第46話 珠凛と陽葵の忘れ物⑤
「蒼空クン。体調は大丈夫? 吐いちゃったんでしょ?」
珠凛は部屋に入ると、キョロキョロした。
飲みかけのマグカップに気づくと、珠凛の表情が曇った。
よく心が痛むというけれど、本当に心臓がズキズキした。
「うん。大丈夫。心配かけてごめんな」
俺が答え終わるのとほぼ同時に、珠凛が抱きついてきた。
「ウチのこと好き?」
珠凛らしくない質問だ。
「うん」
「どれくらい?」
「世界一」
「ママより?」
「もちろん」
(やっぱ、心配なんだな)
「そっか。ならいいっ」
珠凛はまた抱きついてきた。
俺は珠凛の頭を撫でた。ふと視線を感じて顔を上げると、廊下に立っている藍さんと目が合った。
しかし、藍さんは不機嫌な様子はなく、腕を組むとウィンクをした。藍さんは咳払いをすると言った。
「こほん。珠凛。夜にごめんね。もう遅いから、2人とも泊まっていく?」
時計をみると0時近かった。
電車もないし、それがいいか。
「じゃあ、お願いします」
俺がそう答えると、珠凛も頷いた。
「じゃあ、珠凛の部屋にお布団敷くわね」
藍さんは、母親の声になっていた。
さっきまで甘えん坊の女の子だったのに、女性ってすごい。
どちらが本当の藍さんなのかな。
「お腹はすいてない?」
藍さんの質問に、珠凛が答えた。
「ウチ、ちょっとだけ空いてるかも」
「まっててね。珠凛の好きなもの作るから」
「オムライス? 楽しみ♡」
藍さんはエプロンをしてキッチンに立った。
トントンという小気味いい音が聞こえてくる。
漂う空気が温かい。
さっきまで藍さんと抱き合っていた俺が言うのも変な話だが、3人でいるのは心地よかった。
藍さんは、俺と珠凛にオムライスを作ってくれた。
珠凛のオムライスにはケチャップで♡のマークが1つ描いてあった。
「これは、蒼空クンのね。どうぞ♡」
俺はそれをみてドキッとした。
巨大な♡が3つも描いてあるのだ。
目が合うと、藍さんはペロッと舌を出した。
(この人、俺を困らせて楽しんでいる気がする)
うちらが食べ始めると、藍さんはどこからかアルバムを持ってきた。
「蒼空クン。さっきの話の続きなんだけど……、蒼空クンが昔のこと聞きたいんだって。珠凛もいいかな?」
珠凛は頷いた。
「あのね。わたしが離婚したのは珠凛が3歳の時なの。珠凛の父親は、優秀で、いわゆる高級官僚でね。でも、ある出来事がキッカケで職を追われることになったの。プライドが高い人だったから、見下していた家業を継ぐことがイヤだったんでしょうね。その後は酒に溺れて……。わたしや子供達に強く当たることが多くなった」
珠凛が食べる手をとめた。
「うん。ウチ、覚えてないけど、ママが泣いてたのはうっすら覚えてる」
藍さんは話を続けた。
「そんなだったから、わたしが子供を2人とも引き取りたかったんだけど。元夫の実家は、代々続く呉服屋で、義父母は長男は絶対に手放さないって。「お前に2人育てるのは無理だ」って言われて、わたしは何も言い返せなかった」
藍さんは俯いてしまった。言葉を続ける口元だけがよく見える。
「……それで、私が珠凛を育てることになったの。だから、きっとお兄ちゃんは、わたしに捨てられたと思ってる。珠凛ごめんね、もし、パパといたら、あんな目にあうことは……」
藍さんはチラッと珠凛をみた。すると、珠凛はスプーンにオムライスをのせて、口に入れた。
「もぐ……、ウチ、ママのオムライス大好きだよ。パパのことも、お兄さん? のことも覚えてないけれど、ママがいれば十分だし!!」
珠凛は本当に良い子だ。
こんな子を育てた藍さんが悪い人な訳が無い。
「……その後、元夫はすぐに再婚して、それからは珠凛は2人に会ってないの」
すぐに再婚?
別れる前から、父親には次の相手が居たということか。
それがキッカケで、藍さんは男性依存になってしまったのだろうか。
「ごちそうさまでした。うまかったです」
オムライスを食べ終わって、俺がそういうと、藍さんは笑顔で答えてくれた。
「どういたしまして」
うん。やっぱり心地がいい。
いつか、3人で暮らしたりもアリなのかも知れない。
食事を終えて、一息つくと珠凛が席を立った。
「ウチ、シャワー浴びてくるね」
浴室からシャワーの音が聞こえてくると、藍さんが隣に座ってきた。
「蒼空クン。キスしよ♡」
「いや、さすがにそれは……。珠凛戻ってくるかも知れないし」
「スリルがいいんじゃない♡ それに、わたしは2人とも大好きだし。珠凛と別れろとか言わないよ? 蒼空クンが相手してくれたら、わたし他の男の人いなくても満足できそうだし……」
「もう、冗談はやめてください。でも、いつか、3人で暮らせたらいいなあって思いました」
「そっか♡ そうだね♡」
こうして見比べると、珠凛と似ているけれど、藍さんの方が、おっとりとした目をしている。
黙っていれば、清楚そうなのに。
珠凛が戻ってくると、部屋に通してくれた。珠凛の部屋はシンプルで、女の子らしいものといえば、小さなぬいぐるみが2、3個おいてあることくらいだった。
(意外だ。俺の部屋には、巨大なぬいぐるみとかメルヘンなグッズを勝手に沢山持ち込んでいるのにな)
「意外にメルヘンな感じじゃないんだね」
「そう? あまり女の子って見られたくなかったし……」
珠凛はそういうと苦笑いをした。
その顔をみて、俺は気づいてしまった。きっと珠凛にとって、自分の部屋も安心できる場所ではなかったのだ。
東宮のオッサンを欲情させないように、ささやかな抵抗をしていたのではないだろうか。
すると、珠凛が首を傾げた。
「あれ、蒼空クン。さっきはここで寝てたんじゃないの?」
「いや、ここでは……」
あ、もしかして。
あそこは、藍さんのベッドだったのかも。
珠凛は口を尖らせた。
「ふぅーん。ね、蒼空クン。ウチのベッドでエッチしよ?♡」
「いや、さすがにここでは……」
「スリルがあって、興奮するかも?♡」
さすが親子。藍さんと似たようなことを言ってるし。
「はやくぅ♡」
そういうと、珠凛は俺をベッドに押し倒した。フワッと珠凛の匂いがして、ここで東宮のオッサンに玩具にされていたのかもと思うと、すごく悔しくて、珠凛を何度も抱いてしまった。
結局、その日は、敷いてもらった布団は使わなかった。
次の日起きると、良い匂いがしてきて。
藍さんが、朝食を用意してくれていた。
お味噌汁とご飯と。
焼き鮭と白菜の浅漬け。
お椀を鼻に近づけると、出汁の良い匂いがした。
「うまい!! 藍さんって、料理が上手なんですね」
藍さんは笑顔で答えてくれた。
「そう? おかわりあるから、沢山たべてね」
すると、珠凛もモグモグしながら言った。
「ママのご飯、美味しいよねっ!!」
3人で食べ始めると、藍さんは目を擦った。
「藍さん、どうしたんですか?」
俺がそう言うと、藍さんはまた笑顔になった。
だけれど、目尻には涙がたまっていた。
「ごめんね。おにーちゃんも居たら、こんな感じだったのかなって。蒼空クン。また遊びにきてね」
「もちろん。なっ、珠凛」
ここはサキュバスの巣窟だけれど、温かくて居心地がいい。これからも、時々、珠凛と遊びに来るようにしよう。
そして、また変な男が入り込まないように、俺が守りたいって思うのだ。




