第十二章 疑惑
二月。テヘラン。
AEOI本部でUCF復旧工事の年次レビュー会議。イスファハンからレイラを含む安全評価チームが出張で来ていた。
七階の会議室。長方形のテーブルに六人。悟は末席に座った。
議題は転換棟の復旧作業における耐震基準の再評価。プロジェクトマネージャーが補強計画のスライドを映し、悟がコンクリートの打設厚と鉄筋配置についてコメントする。通常業務だった。
レイラは対面の席に座っていた。白衣の下に紺色のブラウス。手元に安全評価レポートのバインダーが開いてある。
会議の途中から、レイラはペンを置いていた。
悟の手元を見ていた。
悟がスライドにコメントを書き込んでいる。コンクリートの打設厚を指摘しながら、隣の欄に配管支持架台の寸法を書いている。スライドと関係のない数字。耐震の専門家が書くべき数字ではなかった。
レイラは何も言わなかった。
◇
会議が終わった。出席者が廊下に散った。
悟がタブレットをケースに入れようとしたとき、レイラが声をかけた。
「悟さん。少しいい?」
会議室に二人だけ残った。テーブルの上にペットボトルの水が残っている。
「最近、金曜の午後に連絡がつかないことが多いのよね」
悟はペットボトルのラベルを見た。ダマーバンド・ブランド。
「ジムに行っています」
「ジム」
「テヘランのアパートの近くに。週に二回ほど」
レイラはペンをテーブルの上で回した。一回転。
「転換棟の東側配管、見た?」
「見ました」
「支持架台のアンカーボルトが三本緩んでいた。レポートに入れておいて」
「了解です」
話題が変わった。業務の話に戻った。
レイラがバインダーを閉じて立ち上がった。ドアに手をかけた。
振り返った。
「悟さん」
「はい」
「あなたの専門って本当に耐震?」
手がタブレットのケースの上で止まった。
「どういう意味ですか」
「配管をあれだけ見る構造屋は珍しいわ。今日の会議でも、コンクリートの話より配管支持架台の話のほうが長かった。圧力配管のルーティングに詳しすぎる。耐震の専門家は普通、上部構造を見る」
レイラの目が暗かった。疑惑ではない。データの不整合に気づいた物理学者の目だった。
「プラントの現場が長かったので。配管は体に染みついている部分があります」
「そう」
レイラはドアを開けた。
「次のイスファハン出張のとき、南側を再点検してほしいの」
ドアが閉まった。足音が遠ざかった。
会議室に一人で座っていた。
配管。耐震ではなく配管。
エンジニアの目は隠せなかった。建物の基礎やコンクリートの打設は教科書で覚えた知識で対応できる。だが配管に目が行くのは十二年間の現場経験が体に入っているからだ。ネゲヴの淡水化プラント。ブーシェフルの原発。配管の勾配、サポートの間隔、溶接部の仕上げ——見る前に体が反応する。
レイラはそれを見抜いた。一つの矛盾が見えれば、次の矛盾を探す。
帰り際にちらっとこちらのメモ帳を見ていた。スライドの横に書き込んだ配管の寸法数字を。
蛍光灯が微かに唸っていた。安定器の交流ハム。五十ヘルツ。
タブレットをケースに入れ、会議室を出た。
◇
会議のあと、アパートに戻った。
建物の前でSnappを降りた。
道路の向かいに白いプジョー206が停まっていた。ドライバーが乗っている。エンジンはかかっていない。
VAJA。
アパートの入口に向かった。三階。自分の部屋のドアの前に立った。
鍵穴を見た。
出発前に、ドアの隙間に透明テープの端を貼っていた。帰宅時にテープが切れていれば、留守中に誰かがドアを開けたことになる。エリに教わった手法だ。
テープは切れていた。
鍵を開けた。部屋に入った。
何も変わっていないように見えた。靴は玄関に揃えてある。テーブルの上にノートPC。冷蔵庫の横にゴミ袋。
デスクの引き出しを開けた。文房具、レシート、パスポートのコピー。全てある。だが配置が違う。パスポートのコピーがレシートの上に来ている。出発前はレシートが上だった。
誰かが部屋に入り、引き出しの中を確認した。丁寧に戻したが、完璧ではなかった。
引き出しを閉めた。
外に出た。アパートの裏手の公園。ベンチに座った。暗号化アプリを開いた。
『留守中に部屋に侵入された痕跡。引き出しの中身が確認されている。盗聴器の設置可能性あり。以降、室内での通信は控える。』
返信は一分後に来た。
『想定内。室外で対応しろ。作戦上重要な通信は公園か車内で行え。お前の安全が最優先だ。』
携帯をポケットに入れた。
ベンチが冷たかった。二月のテヘラン。吐く息が白い。
レイラの目が浮かんだ。配管をあれだけ見る構造屋は珍しい。
引き出しの中のパスポートのコピーが、レシートの上に来ている。
ベンチから立ち上がった。アパートに戻った。カーテンを引いた。
ノートPCを開いた。ブーシェフルの工程管理データを開いた。数字の列を見た。
仕事をした。
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