第38話 3人目の獲物⑭
「蒼空。陽葵が目を開けたぞ!!」
樹兄は、珍しく興奮した様子で病室に飛び込んできた。
山口の話で涙を流した時に、もしかしたらとは思ったけれど、こんなに早く変化があるとは。
陽葵の病室に入ると、陽葵のご両親は既に来ていて、陽葵は支えられながら上半身を起こしていた。
樹兄(医師)の説明によると、しばらくはリハビリが必要になるが、大きな後遺症等はなく、いずれは元の生活に戻れるだろうということだった。
ただし、記憶等に混乱があり、特に自死をはかる直前の数ヶ月の記憶が欠落しているようだった。颯のことも写真のことも覚えていないようだ。……辛い記憶を無理に思い出す必要はないだろう。
日が明けて、俺が退院する日の朝。
陽葵に挨拶しにいくと、散歩に誘われた。
樹兄も短い時間ならと、許可を出してくれた。
俺は車椅子を押して、病院の中庭に出た。
中庭に咲く向日葵が上を向いて。
陽の光にきらきらと揺れている。
あぁ、俺は今。
ようやく夢から覚めた気がする。
だから、思うのだ。
きっと、俺は陽葵に守られていた。
俺が辛い時、彼女だけはずっと一緒にいてくれた。そばで俺を守ってくれていたのだ。
車椅子の陽葵がクスクスと笑った。
「蒼空クン。お久しぶり」
「あぁ」
「なんか、見ない間にカッコよくなっちゃって」
「まぁ、あれは、黒歴史だ」
「ふふっ。わたし、前の蒼空クン《《も》》好きだったよ」
「あのさ。気づかなくてごめん」
「何のこと?」
颯のことで、陽葵はすごく辛かったのに。
俺は何もしてやれなかった。
「ん。……中学のころ、皆んな俺から離れていったのに、陽葵だけは、ずっと一緒に居てくれただろ?」
「わたしは君の幼馴染なんだよ? ずっと一緒にいるのは当たり前だよ」
それが恋愛かは分からないけれど、朴念仁の俺でも、すごく大切に想われていたのは分かる。
「リハビリすれば、前と同じような生活ができるみたいだし、きっと、これからは楽しいことが沢山だよ」
「そうかな。蒼空クンが居てくれたら、きっと毎日、楽しいね。あっ、そういえば。珠凛ちゃんとは……」
「え……」
陽葵は胸の辺りで、手を軽く握った。
「ううん。やっぱ、なんでもない」
陽葵の記憶は、丸ごと抜け落ちている訳でない。欠落にはムラがあって、特に颯に関する記憶が抜けている。
「そっか」
また聞かれたら、なんて答えればいいのだろう。珠凛のこと、俺から伝えるべきなんだろうが……。
「あ、そういえば、わたしのスマホが見当たらないんだけど、蒼空クン知らない?」
陽葵のスマホは俺が持ち出した。
颯に関するデータを見せたくなかったのだ。
「知らない。それに樹兄が病室ではスマホはダメっていってたぜ? 入院中は、ゆっくりしたらいいよ」
「……そうだね」
「退院しても、またお見舞いくるから」
風が吹いて、陽葵の艶々した黒髪がなびいた。
「……うん。楽しみにしてる」
陽葵は俺を見上げて笑った。
ほんと、陽葵には、イヤなことなんて忘れて、楽しい毎日を送って欲しい。
俺が家に戻ると、珠凛と山口が居た。
山口のことは、今でもムカついているが、大切な用事があって来てもらった。
珠凛がお茶をいれに席を立つと、俺は話し始めた。
「山口。あの話は本当か?」
「伝えた通りだ。陽葵のスマホみたんだろ?」
俺は陽葵のスマホを開いた。
「悪いな。お前が教えてくれなかったら、こんな最悪なものを陽葵に見られるところだった」
陽葵のスマホには、さっき送られてきたメールが表示されている。
差出人は颯だった。
本文はこうだ。
「陽葵? 久しぶり。心配してたんだよ。目が覚めてよかった。ボクらが付き合ってたのは覚えてるよね? ボクのこと好きって言ってくれたじゃん。元気になったら、またデート行ったりできるね。もし、覚えていないなら、証拠の写真もあるし、返事を待ってるね 颯」
珠凛はコーヒーをテーブルに置くと言った、
「颯、最低なヤツだと思ってたけれど。ウチが思ってたより、数段ひどい。山口の言った通りじゃん。陽葵が忘れてるのをいいことに、まだ付き合ってるような感じだし」
山口も眉間に皺を寄せた。
「僕は言えた立場じゃないけれど、……今の陽葵にこれを送るとか、人間とは思えない」
俺は「どの口が」と思ったが、今回、山口のおかげで助かったのも事実だった。俺は言った。
「あぁ。おかげでスマホを先に回収できたよ。陽葵に見せないで済んだ。山口、お前の言った通りだった」
今朝、山口からこんな連絡がきたのだ。
「蒼空。お前の耳に入れておきたいことがある。颯が、陽葵が目覚めたことを知った。記憶がないことも知っているみたいだ。アイツのニヤニヤした顔をみて、ゾッとした。もしかすると、陽葵の記憶がないのをいいことに、また彼女を利用する気なのかも知れない。気をつけてくれ」
そして、山口の言った通りになった。
陽葵が記憶喪失になったことは、考えようによっては、颯にとっては好都合なことだ。罪をなかったことにできるし、陽葵をうまく誘導すれば、颯とちゃんと付き合っていたと信じ込ませることも可能だろう。颯にとっては、陽葵にはまだまだ利用価値がある。
そして、颯からのメールを見る限り、俺の最悪な予想は当たったらしい。
彼女を自殺未遂まで追い込んでおいて、どれだけ陽葵を傷つければ気が済むのだ。そして、前に進もうとしている陽葵を、またあの地獄に連れ戻そうとしている。
やはり、颯は野放しにできない。
今回はなんとか防げたが、アイツが存在している限り、また陽葵に連絡をしてくるだろう。颯が存在している限り、陽葵は幸せになれないのだ。
俺は颯のことを絶対に許すことはできない。




