を作っていた。
「蒼真さん、お腹空いてない?」
ルミエールが横から尋ねる。
「実は、競争と採取でばたばたしていたから、昼がまだなんだ」
「見てた。私もまだなの」
「ルミエールも?」
「ええ。スイーツコンテストの準備や確認で、落ち着いて食べる時間がなくて」
ルミエールは少し照れたように笑った。
「だから、一緒に食べましょう」
「助かる」
「では、屋台を見て回りましょう」
ルミエールの足取りは軽い。
普段の彼女は、貴族令嬢らしく背筋を伸ばし、周囲に気を配り、少し大人びた雰囲気をまとっている。
けれど今は違った。
目に映る屋台一つ一つに素直に反応し、看板を見つけては少し足を止める。
その姿は、年相応の少女だった。
「屋台、多いな」
「植物祭だからね。料理も、体験も、雑貨も、全部魔法植物に関係しているの」
蒼真は周囲を見渡す。
花蜜クレープ屋。
光る花ゼリー工房。
ハーブアイススタンド。
跳ね根フリッター屋。
火照り苔ホットサンド店。
風紡ぎ綿の綿菓子屋。
どれも名前だけでは味の想像がつかない。
「跳ね根って、食べられるのか?」
「食用に処理したものならね。揚げるとサクサクして美味しいらしいわ」
「さっきリリアが泥をかけられた植物だ」
「ふふ。じゃあリリアさんには少し複雑かもしれませんね」
ルミエールが笑う。
さらに進むと、魔法植物カレー屋、花弁ピザ屋、草原バーガー屋、花粉ドーナツ屋が並んでいた。
「見たことのないものばかりだ」
「気になるものはある?」
「全部だな」
「全部?」
「この世界の食べ物はまだ知らないものが多いから」
「では、少しずつ買いましょう」
ルミエールはさらりと言った。
その結果。
少しずつ、のつもりだったはずなのに。
気づけば二人の手には、いくつもの料理が増えていた。
花びらサラダ。
魔力スムージー。
花蜜レモネード。
光るハーブスープ。
大地の根菜スープ。
魔法植物カレー。
花弁ピザ。
草原バーガー。
花粉ドーナツ。
花蜜パンケーキ。
「……買いすぎたかもしれない」
蒼真が料理の乗ったトレイを見て呟く。
ルミエールは、まったく悪びれずに微笑んだ。
「いいの。今日は植物祭だもの」
「祭りだと許されるのか」
「許されるの」
「そういうものか」
「そういうものよ」
ルミエールは空いているテーブルを見つけると、そこに料理を並べ始めた。
木製の丸テーブルの上に、色とりどりの料理が広がっていく。
赤、緑、黄色、白、薄紫。
魔法植物を使っているせいか、どれも普通の料理より色鮮やかだ。
「さあ、食べましょう」
「本当に食べきれるのか?」
「二人で半分こすれば大丈夫よ」
「半分こか」
蒼真がそう言うと、ルミエールが一瞬だけ赤くなった。
「……深い意味で言ったわけじゃないわ」
「そうなのか?」
「違わないけど、そういう聞き方をしないで」
「すまん」
「もう」
ルミエールは花弁ピザをナイフで半分に切った。
蒼真は草原バーガーを半分に分ける。
皿が行ったり来たりする。
それだけで、妙に距離が近い。
まずは花びらサラダ。
薄く透ける花弁と、香草、淡い緑の葉が盛り付けられている。
口に入れると、ほのかな甘みと爽やかな苦みが広がった。
「うまいな」
「でしょう? 見た目だけじゃなくて、ちゃんと味も整えてあるの」
「花を食べるって、少し不思議な感じだ」
「蒼真さんの世界では食べないの?」
「食用花はあるけど、あまり日常的ではなかったな」
「そうなのね」
次は魔法植物カレー。
具材の色が、見る角度によって微妙に変わる。緑だった野菜が、光を受けると淡い金色に見えた。
「これは……辛いのか?」
「少しだけね」
蒼真が一口食べる。
香草の匂いが強い。
後からじんわり辛さがくる。
「おいしい」
「よかった」
ルミエールも一口食べる。
その瞬間、彼女の頬にほんの少しソースがついた。
蒼真はそれに気づく。
「ルミエール」
「何?」
「頬に」
「え?」
ルミエールが自分の頬を触ろうとするが、場所が少しずれている。
蒼真はハンカチを取り出した。
「ここだ」
指先で軽くソースを取り、すぐにハンカチで拭う。
ルミエールは固まった。
「……ありがとう」
声が小さい。
頬は、ソースより赤い。
「お嬢様でもそういうことあるんだな」
「何よ、それ」
「いや、少し安心した」
「安心?」
「完璧すぎるより、その方が普通でいい」
ルミエールは一瞬、言葉を失った。
そして、ふいっと顔をそらす。
「……蒼真さんといる時だけだもん」
「後半、何て言った?」
「なんでもありません」
「そうか」
「そうです」
二人は少し笑った。
その後も料理は続いた。
光るハーブスープは、匙ですくうと淡く光った。
大地の根菜スープは濃厚で、採集競争で空いた腹に染みる。
花弁ピザは香ばしく、草原バーガーは野菜の味が濃い。
魔力スムージーは、飲む人の魔力属性で色が変わるらしい。
ルミエールが飲むと、淡い金色に光った。
光属性らしい、柔らかな色。
「きれいだな」
「蒼真さんも飲んでみて」
「ああ」
蒼真が口をつける。
しかし、スムージーの色は変わらない。
透明に近い薄い白のままだった。
「やっぱり変わらないな」
「普通なら、その人の魔力に反応するのだけど……」
「俺には魔力がないからな」
蒼真は淡々と言った。
ルミエールは少しだけ目を伏せる。
だが、すぐに微笑んだ。
「でも、透明なままでも綺麗よ」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
ルミエールは自分の金色のスムージーと、蒼真の透明なスムージーを並べた。
「ほら。並べると、光と水みたい」
「水属性じゃないけどな」
「そこは雰囲気よ」
「なるほど」
次は花粉ドーナツ。
香りが強く、食べる前から甘い。
蒼真が一口食べると、口の中にふわりと花の香りが広がった。
「これはすごいな」
「甘い?」
「甘いけど、しつこくない」
「よかった。私も食べてみる」
ルミエールが同じドーナツを手に取る。
その時、ふと指先が触れた。
ほんの少しだけ。
だが、ルミエールはすぐに反応してしまう。
「……」
「どうした?」
「なんでもないわ」
「そうか」
「そうです」
さっきと同じ返事。
だが、今度は耳まで赤い。
最後に花蜜パンケーキを二人で分ける。
ふわふわの生地に、透明な蜜がかかっていた。
口に入れると、優しい甘さが広がる。
「これはうまいな」
「蒼真さん、甘いもの好き?」
「嫌いじゃない」
「では、朝のケーキも平気だった?」
「ああ」
ルミエールが少し姿勢を正した。
「そういえば、蒼真さん」
「何だ?」
「朝のカフェで、私が作ったケーキ、食べてくれた?」
「魔法植物モンブランケーキだろ。食べた」
ルミエールの瞳がわずかに揺れる。
「どうだった?」
「美味しかった」
蒼真はすぐに答えた。
「本当に?」
「ああ。甘さもちょうどよかったし、香りもよかった。魔法植物の風味なのか、普通の栗とは違う感じがした」
ルミエールの頬が一気に赤くなった。
「そう……よかった……」
「びっくりした。ルミエール、お菓子作りもできるんだな」
「失礼ね。私だって練習したの」
「貴族令嬢って、自分で料理をするイメージがなかった」
「それは家によるわ。でも、私は自分でできることは増やしたいの」
ルミエールは少しだけ視線を落とす。
「誰かに任せるだけじゃなくて、自分の手で作れるものがあるのって、嬉しいから」
「いい考えだな」
「そう?」
「ああ」
蒼真は素直に頷いた。
「今度、作り方を教えてくれよ」
「え?」
ルミエールが目を丸くする。
「この世界のお菓子作り、少し興味がある。魔法植物を使うんだろ?」
「……一緒に作るってこと?」
「そうなるな。無理ならいいけど」
「無理じゃないわ」
ルミエールは慌てるように言った。
そして、少し声を落とす。
「今度、教えてあげる」
「助かる」
「……二人で」
「何か言ったか?」
「なんでもありません」
ルミエールはパンケーキを小さく切って、口へ運んだ。
その仕草は上品なのに、頬はずっと赤い。
蒼真は気づいているようで気づいていない。
いや、気づいていても、どう扱えばいいのか分かっていないのかもしれない。
ルミエールはそんな彼を見て、少しだけため息をついた。
「蒼真さんは、本当に鈍いわ」
「何が?」
「そういうところ」
「すまん」
「謝るところでもないのだけど」
二人はまた笑った。
食事は思ったより時間をかけて進んだ。
料理を半分に分け、味を比べ、知らない食材について話す。
ルミエールは植物祭の屋台について説明し、蒼真は自分の世界の祭りについて少しだけ話した。
「蒼真さんの世界にも、お祭りはあるの?」
「ああ。屋台もある」
「どんなものを売っているの?」
「焼きそば、たこ焼き、綿菓子、りんご飴……」
「たこ焼き?」
「この世界にも魔力たこ焼き屋があったな」
「食べてみる?」
「さすがに今は無理だ。腹が限界に近い」
「ふふ、そうね」
ルミエールは満足そうにテーブルを見た。
かなりの量があったはずの料理は、なんとか二人で食べきった。
蒼真は軽く息を吐く。
「さすがに食べ過ぎたな」
「でも、美味しかったでしょう?」
「ああ」
「なら成功ね」
「何が?」
ルミエールは少しだけ照れたように笑った。
「蒼真さんと、ちゃんと植物祭を回ること」
蒼真は黙った。
朝からずっと、誰かに連れ回されていた。
フレイア。
セレナ。
リリア。
そして今、ルミエール。
彼女もきっと、待っていたのだろう。
「待たせて悪かった」
「いいの」
ルミエールは首を振る。
「こうして一緒にいられるから」
その言葉は、静かだった。
けれど、まっすぐだった。
蒼真はどう返せばいいか少し迷い、結局短く言った。
「俺も楽しい」
ルミエールの顔がぱっと明るくなる。
「本当?」
「ああ」
「なら、もっと回りましょう」
「まだ食べるのか?」
「食べ物以外もあるわよ」
ルミエールは立ち上がる。
蒼真も空になった皿を片付け、彼女の後に続いた。
屋台通りを抜けると、体験系のブースが並ぶエリアに入った。
色変わりハーブティー調合所。
小さな魔法薬づくり体験。
魔法植物の寄せ植えワークショップ。
魔法植物の種ガチャ屋。
光る苔の瓶詰め体験。
葉っぱのしおり作り。
「こっちは体験系か」
「ええ。見るだけじゃなくて、自分で作れるの」
「面白そうだな」
「でしょう?」
ルミエールは楽しそうに歩く。
その横顔を見て、蒼真は思う。
最初に出会った時、彼女は震えていた。
悲鳴を上げ、涙を浮かべ、それでも誰かを決めつけることを怖がっていた。
事件の被害者。
貴族令嬢。
光属性の名門。
そういう肩書きの向こうに、今のように祭りを楽しむ普通の少女がいる。
蒼真はそれを見落としたくなかった。
「ルミエール、楽しそうだな」
「ええ。楽しいわ」
「ならよかった」
「蒼真さんは?」
「俺も楽しい」
ルミエールは嬉しそうに笑った。
その時、彼女の足が止まる。
視線の先に、小さな看板があった。
そこには、柔らかな文字でこう書かれている。
――魔力で咲く花の鉢植え体験。
テーブルの上には、小さな鉢植えがいくつも並んでいた。
まだ芽も出ていない土。
横には、小さな魔法石と説明書。
参加者が魔力を注ぐと、その人の属性や魔力の質に合わせて花が咲くらしい。
ルミエールは看板を見つめたまま、少しだけ目を輝かせていた。
「やりたいのか?」
蒼真が尋ねる。
ルミエールは少し照れたように頷いた。
「うん。少しだけ」
「じゃあ、やってみよう」
「でも……」
「でも?」
ルミエールは蒼真を見た。
「蒼真さんは、魔力を注げないかもしれないから」
「ああ」
蒼真は自分の手を見る。
魔力生成不能。
魔力ゼロ。
この手で花を咲かせることは、おそらくできない。
けれど。
「いいよ。見てる」
「本当に?」
「ああ。ルミエールが咲かせるところを見たい」
ルミエールの頬が、また赤くなる。
「……じゃあ、見ていてね」
「ああ」
ルミエールは受付へ向かった。
蒼真はその隣を歩く。
花蜜の甘い香り。
祭りのざわめき。
そして、これから咲く小さな花。
植物祭の午後は、まだ終わらない。




