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魔力ゼロ探偵と美少女たちの魔法学園事件簿 ~その事件、魔法じゃありません!~  作者: にめ
1学年前期:ボタニカル・マギアフェスタ

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第77話 風に舞う綿と、黒髪助手の反撃(2)

第77話 風に舞う綿と、黒髪助手の反撃




 リリアの背後の影が膨らんだ。


 地面から、巨大な黒い手が生える。


 五本の指を持つ、人の手に似た影。


 だが、生々しさはなく、どこか墨で描いたような輪郭をしている。


 影手は崖へ伸び、岩肌をがしりと掴んだ。


 もう片方の影手も現れる。


 リリアの周囲に、黒い手が二つ。


 まるで彼女を支える見えない従者のように。


「……闇魔法って、本当にいろいろできるんだな」


「だから言ったでしょう。闇属性は怖いだけじゃないって」


「ああ。よく分かった」


 蒼真が素直に言うと、リリアは少しだけ目を細めた。


「そういうところ、好きよ」


「ん?」


「何でもないわ」


 リリアはすぐに崖へ向き直った。


「じゃあ、行ってくる。あなたは下で待っていて」


「無理するなよ」


「私を誰だと思ってるの」


「図書室にいる理論派」


「それはそれで正解だけど、今は採集競技中の闇属性魔法使いよ」


 リリアはそう言うと、崖へ足をかけた。


 影縫いが靴底を固定する。


 影手が岩を掴む。


 一歩。


 また一歩。


 リリアは驚くほど安定した動きで崖を登り始めた。


 蒼真は下から見守る。


 風が強い。


 崖に近づくほど、空気の流れが複雑になっているようだった。下ではそれほどでもないのに、中腹から上は横風が吹きつけ、時々、下から巻き上げるような風も混じる。


 リリアの黒髪が風に揺れる。


 制服の裾も、風に煽られて何度か揺れた。


 蒼真は反射的に視線を逸らす。


 だが、心配で上を見ないわけにもいかない。


 リリアはさらに登っていく。


 影手が先に岩を掴み、彼女の体を支える。


 足元では、影縫いが一歩ごとに崖を縫い直していた。


 闇魔法は地味だと思っていた。


 いや、そう思っていたわけではない。そもそも蒼真は闇魔法をよく知らなかった。


 だが、今見ているリリアの魔法は、派手な爆発や光ではないのに、目が離せない。


 静かで、正確で、しなやかだ。


 強引に登るのではなく、条件を整えて進む。


 リリアらしい魔法だった。


「蒼真!」


 崖の上から声がした。


 リリアが頂上付近に立っている。


 風に髪をなびかせながら、片手を上げていた。


「あったわ! 風紡ぎ綿よ!」


 そのすぐ横で、白い綿のような植物が風に揺れている。


 細い茎の先に、雲を小さく丸めたような綿毛がついていた。


 リリアは慎重に採集網を広げる。


 風の流れを見ながら、タイミングを計っている。


 蒼真は下から、岩肌の草や綿の揺れ方を見た。


「リリア! 今は待て! 次の風が強い!」


「分かってるわ!」


 リリアは動かない。


 数秒後、強い横風が吹きつけ、風紡ぎ綿が大きく揺れた。


 そのまま採ろうとしていたら、綿は飛ばされていたかもしれない。


 風が一瞬弱まる。


「今だ!」


「ええ!」


 リリアが採集網を差し出す。


 ふわり。


 風紡ぎ綿が網の中へ収まった。


 リリアはすぐに魔力遮断布で包み、保存容器へ入れる。


 下からでも、彼女がほっと息を吐いたのが分かった。


「取れた!」


「よかった」


 蒼真も息を吐く。


 リリアは影手を使い、崖を降り始めた。


 登りよりも降りる方が難しい。


 影縫いで足場を固定し、影手で体を支えながら、慎重に下ってくる。


 だが、崖の中腹で、また強い風が吹いた。


「きゃっ」


 リリアのスカートが大きく揺れる。


 蒼真は反射的に顔を逸らした。


 しかし、次の足場を確認するためには見なければならない。


 視界の端に白いものがちらついた気がした。


 蒼真は目を細めて、崖の岩肌を見ることに集中する。


(見てない。俺は見てない)


 自分にそう言い聞かせる。


 風は容赦なく、もう一度吹いた。


 ばさり、と制服が揺れる。


 リリアは頬を赤くしながら、影手で体を支え直した。


「ちょっと、風、強すぎ……!」


「足場を右だ! そこ、岩が欠けてる!」


「分かってるわ!」


 どうにか無事に中腹を抜け、リリアは地面へ降り立った。


 影手が溶けるように消え、影縫いの黒い糸も足元へ沈んでいく。


 リリアは髪を払って、ふう、と息を吐いた。


 その手には、風紡ぎ綿の保存容器がある。


「どう?」


「すごかった」


 蒼真は素直に言った。


「闇魔法もそうだけど、動きが安定してた」


「当然よ」


 リリアは少し得意げに胸を張る。


 だが、すぐに目を細めた。


「ところで」


「ん?」


「私のパンツばっかり見てたでしょ」


「み、見てない」


 蒼真は即答した。


 即答しすぎた。


 リリアの笑みが深くなる。


「ほんと?」


「ほんとだ」


「目、逸らしてたものね」


「だから見てない」


「でも、見えちゃった?」


「……」


「沈黙は肯定とみなすわ」


「不可抗力だ」


「ふうん」


 リリアは一歩近づく。


 蒼真が一歩下がる。


 リリアがさらに近づく。


 蒼真の背中が、崖下の岩に軽く当たった。


「リリア」


「何?」


「競技中だ」


「便利な言葉ね、それ」


「事実だ」


「分かってるわ」


 リリアは蒼真の耳元へ顔を寄せた。


 黒髪が頬に触れそうなほど近い。


 甘い香りがした。


 湿地帯の水と泥の匂いが少しだけ残っているのに、それすら妙に近く感じる。


「今度、じっくり見せてあげるから」


「なっ……」


「今は我慢ね」


 耳元で囁かれた言葉に、蒼真の思考が止まった。


 リリアは少し離れ、満足そうに笑う。


「な、何を言ってるんだ……」


「照れすぎよ」


「照れるだろ、普通」


「普通なんだ」


「普通だ」


「じゃあ、蒼真は普通の男の子なのね」


「それは……そうだろ」


 リリアはくすりと笑った。


「よかった」


「何がだ?」


「何でもないわ」


 そう言いながら、リリアは保存容器を採集鞄へ丁寧にしまった。


 月光花。


 霧隠れシダ。


 風紡ぎ綿。


 これで三つ。


 残るは一つ。


「最後に、星露草よ」


 リリアの声が少しだけ真面目になった。


「星露草か」


「ええ。これが取れれば、かなり上位を狙えるわ」


「これまで、俺は何もやってないんだが」


 蒼真がぽつりと言うと、リリアがこちらを見た。


 そして、わざとらしく考える顔をする。


「そうね」


「だろ?」


「人の体を触って」


「待て」


「キスして興奮して」


「待て」


「私のパンツを見てただけだもんね」


「待て!」


 蒼真は思わず声を上げた。


 リリアは楽しそうに笑う。


「反論は?」


「……ありません」


「素直でよろしい」


「言い方に悪意がある」


「事実を並べただけよ。名探偵なら、事実から目を逸らしちゃだめでしょう?」


「事実には解釈が混じる」


「じゃあ、別解釈をどうぞ」


「……泥を落とすのを手伝って、競技中にからかわれて、不可抗力で見えただけだ」


「なるほど。苦しいわね」


「自分でもそう思う」


 リリアは笑った。


 その笑い方は、図書室で本を読んでいる時とは違う。


 黒髪眼鏡の理論派。


 冷静で、少し理屈っぽくて、研究の話になると早口になる少女。


 けれど今は、年相応の女の子の顔をしていた。


 蒼真をからかい、反応を楽しみ、それでいて競技の目的を忘れていない。


「大丈夫よ」


「何がだ?」


「次は蒼真にお願いするわ」


「俺に?」


「ええ。というか、私じゃ取れないもの」


 蒼真は表情を引き締めた。


「星露草はそんな危険な場所にあるのか」


「まあ、そうね」


 リリアは少しだけ視線を前へ向ける。


 高所エリアを抜けた先。


 そこには、他の区域とは明らかに雰囲気の違う森が広がっていた。


 木々の葉は濃く、幹には淡い光の筋が走っている。地面近くには霧ではなく、青白い魔力の靄のようなものが漂っていた。


 普通の参加者たちは、その入口付近で足を止めている。


 中へ入ろうとして、すぐに引き返す者もいた。


 蒼真の目には、その理由が分かった。


 魔力が濃い。


 ただ濃いだけではない。


 流れが複雑で、場所によって渦のように巻いている。


 この世界の魔力を水に例えるなら、あの森は急流と深い淵が混じった場所だ。


「中心部か」


「そう。星露草は、魔力濃度の高い中心部に生えるの」


「さっきの作戦会議では、先に行く予定だったな」


「そうね。でも、湿地帯と高所で予定より時間を使ったわ」


「跳ね根と風のせいか」


「あと、誰かさんが私を赤くさせたせい」


「それは違うだろ」


「どうかしら」


 軽口を挟んだ後、リリアは表情を戻した。


「星露草自体は、とても繊細な植物よ。夜露のように光って、魔力回復薬の高級素材になる。けれど、周囲に問題があるの」


「周囲?」


「魔力吸い花が群生しているの」


 蒼真は聞き覚えのある名前に反応した。


「魔力吸い花……触れると魔力を吸う植物か」


「ええ。触れなくても、近づくだけで少しずつ吸われる場合があるわ。魔力の多い生徒ほど影響を受けやすい」


「リリアは?」


「私は闇属性だから、多少は吸収系に耐性があるわ。でも、あの中心部の濃度だと無理ね。魔力の流れが強すぎる。下手に入ると、影魔法の制御が乱れる」


「だから俺か」


「そういうこと」


 リリアは蒼真を見上げた。


「あなたは魔力を生成できない。普通の魔法使いみたいに、自分の中の魔力を吸われて動けなくなることがない」


「絶対に安全とは限らないけどな」


「ええ。だから無茶はしないで」


「分かってる」


「本当に?」


「本当に」


「あなたの“分かってる”は信用できない時があるのよね」


「否定できない」


 リリアは小さく息を吐いた。


 そして、少しだけ真剣な声で言う。


「蒼真」


「ああ」


「危ないと思ったら、すぐ戻ってきて」


「素材より安全優先か?」


「当然でしょう」


 リリアは即答した。


「本は欲しいわ。優勝もしたい。でも、あなたが怪我をしてまで欲しいわけじゃない」


「リリア」


「何よ」


「ありがとう」


「……そこで素直にお礼を言うの、反則だわ」


 リリアは顔をそらした。


 けれど、その耳は赤い。


 高所から吹く風が、二人の間を抜けていく。


 採集鞄の中で、保存容器が小さく音を立てた。


 植物祭の賑わいは遠くにある。


 けれど、中心部の森だけは、祭りの明るさから切り離されたように静かだった。


 蒼真はその森を見つめる。


 魔力の流れ。


 青白い靄。


 その奥で、かすかに瞬く小さな光。


 星の露。


 星露草。


「最後の一つだな」


「ええ」


「ここまでリリアが取ってきたんだ。最後くらいは俺が働く」


「期待してるわ」


「期待されると困る」


「でも、期待してる」


 リリアはそう言って、少しだけ笑った。


 その笑顔は、からかう時のものではなかった。


 信頼している。


 そう伝える笑顔だった。


 蒼真は短く頷く。


 そして、中心部の森へ向かって歩き出した。


 背後で、リリアの声がした。


「蒼真」


 振り返る。


 リリアは採集鞄を抱えたまま、少しだけ不安そうに立っていた。


「ちゃんと戻ってきなさいよ」


「ああ」


「戻ってきたら、また褒めてあげる」


「それは楽しみだ」


「あと、変なことをしたら罰もあるわ」


「どっちなんだ」


「両方よ」


 リリアはにやりと笑った。


 その笑顔に、蒼真は少しだけ肩の力を抜いた。


「分かった。行ってくる」


 森の入口に足を踏み入れる。


 青白い魔力の靄が、蒼真の足元に絡みつく。


 だが、重さはない。


 息苦しさもない。


 ただ、視界の端で、魔力の痕跡が複雑に揺れている。


 リリアが進めない場所。


 普通の魔法使いが近づけない場所。


 魔力ゼロと呼ばれる蒼真だからこそ、進めるかもしれない場所。


 その奥で、小さな光がまた一つ、瞬いた。


 蒼真は目を細めた。


「……あれが、星露草か」


 声は、森の中に静かに溶けていった。

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