第20話「疑う理由」
『その女に近づくな』
その文字を見た瞬間、指が止まった。
雨宮を見る。
何も知らない顔をしている。
本当に知らないのか。
それとも――。
「……どうしたの?」
雨宮の声で我に返る。
スマホを隠すように握る。
「いや……何でもない」
まただ。
また嘘をついた。
でも。
今の俺には、雨宮に本当のことを話す勇気がなかった。
少しだけ沈黙が流れる。
夕方の風が、公園の木々を揺らした。
その静けさを破るように、翔太が小さく息を吐く。
「……悪い。」
そう言って、雨宮を見る。
「この先は、来ない方がいい。」
雨宮は少し眉をひそめた。
「……え?」
「理由は言えない。」
「言えないって。」
少し困ったように笑う。
「またそれ?」
翔太は何も答えない。
ただ静かに言った。
「頼む。」
その一言だけだった。
雨宮は翔太を見つめる。
何かを考えるように。
やがて小さく息を吐いた。
「……分かった。」
それでも、俺たちを見る目だけは変わらなかった。
「じゃあ、帰る。」
俺を一度だけ見る。
「また明日。」
小さく手を振って、公園を出ていった。
その背中を見送る。
完全に姿が見えなくなった頃。
翔太がようやく口を開いた。
「……行こう。」
「どこに。」
「ここじゃ話せない。」
そう言って歩き出す。
俺は少しだけ迷った。
ポケットの中のスマホに触れる。
『その女に近づくな』
通知の文字が頭をよぎる。
──離れた。
これでよかったのか。
答えは分からない。
それでも俺は、翔太の後を追った。
少し歩いて、公園から離れた河川敷に着く。
夕日はもう沈みかけていた。
人通りもほとんどない。
翔太が立ち止まる。
しばらく、お互い何も話さなかった。
先に口を開いたのは俺だった。
「……トイレの日。」
翔太の表情が少しだけ変わる。
「まだ、その話か。」
「当たり前だろ。」
思わず声が強くなる。
「俺は、お前のスマホを拾った。」
ポケットからスマホを取り出す。
ケースの欠けた角が夕日に照らされる。
「でも教室には、お前がいた。」
「意味が分からない。」
翔太は黙ったままスマホを見る。
長い沈黙が流れた。
やがて小さく息を吐く。
「一つ聞く。」
「……何。」
「お前、トイレで何を見た。」
「何って……。」
「スマホだよ。」
「それだけか。」
「……それだけだ。」
翔太は静かに目を閉じた。
「やっぱり。」
「何だよ。」
「思い出せ。」
「……は?」
「お前は何かを見落としてる。」
心臓が大きく鳴る。
「何を。」
翔太は首を横に振った。
「俺が言ったら意味がない。」
「自分で思い出せ。」
そう言って翔太は歩き出す。
「おい、翔太!」
呼び止めても振り返らない。
夕暮れの中、翔太の背中だけが少しずつ遠ざかっていく。
俺はその場から動けなかった。
頭の中では、あの日のトイレの光景が何度も繰り返されていた。
床に落ちていたスマホ。
流れ続ける蛇口の水。
誰もいないはずのトイレ。
――本当に、それだけだったのか。




