第47話 珠凛と陽葵の忘れ物⑥
「この飛行機は、およそ20分で那覇空港に着陸する予定です。現地の天候は晴れ、気温は33度です。着陸の際に揺れが予想されます。皆さまの手荷物におかれましては……」
俺と珠凛は窓際に並んで座っている。
「ねぇ、蒼空クン。揺れって、墜落したりしないよね?」
珠凛は飛行機は初めてらしく、不安そうだ。
「うん。落ちるかも。珠凛さんや。最後に言い残すことは?」
「ええっ。じ、じゃあ、蒼空クン。ママ。大好き……。あ、でも、飛行機おちたら、蒼空クンに言い残しても意味ないんじゃ」
「ごほん」
隣のビジネスマン風の乗客に咳払いされた。
「すいません」
どうやら、飛行機で落ちる系の話はタブーらしい。
窓を覗き込むと、眼前には一直線に水平線が広がっていて、陸地が見えない。水面には無数の白波が、俺たちを追いかけるように現れては消えている。もっと身体を乗り出すと、飛行機の斜め下には黒い影が見えた。
「珠凛。水面に飛行機の影がうつってる」
珠凛も窓を覗き込んだ。
「どれどれ。えっ。あれ、動いてるんだけれど。生き物?」
すると、今度は男性の声の機内アナウンスが流れた。
「皆様、右側の窓の外をご覧ください。大海原にマンタが泳いでいます。皆様の沖縄旅行が素敵なものになりますよう、乗務員一同……」
隣の乗客も窓の外が気になるようで、新聞を読む手をとめて、チラチラとこちらを見ている。旅慣れているように見えるが、滅多に見れないということだろうか。
「わぁぁ。マンタだって!! 可愛い!!」
珠凛は大はしゃぎだ。
正直、かわいさを判断できるほどの距離ではないんだが。珠凛の『かわいい』の守備範囲が広すぎる。珠凛にかかれば、世の中の半分くらい事象は、かわいいで説明できるのではないか。
「珠凛。この前、水族館にいったとき、エイの顔が怖いとか言ってたじゃん」
俺の言葉を聞いて、珠凛は口を尖らせた。
「蒼空クン。知らないの? エイの口は下についてるけど、マンタのお口は前についてるんだよ?」
(下でも前でもさして変わらないと思うが。っていうか、ここから見ても口の違いなんて分からないだろうが!!)
まぁ、とにかく、珠凛が嬉しそうで良かった。
初めて見た沖縄の海は青かった。
千葉や伊豆でも海が青く見えることはあるが、沖縄の青は、より透き通っている。
那覇空港につくと、ココナッツのような匂いがした。
「思ったより、暑くないね」
そう言う珠凛は、トロピカルプリントの肩口が出たトップスにショートパンツを履いている。健康的な肌色が、よく似合っている。
最近は、珠凛が前よりも可愛く見える。好きになるとは、そういうことらしい。
外に出ると、ホテルから迎えのバスが来ていた。
宿泊先のホテルは、なんでも咲姉の男友達の実家が経営しているとかで、格安で泊まることができた。もったいつけられなかったので、てっきり家族経営の小さなホテルなのかと思っていたが、リゾート然とした綺麗なホテルでビックリしてしまった。
「咲ちゃんのお友達、お金持ちなんだねぇ。これは玉の輿かな?」
珠凛はそう言うが、俺はそれは絶対にないと知っている。なにせ咲姉は極度のブラコンだし。それも、兄への憧れみたいな可愛いものじゃない。本気で性行為込みの恋愛をしたがっているガチのブラコンだ。
そういえば、樹兄から恋話を聞いたことがないが、どんな女性が好みなんだろうか。
珠凛ママとか紹介したら、案外くっついたりして。でも、そんなことになったら、俺が咲姉に刺されそうだ。……やめておこう。
「蒼空クン。ウチしあわせ♡」
珠凛が寄りかかってきた。
ブラコン姉のことなんて考えている場合じゃないな。
ホテルにつくと、白い吹き付けの壁に、天井が高いエントランス。そこを抜けると、正面にはハイビスカスの生け花が飾ってあって、その奥には大きな葉の植物が天に向かって伸びていた。
吹き抜けになっていて、建物の中なのに明るい。
ロビーでカードキーを受け取り、長い廊下を歩くと、プールサイドで遊ぶ他の宿泊客が見えた。
珠凛が腕に抱きついてきた。
「このホテル、中でお金かからないんでしょ? 今日のご飯は何かなぁ?」
このホテルは、オールインクルーシブで、夕食はビュッフェになっている。インバウンドの観光客が多く、長期滞在の客にも飽きられないように、メニューは日替わりとのことだった。
「今日は、日本食ビュッフェだったかな?」
「え。日本人なのに日本食ビュッフェなの? 沖縄まで来たのに……。ウチ、洋食がいいっ。オムライスとかハンバーグとかあるかなぁ?」
「わからんけど、もはや日本食だろうしあるんじゃないか? オムライスとか、どう見ても日本生まれの日本育ちだろうし」
「そっか♡ じゃあ、お腹いっぱいオムライスを食べちゃおう」
「このホテル、結構、高級らしいぜ。できれば、オムライス以外も食べてほしいんだが?」
「えーっ。色々あるのに、あえてオムライスしか食べないって、そういうのを真の贅沢っていうんだよ?」
珠凛は得意げだ。
どうやら贅沢の定義というものは、人それぞれに違うものらしい。
寒い時に暖房をガンガンに効かせて、タンクトップを着てアイスを食べる、的なものだろうか。
俺らの部屋は、ホテルの本館を抜けた先の海沿いにあった。海岸から各部屋に通路がのびていて、浅瀬の海上に建っているコテージだ。
「わぁー。かわいい」
部屋に入ると、珠凛のテンションはさらに上がった。
部屋の中にはガラスの天板のテーブルがあって、覗くと、建物の基礎に押し寄せる波が見えた。その周囲には色鮮やかな魚が泳いでいる。
(いくら知り合いにしても、まさかこんな高そうな部屋になるとは……)
「ねぇ。蒼空クン。このテーブル、水族館みたい。すっごい部屋だね」
「もっと普通の部屋で良かったんだけどな」
「お姉さんに感謝しないとね。ね、蒼空クン。プールいこっ。あ、でも、その前にエッチ……したいよ。あのね。バルコニーから海しか見えないの。あそこでしたい……かも?」
「いや、外から丸見えだし」
「人いないから大丈夫♡ はやくぅ」
しかし、実際には全然大丈夫ではなく、偶然にボートで通りがかったオジサンに珠凛の尻がガン見され、驚いて飛び上がった珠凛が海に落ちるという大惨事が起きた。
浅瀬だったので大事には至らなかったが、珠凛は、今さっき尻を見せたボートのオジサンに助けられたのだった。
「あのオジサン、変態さんかと思ったけれど、助けてくれたし優しかったねっ。ニコニコしてたし『眼福』って言ってた。どういう意味?」
尻を見て眼福と言われた……と。
「意味は知らない方が幸せだと思うぞ」
尻を褒められたなんて知らない方がいいに決まっている。俺は眼福について教えないことにした。
「えーっ。気になるんだけど!!」
世には知らない方が良いことは山ほどあるのだ。ま、でも、海をボートで渡るのはオジサンの自由だ。つまり、あんなところでいたしている俺たちの方が悪い。
その後はプールで遊んで、夕食を食べて。
いまは夕焼けのバルコニーに、2人で並んで座っている。刻一刻と海と空のバランスが変わって、どんどん紫色になってきた。
「あ、藍さんにもらった手紙を読んでみない?」
すると、珠凛はモジモジした。
「ウチ、覚えてないし、少し恥ずかしいなぁ」
封筒は糊付けされていて、表には「だんなさまへ」と書いてある。
中には便箋が数枚入っていて、たどたどしい字で、子供の頃の珠凛が書いたものだった。
どれどれ。きっと、未来の旦那様へプロポーズでもする内容なんだろうな。
子供時代の珠凛からのラブレターだ。少しドキドキする。
唾を飲み込むと、読み始めた。
「6がつ◯にち。ママに新しいカレシができました。おしごともしていないクズです。すぐに別れるとおもいます」
シュールな内容だ……。
「8がつ△にち。ママにまたカレシができました。またクズです。うちのお年玉とられました。でも、こんどのカレシはたたかないから、少しいい人かもしれません」
「9がつ◯にち。夜になると、ガタガタおとがして、ママの気持ちよさそうな声がきこえてきます。ちょっとこわいです。ママは、ダメおとこが好きみたいです。きっとママのことしあわせにしてくれないし、ウチは少しかなしいです。」
なんだか日記みたいな内容だな。
それにしても……。精神力が削られる。
便箋をめくった。
「うちにはパパがいなくて、おともだちのパパみたいにヨシヨシしてもらったこともありません。ママがつれてきたカレシは、ママがいる時はやさしいフリをしているけれど、いない時は、ただ、たたかれるだけです。いたいし、さみしいです。いつまでこんなのがつづくのかな」
残り数行になった、
「いつか出あうダンナさま。ウチのことをたすけてくれますか? たくさん幸せにしてくれますか? ウチは子供がたくさんの幸せかぞくになりたいです。このお手紙をよんでくれたら、おとなのウチをしあわせにしてあげてください。 しゅり」
文章はそこで終わっていて、セロテープで百円玉が貼り付けてあった。
珠凛に声をかけようとしたが、言葉が出なかった。
珠凛は申し訳なさそうな顔をしている。
「あの、なんかゴメンネ。ウチ、へんな手紙かいてるし。内容、暗すぎだし。せっかくの楽しい旅行が台無しだよね。ごめんね」
視線を正面に戻すと、いつのまにか空は薄暗くなっていて、紺色の水面に、白い波がさざめいていた。
ロマンチックではないかも知れないけれど、これは俺宛のラブレターだと思った。
「ううん。ありがとう。子供の珠凛からのラブレターだね。大切にするよ」
今後、どんな可愛い子が現れたとしても、俺には珠凛以外は考えられない、……そう思った。




