第71話 花粉嵐を駆け抜けて(1)
第71話 花粉嵐を駆け抜けて
魔法植物バトルレースのスタート地点は、祭りの熱気に包まれていた。
ボタニカル・マギアフェスタの中でも、魔法植物バトルレースは目玉イベントのひとつらしい。
大校庭に作られた特設コースの周囲には、蔓と木材を組み合わせた仮設観客席が並び、そこには生徒だけでなく、外部から訪れた客たちも詰めかけていた。
屋台で買った花蜜ジュースを片手にしている子ども。
珍しい魔法植物を記録しようと、羽根ペンを構える研究者。
自分のクラスメイトを応援する女生徒たち。
腕組みをしてコースを眺める教師。
誰もが、これから始まるレースを待っている。
蒼井蒼真は、その喧騒の中央にいた。
隣には、赤髪の少女――フレイア・バルディッシュが立っている。
フレイアはいつもより動きやすそうな短めのローブ姿で、赤い髪を高い位置で結んでいた。火属性の少女らしく、その瞳は始まる前から燃えるように輝いている。
ただし、今の二人は普通に並んで立っているわけではない。
蒼真の右足と、フレイアの左足。
その足首同士が、柔らかな蔓紐で固定されている。
さらに、蒼真の右手首と、フレイアの左手首も、同じような蔓紐で結ばれていた。
二人三脚。
いや、足だけでなく手も繋がれている分、普通の二人三脚よりも距離が近い。
少し体重を移すだけで、肩が触れそうになる。
腕を動かせば、手首の蔓紐が引っ張られ、相手の動きまで伝わってくる。
蒼真は、足元の蔓紐を確認した。
「思ったよりしっかり固定されてるな」
「途中で外れたら危ないからでしょ」
フレイアは前を見たまま答える。
声には気合いがある。
だが、蒼真には、彼女が少し緊張しているようにも見えた。
フレイアは普段、勢いで突き進むタイプだ。
だが今は、何度も深呼吸をしている。
足元を見て、前を見て、また足元を見る。
そのたびに、結ばれた手首が小さく揺れた。
「緊張してるのか?」
蒼真が聞くと、フレイアはむっとした顔で振り向いた。
「してるわよ!」
「そこは否定しないのか」
「レースは別なの!」
「さっきまであんなに元気だっただろ」
「元気なのと緊張するのは別!」
「そういうものか」
「そういうもの!」
フレイアは胸を張った。
その拍子に、結ばれた手首が引っ張られ、蒼真の腕も少し動いた。
「悪い」
「あ、こっちこそ」
フレイアは一瞬だけ頬を赤くして、すぐに前を向いた。
距離が近いことを、彼女も意識しているらしい。
蒼真は、余計なことを言わないことにした。
スタートラインの先には、最初のゾーンである花のトンネルが広がっていた。
色とりどりの花がアーチ状に重なり、内側から淡い光を放っている。花弁は風もないのにゆっくり揺れ、まるで参加者たちを歓迎しているようだった。
その奥には、白く霞んだ空間が見える。
花粉嵐ゾーン。
今回の第一区間の難所だ。
蒼真は、パンフレットの内容を思い返した。
花のトンネルゾーンは、最初の穏やかなパート。
華やかな演出で、参加者を盛り上げる区域。
次の花粉嵐ゾーンは、ランダムに花粉が吹き荒れ、視界を妨げる区域。
風も強く、魔法植物の扱いを誤ると、かえって進みにくくなる。
つまり、序盤だからといって油断できない。
蒼真がコースを観察していると、観客席の端から聞き慣れた声がした。
「蒼真さん」
振り向くと、ルミエール・ド・アルセリアがいた。
金髪を上品に整え、いつもの制服に、植物祭用の小さな花飾りをつけている。手にはスイーツコンテストの関係者札があった。
どうやら、本当に最初だけ応援に来てくれたらしい。
ルミエールは、少し心配そうに微笑んだ。
「頑張ってくださいね」
「ああ。ありがとう」
蒼真が頷くと、フレイアも元気よく手を上げた。
「優勝してくるわ!」
「はい。フレイアさんも、どうかお気をつけて」
「任せて!」
ルミエールは小さく笑い、それから蒼真へ視線を戻した。
「私はスイーツコンテストの準備に戻らないといけませんので、最後までは見られませんけれど……お二人なら、きっと大丈夫です」
「ルミエールも頑張って」
「ありがとうございます」
ルミエールは胸元に手を添え、優雅に一礼した。
そして、人混みの方へ戻っていく。
その後ろ姿を見送っていると、隣のフレイアが少しだけ頬を膨らませた。
「……ルミエールには、そうやって普通に応援するのね」
「スイーツコンテストがあるんだろ。応援くらいする」
「ふーん」
「なんだ?」
「別に」
フレイアは前を向いた。
だが、明らかに別にではなさそうだった。
蒼真は少し考えた。
「フレイアも頑張れ」
「い、今さら!?」
「応援が必要そうだったから」
「そういう言い方じゃなくて、もっとこう……」
「優勝できるといいな」
「だから、なんか硬い!」
「難しいな」
フレイアは呆れたように笑った。
けれど、その表情は先ほどより少し柔らかい。
「まあいいわ。蒼真らしいし」
そのとき、実況席の水晶球が大きく光った。
会場全体に、司会者の声が響き渡る。
『さあ、皆さま、お待たせいたしました! 年に一度のボタニカル・マギアフェスタ名物、魔法植物バトルレース! 今年もついに始まります!』
観客席から大きな歓声が上がった。
拍手。
口笛。
応援の声。
それに合わせるように、スタート地点の花々が一斉に開き、色とりどりの光を放った。
『今回の優勝賞品は、火属性魔法使いなら誰もが憧れる超希少素材! 火竜の花鱗、そして火霊の種です!』
その言葉を聞いた瞬間、フレイアの瞳がさらに燃えた。
蒼真は横目でそれを見る。
「本当に欲しいんだな」
「当たり前でしょ」
フレイアの声は、いつになく真剣だった。
「火竜の花鱗は、火属性の術式を安定させるのに使えるし、火霊の種は、ちゃんと育てれば火属性魔法の感覚を鍛える助けになるかもしれないの。簡単に手に入るものじゃないわ」
「だから優勝したい」
「うん」
「分かった」
蒼真は前を見た。
「なら、最初から飛ばしすぎるな」
「え?」
「欲しい気持ちが強いと、序盤で力が入りすぎる。最後まで走るなら、呼吸を乱さない方がいい」
「……分かってるわよ」
「今の返事は、分かっていない時の返事だ」
「細かい!」
「細かく見ないと勝てない」
フレイアは一瞬、言い返そうとした。
だが、蒼真の声が真剣だったせいか、結局、小さく頷いた。
「分かった。呼吸、意識する」
「吸うより吐く方だ」
「はいはい」
「はいは一回」
「先生みたいなこと言わないでよ!」
そんなやり取りをしている間にも、参加チームは次々とスタートラインに並んでいく。
風属性の男子ペア。
植物研究会らしい女子二人組。
去年も出場したらしい三年生ペア。
それぞれが足と手首を固定され、スタートの合図を待っている。
蒼真は、それぞれのチームをざっと観察した。
風属性ペアは速度がありそうだ。
植物研究会ペアは、植物の扱いが上手いだろう。
三年生ペアは経験がある。
こちらは、火属性のフレイアと、魔力ゼロの蒼真。
周囲から見れば、変わった組み合わせに見えるはずだ。
実際、近くにいた参加者がちらちらとこちらを見ている。
「魔力ゼロの生徒って、あいつか?」
「でも、事件を解決したって噂の……」
「火属性の子と組むのか」
そんな声が聞こえた。
フレイアが少しむっとする。
「気にしないで」
「気にしてない」
「ほんと?」
「ああ。事実だからな」
「事実でも、言い方ってものがあるでしょ」
「俺は魔力を生成できない。それだけだ」
蒼真は淡々と言った。
「けど、見ることはできる。考えることもできる。今はそれで十分だ」
フレイアは、ほんの一瞬だけ目を丸くした。
そして、ふっと笑った。
「うん。そうね」
実況の声が再び響く。
『それでは、参加者の皆さん! 位置についてください!』
参加者たちが一斉に姿勢を低くした。
蒼真とフレイアも、足を揃える。
手首の蔓紐がぴんと張る。
フレイアの肩が、蒼真の腕に少し触れた。
「内側からだ」
「分かってる」
「最初の三歩は合わせる。そこから徐々に加速」
「了解」
「無理に他チームを追うな」
「……できるだけ」
「そこは、はい、だ」
「はい」
フレイアは少し不満そうだったが、頷いた。
『よーい――』
会場が静まる。
風が止まったように感じた。
花弁の揺れる音。
観客の息を呑む気配。
隣のフレイアの呼吸。
蒼真は、それらを聞きながら、最初の一歩を意識した。
『スタート!』
花が一斉に開いた。
光が弾ける。
花びらが舞い上がる。
参加者たちが一斉に走り出した。
「行くわよ!」
「ああ!」
内側。
外側。
内側。
外側。
練習で合わせたリズムを、蒼真は頭の中で刻む。
フレイアの足は軽い。
反応も速い。
だが、勢いがありすぎる。
前に出ようとする力が強く、蒼真は一瞬だけ引っ張られた。
「フレイア、このペースで大丈夫か?」
「うん、大丈夫!」
フレイアは前を見たまま答える。
「だって、優勝賞品欲しいもの。もっと飛ばして!」
「それは理由になっているようで、体力配分の説明にはなっていない」
「難しい言い方しないで!」
フレイアが笑う。
その笑顔は眩しいほど前向きだった。
蒼真は、少しだけ速度を上げる。
ただし、無理に先頭へ出るほどではない。
序盤は、まだ様子を見る。
風属性ペアが横を抜いていく。
足元の風花草を使い、最初から強く加速していた。
植物研究会ペアは、無理に速度を出さず、コース端の安全なラインを選んでいる。
三年生ペアは、慣れた動きで中央を進む。
それぞれの特徴が出ている。
蒼真たちは、上位集団の少し後ろにつける形になった。




