第九話 独断潜入Ⅰ
協力者となって十五年以上経つ情報通の隼でも、黒猫に関して持っている情報は少ない。
とにかくこの男の過去が気になって仕方がなく、黒猫という男の魅力にハマって仕方がない隼は、仕事のない時間は常に黒猫に関する情報収集に夢中である。
隼はかつて、裏社会でも有名な情報屋だった。裏組織の幹部クラスしか知らないような機密情報もいつの間にか握っている危険な男で、他者には真似できない情報収集能力や、口封じのために送り込まれた刺客から自分の身を護るどころか返り討ちにまでする程度の戦闘能力を有していた。
隼から得られる情報には千金の価値があったため、誰の敵にも味方にもならないが、裏社会では重宝される存在だった。そして皆が共通して意識していたのは、彼を敵に回してはならないということ。彼を敵に回してしまった者は決まって、各組織に格安で機密情報を漏らされることになり、それによって破滅の運命を辿ることとなっていたからだ。
そんな隼でさえ情報を掴むことができない黒猫。根っからの情報屋である隼が秘密の多い黒猫に夢中になるのは、ある意味当然とも言えるだろう。
「もし黒猫の過去に触れる何らかの情報が手に入ったら…首領もびっくりするだろうなぁ」
隼はそんな独り言を呟きながら、強くなる雨足も気にせず街道を歩く。
服のポケットに両手を突っ込みながら歩く隼は、傍から見ればただの一般人にしか見えない。
平凡な顔立ち、目立たない髪色に目の色、あまりに目立たなすぎるこの男の容姿だけを見ても、とても世界を壊そうとする者に協力している人物には見えない。だからこそ、何食わぬ顔をして人間側の組織——パトレイトに侵入するなど、この男にとっては容易いことだった。
低級から中級までの者が多く利用する食堂には、時々ある人物が姿を現すらしい。
「こんにちは。席が空いていないから、一緒に座らせてもらってもいい?」
その人物とは、顔を覆い隠すようにフードを深く被り、貴族を彷彿とさせる立ち振る舞いをする一人の少年だった。
顔は見えないものの、深く被るフードからこぼれる白銀の髪は、それが戦闘民族の末裔・レイヴァであることを証明していた。しかし隼は知っていた、彼はただの末裔レイヴァではなく、より純血に近い戦闘民族の元祖・レイヴォルスである可能性が高いということを。
「…構わない」
「どーも」
その少年は短く返すと、それ以上何も発することなく食事を再開した。隼はその少年の一挙手一投足に注目し、よく観察し始めた。基本的には食事をしながら、隼は常に視線の端に少年を捉えている。
少年は向かいの席で食事を取りながら自分の様子を窺う隼の視線に気づきながらも、淡々と食事を続けていた。
「はあ、今日は本当に雨がひどくて~」
湿った髪をかき上げながら、雑談とも独り言ともとれる口調で発する隼。しかし目の前の少年は、そんな隼の言葉に一切反応しなかった。
「キミもこれから任務? 雨が強いのに大変だな」
「…はあ、そうだな」
少年は少々面倒そうにしながらも、隼の雑談に応じる姿勢を取る。珈琲を口にしながら食休みをする少年を前に、隼はニコニコと人の好い笑みを浮かべながら、この少年を相手にどう言葉を紡ぐかを考えていた。
隼は今日、初めてこの少年との接触を図る。黒猫を直接探る時と違うのは、ここが隼にとって完全に敵地であること。自身が協力者であることが少しでも疑われれば、その時点でこの首とも別れを告げなければならなくなる。
隼は慎重に言葉を選びながら、それでいて自然に話を続ける。
「俺、数日前の試験でここに入ったばかりなんだけど、勝手がよくわからなくてさ。良ければ色々教えてくれない?」
「短時間なら」
敵と判断した者に容赦なく剣を振るう狼。言葉など交わさず、目に入る協力者を全てあの世送りにする死神。そんな戦場での姿しか見たことがなかった隼だったが、想像以上にこの少年の懐に入り込むことに苦戦していた。どんなに友好的な言葉をかけようとも、どんなに人の好い笑みを浮かべようとも、少年は黒猫以上に言葉を発さない。
黒猫も大概だが、目の前の少年は自分のことを一切語りたがらないタイプだと判断した。こういう相手は初対面で無理に詰めるよりも、じっくり時間をかけていく必要がある。
隼はパトレイトについて、組織の人間であれば誰もが知っているであろう質問をした。少年の望み通り、短時間で済む具合に調整しながら。
「ありがとう、とっても助かったよ。じゃ、お互い頑張ろうね」
少年——「白銀の狼」は隼のその言葉に返事をすることなくその場を去って行った。
その日から、隼は仕事の合間を縫い、「白銀の狼」が食堂に姿を現す時間帯を狙ってはパトレイトに足を運び続け、ちょっとした雑談相手にまでなった。
相変わらず口数は少なくほとんど言葉を発さないが、初対面の時に比べると口数は増えてきたように思う隼。このまま自然な形で黒猫の過去に関連する情報が引き出せるか、隼は試行錯誤をする。
白銀の狼と話していると感じることは、彼は親しい相手であっても、自分の過去どころか、今日は何があったとか、自分の好みだとか、そういった「自分」に関連するすべての事柄を一切漏らさない。そして、この少年には表情がないのだ。
声のトーンもずっと一定で変わらず、口元しか見えないが表情筋が動いている様子は、一切見られない。本当にこの少年は人間で、生きているのか? そう感じざるを得ない不気味さがある。
「…ところで、組織に来てからよく聞くようになったんだけど…黒猫って、なんのことなんだい?」
隼はそう踏み込んだ質問をしてみたことがある。しかし、白銀の狼は普段と一切変わらない声で、淡々と答えた。
「敵対組織の要注意人物だ。どこから見ても異常な雰囲気を漂わせているから、見かけても逃げろ」
「へえ…」
一瞬だけ吹き出しかけたのを必死に堪えた後、やはり収穫はないと心の中で嘆く隼。
基本的に対人関係が希薄な黒猫がご執心な白銀の狼本人は、黒猫に対してあまり興味がなさそうな態度であることに少々引っ掛かりを覚えるものの、隼は結局この日も収穫を得られなかった。
「じゃ、また来てもいい?」
「…ああ」
席を立ち、白銀の狼へ別れの挨拶を送る隼。その挨拶に返事を返してくれるようにまでなったことに、満足げな笑みを浮かべながら。
「…? アル、今の男は?」
「知らない人」
「そ、そうか」
細身だがしっかりと筋肉を携えたレイヴァの男と擦れ違った後、背後でそんな会話を交わしているのが聞こえる。
たった数ヶ月雑談相手をしている程度で未だ互いの名前さえ知らない関係であるため、白銀の狼が隼に対してそのように言うのも仕方がないことだ。しかし、隼は思わぬところで思ってもみない情報が転がり込んできたことに笑みを抑えることができなかった。「白銀の狼」はこの組織において「アル」と名乗っている、あるいは呼ばれていることが判明したからだ。
この「アル」という名前が彼の本名であるにしろそうでないにしろ、これは彼にとって大きな収穫の一つとなった。進展のなかった情報収集ばかりも無駄ではなかったと、その日は足取りも軽く帰路に就くのだった。




