第八話 廃町で
すべてが謎に包まれた黒ずくめの青年、黒猫。
世界中のどこを探しても出生や定住の記録はなく、また冒険者時代においても全くといっていいほどその実力が露わになった履歴はない。本名も年齢も出自も、どこかの国で優秀な騎士や兵士、また傭兵や冒険者などの戦闘職として名を挙げていた人物だったのかも不明で、文字通り突然この世界に現れて、実際に存在している男。
そして非常に奇妙なことに、黒猫の見た目はただの人間の青年でしかないが、協力者として突然姿を現したのは二十年も前のことであるにもかかわらず、当時と見た目が一切変わっていない。魔族や悪魔でも、あるいはその他の長命種にも一切当てはまらない彼の正体は、誰も知らない。
「はあ~あ、勿体無い。あんなにも綺麗な剣技は、今まで見たことがないってのに」
自分たちに歯向かう人間を狩り尽くす黒猫の姿を高所から見守るのは、協力者たちの情報通、隼。そして、隼の隣で同じく任務を遂行している有翼族の男、梟だ。
「やめろ。俺はあの剣技を見る度、全身の毛という毛が逆立って仕方ないんだ」
「お前の翼を間違って切り落とされでもしたらお終いだもんな。あの中に一歩でも踏み込んだら、お前の梟という名は剥奪されちまう」
「そういう問題ではない。…あの剣は、狂っている。まるで生きているかのようだ。狂気に満ちた感情が渦巻いていて、とても逃げられるとは思えない」
「ふうん…俺にはよくわかんないけど」
遠くから眺めているだけでも全身が震えあがるほどの恐怖を感じている梟は、有翼族特有の第六感のようなものが働いていた。
有翼族は人や物、あるいは自然に存在するありとあらゆる物の感情を直感的に察知する感覚が発達しているという。これにより目の前の生物が攻撃をしようとしているのか、あるいは逃げようとしているのかなどがわかるため、次に自身がどのような行動を取れば良いのかがわかるらしい。
空の支配者であり、獲物を捕らえる狩人としての本能か、あるいはそのために進化してきた結果なのかはわからないものの、自分の身を守るという意味でも非常に優秀で便利な能力であることに変わりはない。
「今日も今日とて良い働きっぷりだな、黒猫さんは」
「ああ。今の数分で、ざっと百人以上は殺しただろう。首領に報告しに行くから、お前は引き続きここに残れ」
「はいよ」
ひらひらと手を振りながら梟を見送る隼。その視線は相変わらず黒猫に注がれたままであり、一切離そうとはしなかった。梟はそんな隼の様子にため息を吐きながらもいつものことだと流し、翼を広げて飛び去って行った。
「今日は観客が多いな」
敵の首を容赦なく切り落としながら、周囲から感じる複数の視線に多少の不快感を覚えていた黒猫。別に見られていること自体は構わないのだが、あまりにも視線が多いと、まるで監視されているかのように感じてしまうのも無理はないだろう。
そんな観客の一人であるハルバードを携えた大男が、黒猫に向かって足音を隠すそぶりもなく近づく。
「よう、黒猫。派手にやってるじゃねーか」
「お前のよりか綺麗だろ」
「ああん? もう一回言ってみろ俺のが汚えって?」
「…耳腐ってんのか」
これ以上相手にしても無駄なことがわかっている黒猫は、早々に大男との会話を切り上げてしまった。
大男のコードネームは「鰐」。鰐のように強靭で凶悪な「顎」を持つ身長二メートル弱の男で、ハルバードを用いた粉砕を得意とする戦闘スタイルである。
メイン武器であるハルバードだけでなく、鰐の名を与えられるだけあって顎の筋肉が異常に発達している。彼は鰐の獣人の血を引く人間であり、顎にはその凶悪さを増幅するための装置が肉体に直接取り付けられていた。
「黒猫、俺と戦え」
「断る」
「また逃げんのか!」
「別にそう思ってくれていいぜ~」
黒猫は鰐の要求を躱すと、仕事を終えたためその場を立ち去ろうとする。
「黒猫、幹部たちから次の仕事が入ってる」
「は~?」
伝令役の隼が、立ち去ろうとする黒猫の背後に立ちそう告げてきた。
仕事嫌い、命令違反で有名な黒猫に対して連続で仕事を命令するのは、幹部たちによる黒猫への嫌がらせとも捉えられる。しかし基本的には温厚な黒猫は、特に怒るでもなく、面倒な時は正直に仕事を放棄してサボるため、特に問題も起こらずただただ幹部たちにストレスが蓄積していくだけとなっていた。
「知らね。すでに連勤で疲れてるし、今日は帰るわ~」
「おい! まだ話は終わってないだろ!」
「あー、はいはい、また今度な~」
ひらひらと手を振りながら鰐に返事をする黒猫。次の瞬間には、誰の目にも捉われることなく、その場から姿を消していた。最初から最後までスルーされ続けた鰐は悔しさのあまり叫び声をあげながら、すでに姿を消しているはずの黒猫を探しに飛び出して行ってしまった。
「え、ちょ、こら鰐! お前仕事があるだろ!?」
既に姿が見えないほど遠くへ行ってしまった鰐の背中に向けて叫ぶ隼。黒猫に関してはいつものことだし大して気にもしていなかったものの、鰐は黒猫を追いかけて行ってしまい、上司にどう報告しようか頭を抱える隼だった。こうなってしまった鰐は、日が暮れて黒猫が見つからないと諦めるまで帰ってこないからだ。
倒壊した建物の瓦礫が片付けられずに放置された廃町の中で、誰にも聞こえる大声で叫ぶ鰐。その声は瓦礫にぶつかってはこだまし、数キロ先にいる人間でさえ聞こえそうな勢いだった。
「おい!! 黒猫ー!! 隠れてねえで出てこいッ!!」
「うるせぇ」
瓦礫の上で横になっていた黒猫は、鰐のあまりの大声に鼓膜が破られそうになりながら姿を現す。その表情はあからさまに不機嫌であり、まるで眠りを妨げられたかのような感情であった。
「やっと出てきたか! 俺と戦え、黒猫!」
鰐が毎回鼓膜が破れそうな大声を出すので、黒猫は不愉快さを隠すことなく両手で自分の耳を塞ぐ。その目は諦めというか、呆れてものも言えないような表情である。
「はいはい、聞こえてるって。今日は物足りなかったし、ちょっとくらいなら相手してやる」
「そう来なくっちゃなァ!」
鰐は嬉々として肩に担いでいたハルバードを音を立てながらぐるぐると振り回し、戦闘の構えを取る。
明らかに重量級の武器であるはずなのに、その音は鋭く、当たってしまえば人間の脆い肉体はあっさりと切り裂かれ、砕かれてしまうだろうことは明らかだった。鰐の武器の扱いに一切のブレはなく、ピタリと動きを止めたハルバードの周囲に衝撃波のような風が舞う。
黒猫も剣を鞘から抜き、空気を切り裂くような鋭い音を立てながら構える。
一般人からしたら、黒猫の立ち振る舞いは隙だらけで、剣を持ったまま棒立ちしているようにしか見えないだろう。しかし鰐は、黒猫がただ棒立ちしているだけではないことを知っていた。
前後左右、上下どこから攻めようが、黒猫の反応速度には誰も敵わない。黒猫は実際隙だらけだが、どんなに隙を作ろうとすべての攻撃に反応できるだけの実力と自信があった。自然体のまま立っていることで、どこからのどんな攻撃にも瞬時に反応できるよう、敢えて力を抜いているのだ。
「お先にどうぞ」
「言われなくても行かせてもらうぜッ!」
そう言葉を発してから、鰐はハルバードを黒猫の左脇腹から右肩にかけて切り上げる、左逆袈裟切のような動きで攻め始める。黒猫は左目に眼帯をしているため左側が死角なのか、この角度からの攻撃への反応はいつも遅いからだ。とはいっても、あまり大差はない。
結局鰐の先制攻撃は黒猫の剣によって防がれ、若干ではあるが鰐のハルバードはその防御によって弾かれる。しかしすぐに立て直すと、今度は上段からハルバードを振り下ろす。
「オラァッ!」
黒猫はそれを後ろへ避けるが、鰐のハルバードは地面を粉砕し、周囲に砂埃が舞い上がった。
「うおおおッ!!」
砂埃により視界が悪い中、雄叫びを上げながらハルバードを振るう鰐。黒猫は表情一つ変えることなく剣を振るうと、鰐が持っていたはずのハルバードが宙を舞っていた。音を立てながら回転を続け、やがて地面に突き刺さった。
「…ぅおい! そりゃ反則だろ!!」
「ちゃんと武器を握ってないお前が悪いだろ」
「ぐぬぬ…!」
黒猫にド正論をぶつけられた鰐は、確かに、と歯を食いしばる。
本来ならば、武器の重量も頑丈さも、攻撃範囲さえも有利に働くのはハルバードの方であるが、力でも技術でも未だに黒猫に勝てないでいる鰐は、一切言い訳することもなく自らの武器を拾いに行く。
黒猫の持つ漆黒の剣は、どんな衝撃にも耐える代物だ。大岩を切ろうと欠けることはなく、鉄球やハンマーと打ち合ってもむしろ鉄球やハンマーのほうが切れてしまう。もちろん、黒猫が持つ剣の技術によって成せる技でもあるのだろうが、それでも限度がある。
五十年もの年月を、剣術の修業に捧げた老人がいた。彼は生涯を一本の刀と共にすることを誓っており、剣が折れる時が自身の生涯の終わりの時であると公言していた。
ある日、その老人と黒猫が対峙し、黒猫が老人の刀を真っ二つに折ってしまった事件が起こった。
老人は山を切り裂くほどの剣術の達人であったが、黒猫はそんな老人が振るう刀をあっさりと切ったのだった。剣の技術だけでは語り切れない何かが、おそらく黒猫の持つ剣自体に存在していると、鰐は直感的にそう感じていた。
「次は絶対に負けねえ!!」
「はいはい、前もそう言ってたな~」
「うるせえ!! 次こそは勝つ!!」
「…うるせえのはどっちだよ…」
鰐による空気を震わせんとする大声に耳を塞ぎながら、黒猫は呟く。そんな黒猫の言葉に気づきもしない鰐は、ドカドカと足音を立てながらその場を去って行った。
ようやく騒がしいのがいなくなったが、暇つぶしのおもちゃがいなくなったことで、黒猫は退屈そうにあくびをする。
「昼寝でもするか…」
軽く背伸びをした黒猫は、鰐によって妨害された昼寝を再開すべく、瓦礫の上へ身軽な身体を活かして登り、そこに寝転ぶのだった。




