第74話 花迷路と蒼淵の心核
第74話 花迷路と蒼淵の心核
蒼真がまだ顔の熱を冷ませずにいると、背後から澄んだ声がした。
「蒼真」
振り向くと、そこにセレナが立っていた。
銀髪が陽光を受けて淡く輝き、いつもの凛とした表情は少しだけ柔らかい。植物祭の雰囲気のせいか、普段よりも近づきやすい空気をまとっていた。
「セレナ?」
蒼真が声を返すと、セレナはフレイアが去っていった方向をちらりと見た。
「フレイア、ちょっと蒼真を借りるわね」
「本人、もういないぞ」
「形式よ」
そう言うなり、セレナは蒼真の手首を取った。
「ちょっと待て。どうした?」
「面白いイベントを見つけたの。一緒にやりましょう」
「どんなイベントだ?」
「着いたらのお楽しみ」
セレナは珍しく、少し楽しそうだった。
普段の彼女なら、事前説明、目的、手順、注意事項をきっちり並べそうなものだ。なのに今日は、答えを隠して蒼真を引っ張っている。
「セレナ、楽しそうだな」
「……そう見える?」
「ああ」
セレナは少しだけ頬を染めた。
「なら、そうなのかもしれないわ。今日は祭りだもの」
二人が向かった先には、花で作られた巨大な迷路があった。
看板には、こう書かれている。
――魔法植物の相性迷路。
「また迷路か……」
蒼真が呟くと、セレナは小さく笑った。
「さっきの森迷宮とは違うわ。これは二人の相性を見るイベントらしいの」
「相性?」
「二人が別々の入口から入り、中央で合流する。最初に渡される欠片を台座に置くと、二人の魔力属性と相性に応じた記念品が生成されるそうよ」
「俺は魔力がないんだが」
「そこが面白いでしょう?」
「面白いのか?」
「ええ」
受付で、二人は半分ずつの青白い欠片を渡された。
係の生徒が説明する。
「欠片は互いが近づくほど強く光ります。また、短い会話もできます。中央の台座で二つを合わせると、相性に応じた記念品が生成されます」
「恋人向けのイベントですか?」
蒼真が何気なく聞くと、係の生徒はにこにこした。
「恋人同士で参加される方も多いですね」
セレナが一瞬で赤くなった。
「そ、そういう意味ではないわ。私たちは……その、調査というか、体験というか」
「セレナ、そこまで慌てなくても」
「蒼真が普通に聞くからでしょう」
やがて二人は別々の入口へ案内された。
セレナは少し離れたゲートの前に立ち、振り返る。
「じゃあ、蒼真はここから。私はあちらから入るわ。また中央で」
「ちょっと待て。ルートの確認は?」
「迷路なのだから、分からない方が楽しいでしょう?」
「セレナらしくないな」
「今日は祭りだから」
そう言って、セレナは微笑んだ。
蒼真は小さく息を吐き、花の迷路へ足を踏み入れる。
中は明るかった。
壁は色とりどりの花で作られている。白、青、薄紫、淡い黄色。花弁は風もないのに揺れ、道に柔らかな香りを漂わせていた。
「なんか、昔やったひまわり迷路を思い出すな」
現代日本の記憶が、ふと胸をかすめる。
夏の日差し。
背の高いひまわり。
迷路の中で聞こえる子どもの声。
それとは違う世界にいるのに、どこか似ていた。
手の中の欠片が淡く光る。
『蒼真、聞こえる?』
セレナの声だった。
「ああ、聞こえる」
『こちらも進み始めたわ。迷ってはいない?』
「まだ入口だ」
『そう。私は順調よ』
「本当か?」
『……たぶん』
「たぶんなんだな」
『迷路なのだから、多少は仕方ないでしょう』
蒼真は笑いそうになった。
いつもの完璧なセレナとは少し違う。
今日の彼女は、少し浮かれている。
それが妙に新鮮だった。
しばらく進むと、欠片からまた声がした。
『ただゴールするだけでは、少しつまらないわね』
「迷路はゴールするものだろ」
『蒼真、途中で花冠を作ってきて』
「なんだ、その無茶振り」
『あなたならできるでしょう?』
「推理力の使い方を間違えてないか?」
『観察力があるもの。花の色合いくらい、きっと分かるわ』
「セレナ、好きな花や色は?」
『内緒』
「ずるいぞ」
『任せるわ。蒼真のセンスに』
「それが一番困る」
『ふふ』
その直後、欠片の向こうから小さな声が聞こえた。
『きゃっ』
「セレナ? 大丈夫か?」
『大丈夫。ちょっとつまずいただけよ』
「怪我は?」
『ないわ。花に気を取られただけ』
「珍しいな」
少し間が空いた。
『……今日は少し、浮かれているのかもしれないわ』
「悪いことじゃないと思う」
『そう?』
「ああ」
『……ありがとう』
蒼真は指定された採花エリアを見つけた。
そこには、自由に摘んでよい花が並んでいる。花冠用なのだろう。茎は柔らかく、手で編みやすい長さだった。
「さて……」
蒼真は白、青、薄紫の花を選んだ。
派手な赤や黄色より、セレナの銀髪には落ち着いた色の方が似合う気がした。
だが、作るとなると難しい。
茎を絡める。
ほどける。
もう一度絡める。
形が崩れる。
『蒼真? 苦戦しているの?』
「花冠作りは専門外だ」
『名探偵にも苦手なものがあるのね』
「探偵は花冠を作らない」
『でも、作ってくれるのでしょう?』
「頼まれたからな」
『……そういうところよ』
「何が?」
『なんでもないわ』
蒼真は何度かやり直し、ようやく小さな花冠を完成させた。
完璧とは言えない。
少し不格好だ。
だが、色合いは悪くない。
「まあ、これなら……」
欠片の光が強くなってきた。
『蒼真、こちらの欠片が強く光っているわ』
「こっちもだ。近いな」
『声も近い気がする』
「ああ。中央が近いんだろう」
花の壁がふわりと開いた。
蒼真は円形の広場へ出る。
同時に、反対側の花壁からセレナが現れた。
「蒼真」
「セレナ」
中央には、白い石の台座があった。
セレナは蒼真の手元を見て、目を見開く。
「それ……花冠?」
「ああ。出来は保証しない」
「……見せて」
蒼真が花冠を差し出すと、セレナは両手で受け取った。
白と青と薄紫の花冠。
セレナは少し黙って、それを見つめる。
「私の髪に合う色を選んでくれたの?」
「そのつもりだ」
「……嬉しいわ」
セレナは小さく言った。
そして、少し迷ってから、自分の頭に花冠を乗せた。
銀髪に淡い花が映える。
普段の凛とした雰囲気とは違い、柔らかく、少し可憐だった。
「似合ってる」
蒼真が言うと、セレナは一瞬で赤くなった。
「そ、そういうことを、自然に言わないで」
「事実だ」
「だから困るのよ」
セレナは視線を逸らし、台座を見た。
「ここに欠片を置くのかしら」
「説明ではそうだったな」
二人はそれぞれの欠片を台座へ置いた。
青白い欠片が近づく。
触れ合った瞬間、強い光が広場に満ちた。
「うわ、眩しい」
「蒼真……!」
セレナが目を細める。
光は渦を巻き、欠片を包み込む。
やがて光が静まり、台座の上には青い雫のような宝石が残っていた。
深い青。
ただの水色ではない。
底の見えない湖のような、静かな青だった。
セレナが息を呑む。
「これって……蒼淵の心核……?」
「アビス・コア?」
セレナは恐る恐るそれを手に取った。
「古代の水精霊王が残した“心臓の欠片”とされている希少核よ。水属性魔力を安定させ、魔力制御を高めると言われているわ」
「そんなすごいものなのか」
「ええ。水属性そのものだけでなく、精神集中や魔力制御にも関わるから、私のように複数属性を扱う者にも価値があるの。こんな祭りのイベントで出るようなものではないわ」
蒼真は台座の文字を読んだ。
「欠片を台座に乗せると、二人の魔法属性と相性に応じて、必要なものが生成される……と書いてある」
「二人の相性……」
セレナは、青い雫を見つめた。
「つまり、悪くないということかしら」
「俺は魔力がないから、正確には分からないけどな」
「でも、希少なものが出たのは事実でしょう?」
「そうだな」
セレナは満足そうに微笑んだ。
「このアビス・コア、私がもらってもいい?」
「ああ、もちろんだ」
「本当に?」
「セレナが持っていてこそだろ。俺が持っていても使い道が分からない」
セレナは、宝石を大切そうに握った。
「ありがとう」
「ああ」
その時、セレナが小さく呟いた。
「蒼真のそういうところ、好き」
「ん?」
セレナが一瞬で固まった。
そして、耳まで赤くなる。
「あ……今のなし!」
「今のなし、とは」
「聞かなかったことにして」
「無理がある」
「無理でもそうして」
セレナは赤面したまま、花冠を押さえた。
普段のクールな姿からは考えられないほど、動揺している。
蒼真は、少しだけ困った。
だが、からかう気にはなれなかった。
セレナはアビス・コアを胸元に抱き、早足で出口へ向かう。
「蒼真、行きましょう」
「ああ」
二人は花の迷路をあとにした。
セレナの銀髪には、蒼真が作った少し不格好な花冠が乗っている。
彼女は何度もそれを気にしているが、外そうとはしなかった。
蒼真はその横顔を見る。
いつもの完璧主義で、凛としたセレナではない。
祭りを楽しみ、花冠を喜び、うっかり本音をこぼして赤面する、一人の少女だった。
セレナは視線に気づいたのか、頬を赤くしたまま言った。
「……見すぎよ」
「悪い」
「謝らなくていいわ」
少し間が空く。
「でも、今のは本当に忘れて」
「努力する」
「そこは忘れると言いなさい」
「嘘はよくない」
「蒼真」
セレナは困ったように睨んだ。
けれど、その表情は怒っているというより、照れているだけだった。
蒼真は、花の迷路の出口へ続く道を歩きながら、小さく息を吐いた。
植物祭は、思ったより忙しい。
そして、思ったより心臓に悪い。
隣でセレナは、まだ赤い顔のまま、アビス・コアを大切そうに握っていた。




