第十話 独断潜入Ⅱ
「…隼さん、最近どこかによく出かけているようですが、どちらに行かれてるのですか?」
機嫌よさげな雰囲気で組織に戻ってきた隼に声をかけたのは、細身の若い青年だった。口元から指先までを全て覆い隠すような黒い服を着ており、背からはカラスのような漆黒の翼が生えている。
黒髪の隙間から覗く朱色の瞳は鋭く、隼の言動を一つも逃すまいと覗き込んでいる。
「お~烏くんじゃん。べつに、ただの情報収集だよ」
「情報収集…わざわざ敵地へ丸腰で、ですか?」
烏は知っていた、隼が日々出かける先が、自分たちにとって敵地である人間側の組織・パトレイトであることを。隼は自衛できるだけの実力を持ってはいるが、それでもたった一人で、連日、丸腰で敵地に足を踏み入れているのは、いくら仕事熱心であったとしてもかなり不自然に見える。
烏は黒蛇に対して心の底からの忠誠を捧げており、組織の人間が少しでも裏切るような真似をすれば、それを見逃すことはない。
「まあまあ、落ち着けって。今はある人の懐に入るのに、あの場所に通うしかないだけだから」
隼は両手を上げながら、烏にそう弁明する。
自分が怪しまれていることを理解している隼は、ここで弁明しなければ烏によって拷問まがいの問い詰めに遭うだろうことは明白だったからだ。
「…ある人の懐ですか?」
「そうそう。想像以上に情報を吐き出さないんだよ、その人。間違っても組織を裏切るような真似はしないから、安心してよ」
「その言葉に嘘偽りはありませんね?」
「ああ、誓って、嘘はないさ」
烏の鋭かった視線が普段通りに戻るのをみて、隼はほっと息を吐く。
「わかりました、その言葉を信じます。ですが、首領様を裏切るような動きを少しでも見せたら…わかっていますよね?」
「わかってるわかってる、俺とてあんたや黒蛇を怒らせるような真似はしないよ」
隼の言葉に嘘がないことを見届けた烏は、静かにその場を去って行った。
緊張がほどけた隼は静かに息を吐きながら、今日も忠臣の役割を果たす烏に感心するのだった。
*
「こんにちは、また会ったね」
いつも通り食堂に姿を現した「白銀の狼」——アルに向かって、ニコニコと人の好い笑みを浮かべながら親しげに話しかける隼。この頃になると、席が空いていないことを理由にしなくても、アルの方から席を勧められるようにまでなっていた。
隼はアルに席を勧められるまま座り、いつも通りの雑談という名の情報収集を開始する。
数か月もの時間をかけてここまで来たが、依然としてアルはほとんど自分について明かさない。おそらく誰に対しても、普段からこのような態度なのであろう。
自分について明かさないのなら、こちらが関連する質問を投げかけ、そこから興味関心を引き出し話を広げる——それが雑談から情報を得る手段になる。しかしアルは雑談から自分の情報を抜き取られるということを熟知しているようで、黒猫と同じく一切が不明であるということのみがわかっただけであった。
「…今日は、何か収穫があったか?」
「え?」
普段と変わらない声、雑談に応じる時とほとんど変わらない流れで、唐突に切り出された言葉。少年のその言葉が何を意味しているのか、隼は様々な可能性を考える。
「収穫? そうだなあ、君との雑談はいつも有意義で、収穫だらけだよ」
「そうか」
アルは食後の珈琲を嗜みながら、普段通りの態度で返事をする。いつもと違うところがあるとすれば、アルが隼に対して不自然な質問をしてきたことだ。後ろめたい事情を抱える隼にとって、この小さな変化は決して見逃せることではなかった。
動揺を悟られてはならない。可能な限りいつも通りを装いながら、何も後ろめたいことなどないのだと、新人を演じるのだ。
「そういえば、最近新しく設置された諜報部隊から、面白い話を聞いた」
「面白い話?」
コーヒーカップをテーブルに置き、肘をついたアル。自分から話題を切り出してくるなんて珍しいと思う隼だったが、警戒は一切解かないまま、アルのそんな雑談に応じる姿勢を取る。
「十五年前、かつて裏社会の情報を牛耳っていた人物がいたらしい」
「うん」
「平凡な容姿だけれど、口封じのために送られてきた刺客は皆返り討ちにされるくらいの実力を持っている、とか」
「へえ、すごいね。でも十五年も前なんでしょ?」
「そう。十五年前に死んだと思われていたらしいんだけど…今はどうやら、協力者と手を組んでいて、相変わらずその情報収集能力は衰えていないとか」
隼は全身に嫌な汗が噴き出してきていることを感じていた。なぜ、アルは今、この話を切り出してきているのか、ほぼ確信に変わっていたからだ。
アルは最後の一口を飲み切ると、隼に向かって再び口を開く。
「それで、イヌワシが、そんな面白い奴がいるならこちら側に引き抜こうって豪快に笑うものだから、皆驚いて開いた口が塞がらなかった」
「…え?」
予想外すぎる最後のその言葉に、隼は思わず声が漏れ出してしまった。この少年は今、目の前にいる男が隼だとわかって話していたのではないのか? と。
頭の整理が追い付く暇もなく、隼が気づいた時には、首筋に冷たい金属の感触があった。
「…お前が協力者の隼だということはすでに分かっている。大人しくしていてもらおう」
「おっと…」
背後からかけられた声の持ち主は、以前帰りに擦れ違ったレイヴァの男だった。いくら実力のある隼とはいえ、戦闘民族の血を引く者が二人も相手では分が悪く、大人しく両手を上げ、降参の意を態度で示すしかなかった。
「あー、もう終わっちゃった? 案外あっさりなんだな」
隼の首筋に短剣を当てている男の背後から、もう一人レイヴァの男が姿を現す。容姿の特徴を見るに、細身ながら筋肉を携えている男はユーリ、背後で槍を手に持つ男は回復魔法使いのレグだろう。
この首とももうお別れかと、最期まで黒猫という男の秘密を暴けなかったことを心の底から残念に思っていた時、食堂の外に面した壁から大きな破壊音が炸裂する。食堂でいつも通りの日常を過ごしていたはずの団員たちがパニックに陥って逃げ惑っていると、隼の襟を掴んで行く者がいた。
細身で長身の、漆黒の青年、烏だった。
「…あなたが「白銀の狼」さんですね」
砂埃がようやく収まってきた頃、太陽の光を背に翼を羽ばたかせる烏は静かに言葉を放った。
アルはそんな烏の言葉に返事をすることなく、一瞬で距離を詰めてきたかと思えば、手に握る剣を振るった。しかし烏は一切動じることなくその攻撃を、翼を羽ばたかせて高度を上げることで回避すると、先ほどと変わらない声で冷静に言葉を発した。
「アナタと戦えないのは残念ですが、今回のボクの任務はこの男の回収のみですので、今日はこれで失礼します」
「ちょっとちょっと、俺の扱い方雑過ぎない?」
首根っこを掴まれて窮屈だった隼。なんとなく烏の言葉の節々に、自分が物扱いをされているかのようなニュアンスがあったことを感じ取って苦言を呈する。
「…アナタには帰ってから、首領様からお言葉があるそうです。これくらい我慢してください」
「うわ~…」
そんな会話をしながら、烏はより大きく翼を羽ばたかせると、パトレイトから飛び去って行った。




