第75話 黒髪眼鏡の助手と、取り戻した約束(2)
第75話 黒髪眼鏡の助手と、取り戻した約束
植物祭の会場は、昼を過ぎても熱気に満ちていた。
外部からの来客も多い。貴族らしい親子連れ、研究者風の大人、他学年の生徒たち。
道の両脇には魔法植物の屋台が並び、光る果実を使ったジュースや、花弁を砂糖漬けにした菓子が売られている。
蔦で作られたアーチの下をくぐると、甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。
「すごい人だな」
「植物祭は毎年人気なのよ。魔法植物は見た目も派手だし、研究価値も高いもの」
「危険なのも多いけどな」
「それを言ったら魔法全般がそうよ」
「確かに」
歩いている途中、リリアがふと足を止めた。
視線の先には、小さな工房がある。
看板には、魔法植物アクセサリー工房、と書かれていた。
客が好きな花や葉を選び、簡単な髪飾りや腕輪を作れるらしい。
小さな少女たちが、きらきらした目で花飾りを作っている。男子生徒が照れながら女子生徒に花の腕輪を渡し、受け取った女子生徒が顔を赤くしている姿も見えた。
リリアの視線が、ほんの少しだけそこに吸い寄せられる。
「寄るか?」
蒼真が尋ねると、リリアはすぐに顔をそらした。
「寄らないわ」
「見てただろ」
「見ていただけよ」
「興味があるなら――」
「時間がなくなるわ」
リリアは言い切った。
けれど、その視線はまだ工房に残っている。
蒼真は少し考えてから言った。
「じゃあ、あとで時間があれば寄ろう」
「……あとで?」
「ああ」
「あなた、その“あとで”を忘れそうね」
「今回は覚えておく」
「本当に?」
「努力する」
「そこは断言しなさい」
リリアは呆れながらも、少しだけ嬉しそうだった。
腕を組む力が、ほんの少しだけ強くなる。
その柔らかな重みと近さに、蒼真は一瞬だけ意識を向けそうになった。
だが、リリアが視線だけでこちらを見上げてくる。
「何?」
「いや」
「今、何か考えたでしょう」
「別に」
「嘘。あなた、事件の時は表情が変わらないのに、こういう時だけ妙にわかりやすいわ」
「そうか?」
「そうよ」
リリアは小さく笑った。
しばらく歩くと、人混みが少しだけ薄くなった。
競技エリアへ向かう道だ。
蒼真はそこで、カフェのことを思い出す。
「そういえば、リリア」
「何?」
「カフェで何を言いかけたんだ?」
リリアの足が止まった。
ぴたりと。
まるで踏んではいけない場所を踏んだように。
「忘れなさい」
「気になる」
「気にしなくていいわ」
「そう言われると余計気になる」
「あなた、そういうところだけ探偵らしいわね」
リリアは眼鏡を押し上げた。
だが、その耳は赤い。
「たいしたことじゃないの」
「そうなのか?」
「そうよ。ただ……」
「ただ?」
「……一緒に、植物祭を回らないかって、言おうとしただけ」
最後の方は、少し声が小さかった。
けれど、蒼真には聞こえた。
「なら、今回ってるな」
「競技に向かっている途中だけどね」
「でも一緒だ」
蒼真がそう言うと、リリアは目を瞬かせた。
そして、ふっと力を抜いたように笑う。
「そうね」
「ああ」
「じゃあ、少しは許してあげる」
「何を?」
「私を後回しにしたこと」
「後回しにしたつもりはない」
「わかってるわ。あなたはそういう人だもの」
責める言葉なのに、声は優しかった。
リリアは蒼真の腕に寄り添ったまま、少しだけ前を向く。
「最近、図書室にも来ないわね」
「あ……」
「その顔、忘れていたわね」
「事件やら植物研究施設やらで、少し」
「わかってるわ」
リリアはあっさりと言った。
「エルミナ先輩の件もあったし、フレイアの競技もあった。セレナとも何かあったみたいだし」
「何かというか、相性迷路だ」
「その頭の花冠は?」
「俺が作った」
「……へえ」
リリアの声が少し低くなった。
「花冠を」
「ああ」
「セレナに」
「そうだ」
「あなた、本当に無自覚ね」
「何が?」
「何でもないわ」
リリアは小さく息を吐いた。
だが、すぐに表情を戻す。
「でも、少しくらい顔を見せなさい」
「図書室に?」
「ええ」
「心配したのか?」
「……助手がいなくなったら困るでしょう」
「助手?」
「あなたが名探偵なら、私は助手でしょう?」
「いつ決まったんだ?」
「今」
「即決だな」
「嫌?」
リリアが少しだけ不安そうに見上げる。
蒼真は短く答えた。
「いや」
「なら決定」
リリアは満足そうにうなずいた。
やがて、目的地が見えてきた。
広い競技会場。
受付用のテント。
周囲には採集用の籠や道具が並べられている。
大きな看板には、こう書かれていた。
――魔法薬の材料採集競争。
「ここか」
「ええ」
「これに出るのか?」
「そのつもりよ」
蒼真は少し意外だった。
リリアは研究型だ。
資料を読み、理論を組み立て、魔法式を検証する。
こういう体を動かす競技に積極的に出る印象は薄い。
「珍しいな」
「私もそう思うわ」
「自覚はあるんだな」
「あるわよ。走るのは得意じゃないもの」
「じゃあ、なぜ?」
「賞品が欲しいの」
「本か」
「本よ」
即答だった。
リリアらしい。
受付の横には、賞品一覧が掲示されている。
蒼真が視線を向けると、リリアが指差した。
「これ」
そこには、優勝賞品として一冊の本の名前が書かれていた。
『古代魔法薬草大全・復刻写本』
分厚そうな本だ。
名前だけで、かなり専門的な内容だとわかる。
「そんなに欲しいのか?」
「欲しいわ」
「また即答か」
「研究者にとって、本は宝物よ。特にこれは、古代薬草学と魔法薬理論の橋渡しになる貴重な文献なの。原本は王立図書館の禁帯出書庫にあると言われていて、一般学生が読む機会なんてまずないわ。復刻写本でも十分すぎる価値があるのよ」
リリアの口調が早くなる。
瞳が輝いている。
魔法植物そのものより、賞品の本に完全に心を奪われているらしい。
「なるほど」
「あなた、今あまり理解していない顔をしたわね」
「価値は伝わった」
「本当かしら」
「リリアが本気で欲しいことはわかった」
そう言うと、リリアは一瞬だけ黙った。
そして、少し視線を落とす。
「……手伝ってくれる?」
「もちろん」
「即答なのね」
「リリアが本気で欲しいなら、断る理由はない」
「……そういうところよ」
「何が?」
「何でもないわ」
リリアは照れ隠しのように眼鏡を押し上げた。
受付で参加登録を済ませる。
二人一組。
蒼真とリリアの名前が記入された。
受付の生徒から、競技用のマップと採集道具、希少植物リストが渡される。
リリアは受け取るとすぐに近くのテーブルへ移動した。
「作戦会議をするわ」
「まだ始まってないのに?」
「始まってから考えるのは遅いわ。情報戦は開始前に八割決まるの」
「頼もしいな」
「当然よ」
リリアはマップを広げる。
そこには、採集フィールドがいくつかの区域に分かれて描かれていた。
湿地帯。
草原エリア。
古木の森。
岩場・火山地帯。
高所・崖上。
魔力濃度の高い中心部。
さらに希少植物リストには、各植物の特徴と生育地が記されている。
リリアが指で順番に示した。
「狙うのは、この四つ」
星露草。
月光花。
風紡ぎ綿。
霧隠れシダ。
「高難度ばかりじゃないか?」
「だから価値があるの」
リリアは楽しそうに説明を始めた。
「星露草は希少度が高いわ。夜露のように光って、魔力回復薬の高級素材になる。生育地は魔力濃度の高い中心部」
「中心部か」
「ええ。危険度も高いけれど、得点は大きいはずよ」
続けて、リリアは湿地帯を指す。
「霧隠れシダは近づくと霧で姿を隠す。幻惑系薬の材料ね。希少度は中だけど、採取難度で加点が期待できるわ」
「近づくと隠れるなら、どう採る?」
「そこを考えるのが競技でしょう?」
「楽しそうだな」
「楽しいわよ。知識を使う競技だもの」
リリアは次に、高所の崖上を指した。
「風紡ぎ綿。これは風属性魔法薬に必須の素材。風で飛ばされやすくて、採取が難しい。希少度は高いわ」
「崖上か。危ないな」
「あなたがいるでしょう」
「俺は命綱なのか?」
「観察係兼、転落防止係ね」
「責任重大だな」
「ええ。重大よ」
最後に、湿地帯の奥に記された月光花。
「月光花は高級回復薬の主成分。月光を浴びると開花する花よ」
「今は昼だぞ」
「だから難しいの。競技用なら何らかの仕掛けがあるはずだけど、現場で確認しないと断定できないわ」
蒼真はマップをじっと見た。
ただ植物を探して採るだけではない。
移動順、競争相手の行動、採取難度、制限時間。
事件現場を読むのとは違うが、情報を整理するという意味では似ている。
「普通に考えるなら、湿地帯で霧隠れシダと月光花を狙ってから、高所へ行き、最後に中心部か」
「そうね。けれど中心部の星露草は、他の参加者も狙う可能性が高いわ」
「なら先に中心部へ行った方がいい」
リリアが顔を上げた。
「理由は?」
「希少度が高いなら、全員が警戒する。危険だと思って後回しにする組も多いはずだ。序盤なら競争相手が少ない可能性がある」
「なるほど。相手の心理ね」
「事件と同じだ。人は危険な場所を避ける。でも価値がある場所には、必ず誰かが向かう」
「本当に探偵ね」
「ただの癖だ」
「その癖に助けられてるのよ」
リリアは少し嬉しそうに笑った。
そしてマップに指を滑らせる。
「じゃあ、ルートはこうしましょう。まず中心部で星露草。その後、湿地帯へ移動して霧隠れシダ。月光花の状態を確認して、条件が揃っていなければ後回し。次に高所で風紡ぎ綿。最後に時間があれば月光花へ戻る」
「移動距離は長いな」
「ええ。だから私の体力が問題ね」
「無理なら言え」
「言うわ」
「本当に?」
「……たぶん」
「不安だな」
「あなたにだけは言われたくないわ。無茶の常習犯でしょう」
「俺は必要な時しか無茶はしない」
「その“必要”の基準が危ないのよ」
リリアは採集道具を確認する。
小型の植物ナイフ、根を傷つけないための土ほぐし、保存用の小瓶、魔力遮断布。
それぞれの用途を、リリアが手早く説明する。
蒼真は聞きながら、道具の形状を覚えていく。
「植物採取って、思ったより繊細なんだな」
「当然よ。薬草は採り方を間違えると成分が落ちるもの。根を傷つけるか、葉を何枚残すか、保存容器の材質まで品質に影響するわ」
「エルミナ先輩も似たようなことを言っていた」
「……そう」
リリアの返事が一瞬だけ硬くなる。
蒼真は首を傾げる。
「どうかしたか?」
「別に」
「別に、という顔じゃない」
「あなた、エルミナ先輩から植物を教わったのよね」
「ああ」
「なら今度は私が魔法薬を教える番ね」
「順番制なのか?」
「そうよ」
「張り合ってる?」
「張り合ってないわ」
「そうか」
「……少しだけよ」
小さな声だった。
けれど、聞こえた。
蒼真は笑いそうになるのをこらえる。
リリアがじろりと見た。
「今、笑いそうになったでしょう」
「なってない」
「嘘。口元が動いたわ」
「観察力が上がってるな」
「あなたに鍛えられたのよ」
二人でそんなやり取りをしていると、会場に鐘の音が響いた。
参加者たちが開始地点へ集まり始める。
司会役の上級生が、魔法拡声具を使って声を張り上げた。
「参加者の皆さんは、開始地点へお集まりください! まもなく魔法薬の材料採集競争を開始します!」
会場の空気が変わる。
笑い声と祭りの賑わいの中に、競技前の緊張が混じった。
リリアはマップを丁寧に折りたたみ、鞄へしまう。
その表情は真剣だ。
先ほどまで拗ねたり照れたりしていた少女ではなく、知識で勝負する研究者の顔になっている。
けれど、開始地点へ向かう途中で、リリアの手が少しだけ蒼真の袖を掴んだ。
「リリア?」
「……少し緊張してるだけ」
「珍しいな」
「慣れていないのよ。こういう競技は」
「大丈夫だ」
「どうしてそう言えるの?」
リリアが見上げる。
蒼真は答えた。
「リリアが知識担当。俺が現場担当。いつも通りだろ」
リリアは目を丸くした。
そして、ゆっくりと笑った。
「そうね」
「ああ」
「いつも通りだわ」
リリアの指から、少しだけ力が抜けた。
けれど袖は離さない。
開始地点には、すでに多くの参加者が並んでいた。
魔法に自信のある生徒。
植物研究会の生徒。
薬学専攻らしい上級生。
それぞれが道具を確認し、作戦を囁き合っている。
蒼真とリリアはその端に並んだ。
「絶対に優勝するわよ」
「本のために?」
「それもあるわ」
リリアは少しだけ間を置いた。
そして、小さく言う。
「あなたと組むんだから、負けたくないの」
蒼真は一瞬、言葉に詰まった。
リリアはすぐに顔をそらす。
「今のは競技上の意気込みよ」
「そうなのか?」
「そういうことにしておきなさい」
司会の声が響く。
「それでは、魔法薬の材料採集競争――開始十秒前!」
参加者たちが身構える。
リリアは眼鏡を直した。
蒼真は前を見る。
目指すは、魔力濃度の高い中心部。
星露草。
そこから、霧隠れシダ、風紡ぎ綿、月光花。
魔法は使えない。
だが、観察はできる。
隣には、知識で支えてくれる助手がいる。
「五!」
リリアが小さく息を吸う。
「四!」
蒼真は頷く。
「三!」
リリアも頷き返す。
「二!」
袖を掴んでいた指が離れた。
「一!」
リリアが前を向く。
「開始!」
鐘が鳴った。
参加者たちが一斉に走り出す。
蒼真とリリアも、その流れの中へ踏み出した。
黒髪眼鏡の助手と、魔力ゼロの名探偵。
二人の材料採集競争が、今、始まろうとしていた。




