第五話 休日の過ごし方 Ⅰ
パトレイトの紋章が描かれた馬車の中で、レグはアルの腹の傷に回復魔法をかけ続けていた。
細い剣で腹から背まで貫通していたが、大きな血管や内臓は傷ついておらず、それほど魔力を消耗しなくて済む位置だったため、なんとか動いても支障がない程度には回復できた。
「…ありがとう、レグ」
「はいよ。それにしても、魔力が多いってのは厄介だな。いいことなんだか、悪いことなんだか」
現代ではかなり珍しくなった、アルの青い瞳。これは大量の魔力を保有している証であり、魔法学が発展していた時代では、それはそれは重宝された色である。
生まれた頃から、その者が保有できる魔力の量は定められており、それを超えて体内に魔力を保有することはできず、使うこともできない。
アルのように鮮やかで深い青色の瞳は、最高峰の魔力を持つ者の証である。
だが、これには大きな代償が伴う。体内の血液中にはその者が元より保有する魔力が流れているのだが、魔力保有量というのはこの血液中の魔力密度を指すものであり、密度が高いほど多くの魔力を保有できるという意味でもある。
魔力の密度というのは、高ければ高いほど他の魔力を受け付けにくい性質がある。つまり、怪我をした際に回復魔法を施すのが難しいということだ。高い密度を持つ魔力の中に魔力を込める方法は二つ、上級以上の魔法を扱うことと、より高い密度の魔力を込めることだ。
アルは魔法学全盛期の魔法使いよりも遥かに高位な魔法使いだが、身体に穴が空き、常に魔力が外に漏れている状態で自分自身に魔力を込めるのは、穴の開いた桶に水を入れるようなもので効率が非常に悪くなってしまう。故に、非常時以外はこうしてレグに上級回復魔法を施してもらうようにしているのだ。
「いいことなんじゃないかな」
「怪我を自分で治せないのはいいことではないだろ…」
「頑張ればできる」
「それをやったら頭痛くなるでしょうが」
回復魔法とは、二種類ある。
光属性や水属性は傷や病、体力などを回復させる作用を持ち、魔力を込めることで患者の回復力を促進し、傷の治りを瞬時に高めるもの。これには患者の体力の消耗もあり得るため、命に関わる大きな傷の場合、回復魔法を施していても命を落とす可能性はあるが、術者自身の魔力の消費自体は多い方ではないため多くの患者を治すのに向いている。
そしてもう一つの命属性は、術者の魔力を用いて傷を完璧に治すものだ。死に直結する傷でも、術者の魔力次第では完治までしてしまうし、欠損した部分を根から再生させる能力を持つ。その代わり、卓越した魔力操作と多くの魔力を必要とする。
レグが使用する上級回復魔法は前者の光属性のもので、元より光属性の適性が高いレグは、少ない魔力消費で上級回復魔法である超回復を使うことができるのだ。危険な任務が多い銀月のメンバーにとって、最低限の自衛ができ、上級の回復魔法が扱えるレグの存在は必要不可欠だった。
「頭の傷も治しておこうか」
「そこまでは…」
「いいから、遠慮はしない」
レグに押されるようにして、アルは大人しく頭の切り傷も治してもらった。昨晩十分に休んで、朝食もしっかり摂って魔力も体力も回復したレグにとって、この程度のことは造作もない。
「…ごめん」
「謝らないの。こういう時は、なんて言うんだっけ?」
「…ありがとう?」
「はい、よく言えました」
そう言って、治療が終わったレグはアルの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「…やめろ」
ボサボサになってしまった髪を軽く整えながら、アルは嫌そうに言った。レグに頭を撫でられたことに関しては、まんざらでもないようだったが。
そんな二人のやり取りを向かいの席から眺めていたユーリが、安堵したように笑みを浮かべながら口を開いた。
「それにしても、顔色は昨日よりはよさそうで何より」
「…そうか?」
そんな自覚など全くないアルは、自分の顔を触りながら返した。
隣に座っているレグも、アルの目元にあったクマが少し薄くなっているのを確認し、笑みを浮かべながら続けて言う。
「確かに、昨日はちょっと寝れたみたいだな」
「……」
アルは酷い不眠症を患っており、二徹三徹、五徹程度は当たり前だ。
それでも休まないのは任務に支障をきたすため、任務中以外は部屋でできるだけ寝ることに専念している。ユーリとレグがアルと共に行動するようになってからの五年間、彼が趣味などをしている様子を見たことはない。
「もう少し寝るか? イヌワシが用意してくれたこの馬車、かなり乗り心地もいいし少しは寝れるんじゃないか?」
体力を消耗しているであろうアルを気遣い、レグがそう声をかける。
車輪と車体の接続部分に仕掛けがあるらしいこの馬車は、道端の石ころを踏んだ程度では揺れが発生せず、山道を走っても尻や腰に負担がかからない設計のため、少しは睡眠がとれるのではないかと考えたのだ。
しかしアルは少し考えた後、首を横に振った。
「いや、いいや」
「そうか」
「もし眠気が来たら、少しでも寝ておくようにな」
パーティの仲間として純粋に自分を心配する声にアルも悪い気はしないのか、眉間のしわも和らいでいた。
「…ああ」
目を閉じ、背を椅子に預け、その後のユーリとレグの雑談に耳を傾けながら、本部への帰りの時間を過ごすのだった。
*
「休暇だ」
「え?」
「は?」
「……」
パトレイト本部の団長室で響いた声。
襲撃された町を訪れ、魔族と遭遇し、遠征を終えて帰ってきてから数日後の銀月は、団長であるイヌワシに揃って呼び出され開口一番言われたのは、三人が一切予想していなかった言葉だった。
「聞こえなかったのかい? 休暇だ、休暇。上級の魔族一匹に中級の魔族を二匹退治、その後下級の魔族を大量に殲滅したんだ。パーティの功績としては十分すぎる成果だ。リーダーのユーリには金貨三十枚のボーナス、レグとアルには金貨十五枚のボーナス、そして三人にしばらくの休暇を与えることにした。最低一週間、その後は無期限の休暇だ。以上、さあ解散解散」
「待ってくれ、イヌワシ。無期限って、具体的にいつまで?」
「さあね? 一週間経ってから何か任務があったら呼び出すから待ってな。最低一週間は何もないと思ってゆっくり休んできな。ほら仕事の邪魔だ、帰った帰った」
無理矢理執務室から追い出された銀月の三人。ユーリがパーティを代表して質問するも具体的な回答は得られず、急な休暇の申し渡しにより困惑する。
これまで彼らは、パトレイトトップのパーティとして常に遠征や任務により忙しくしていた。しかし、ここに来て急に休暇を言い渡されてやることなど見つからず、困惑してしまうのも無理はない。
「…とりあえず、ご飯食べに行く?」
「…そう、だな」
固まってしまっていたリーダーを見かねて話しかけたレグに、ユーリもそれ以上答えられず、普段はほとんど行けない食堂へ向かっていった。
パトレイトでは、B級以下の団員は混雑する食堂で三食を済ませる。人数が多く特定の時間に混雑具合が変動するため、かなり広いスペースが設けられている。
A級以上の団員は分刻みでのスケジュール管理が要求されることも多いため、特別にA級以上の団員専用の食堂や個室が用意されているのだが、今回は時間もあることだし、たまにはゆっくり食事をしようということで、三人は一階にある大食堂まで足を運んだ。アルは相変わらず顔を見られるのが苦手のようで、フードを深く被っている。
「えっ、あれって…!?」
「え!? もしかしてA級のユーリ先輩とレグ先輩?」
「ってことは、後ろにいるのはアル先輩なのか?」
「嘘だろ…? トップパーティの銀月がなんでここに?」
普段は滅多に目にすることのないA級の団員が、中級以下しかいないはずの食堂に顔を現したことに、皆が驚いているようだ。
人が空いている時間帯だったため席を占領したりなどして皆の邪魔をすることはないと考えていたユーリだったが、ここまで目立ってしまうほど自分たちの顔が有名であることを自覚していなかったらしい。
「あー、食事の邪魔をしてしまってすまない。俺たちは普通に食事をしに来ただけだから、どうか気を遣わず、いつも通りに食事を続けていてほしい…」
真面目なユーリは、自分たちが皆の食事の邪魔をしてしまったと思い、堅苦しい言葉で謝罪をした。
そんなユーリの様子を見ていたレグは、見かねてため息を吐いてから顔に親しみやすい笑みを浮かべながら手を叩き、よく響く声で言った。
「あはは、うちのリーダーは真面目過ぎなんだよな。賑やかな食堂で食べたくて来たんだ、みんないつも通り喋りながら食べててくれよ」
レグは普段から下級の団員とも親交が深く、彼を知っている者はレグのその言葉を聞いて肩の力を少し抜いたようだ。
「ふむ、知っている顔もいくつかあるな。こいつらは俺と仲良くしてくれるパーティメンバーなんだ、皆が思っているほど怖い先輩じゃないから、俺に免じていつも通りに振舞っていてほしいな。さ、二人とも、飯もらいに行くぞー」
レグがそう声をかけながらユーリとアルの背を押しながら歩き始めると、少しずつ日常の騒がしさが戻って行った。
珍しい人物たちの登場に視線が集中してしまうのは仕方のないことだが、それでも静かな個室で食べるよりも賑やかで、平民出身の彼らにとってはこれくらい賑やかな方が有難くはあった。
「ふう~。お腹いっぱいだあ…」
「久しぶりにゆっくり食事ができたな。この後をどうするか…」
「うーん…」
元より自分の時間を過ごすことなど難しいほどに忙しい身の三人だ。いきなり休暇を与えられたとて、やることがすぐに見つかるはずもない。
街へ出て買い物をするにしても、必要なものは任務中に立ち寄った店などで調達しているし、武器のメンテナンスも怠っていない。定期的に鍛冶屋へ持っていき様子も見ているため、わざわざ休暇にやることでもないだろう。
一週間もの休暇をもらった以上、初めは体を休めることに専念してもいいかもしれない。しかし三日目に突入した途端、本気で何をしたらいいか悩むことになるだろうことは予想できた。身体を動かして腕が鈍らないようにするにしても、残りの日数をそれに費やすのでは休暇の意味もなくなってしまうだろう。
適度に身体を動かしつつ、心も体も休められる方法は何か、彼らにはそれがわからなかった。
「俺、皆が休暇に何してるのか聞いてこようか?」
「……それも一つの手か」
真面目で、計画を立てなければその日何をして過ごすのかを決められないユーリを見たレグが、見かねてそう提案する。少し間を置いた後、ユーリは苦渋の決断をしているかのような顔でうなずく。
ユーリが悩んでいた理由は、団員たちの貴重な日常の時間を、自分たちの休暇の過ごし方を決める参考にするなどといったくだらない理由で邪魔したくなかったからだ。
ユーリは非常に真面目で几帳面な性格だ。自分のことは自分で決めるし、自分が他人に甘えることを許さない。その割には他者が自分を頼ることを積極的に勧めていて、誰かの世話をすることを好む。
しかし参考にする材料がない中で休日の計画を立てなければならず、自分に厳しいユーリにとって、他人に甘えてはいけないルールと、計画を立てずに一日を過ごしてはいけないルールが激しく衝突した結果、苦渋の決断で後者を重く見たらしい。
「…ユーリ、わからないことを聞くのは別に甘えじゃないと思うよ」
「頭ではわかっているんだが…」
そんな真面目なユーリの性格を知っているレグは、仕方ないな、と微笑みながら、食器を持って立ち上がる。
「ちょっと待ってろ、俺が今からみんなに聞いてきてやる」
「ああ…頼む」
食後の珈琲を口にするアルを見て、食事は終わったのかと、ユーリが声をかける。
「うん」
「アルは休暇をどう過ごすつもりなんだ?」
「本でも読もうかな。合間に身体を動かして…寝て…そうだ、たまには料理でもしてみようかな」
「ん? 料理?」
アルの口から意外な単語が飛び出してきて、ユーリは目を見開きながら聞き返した。
アルとの付き合いはそれなりにあるが、ユーリはアルが趣味の時間を過ごしているところを見たことがない。任務で共に時間を過ごしている中で、戦うことや魔法…ではなく、アルの場合は魔術の研究をしているか、部屋で寝ているところしか見ていない。
暇な時間に本を読んでいるところは時々見かけるが、それだけだ。野営中にみんなで料理をすることはあるが、アルの役割のほとんどは薬草や山菜の採取、時々肉類の狩猟などだ。調理自体はレグの役割で、アルが自ら手を加えることはほとんどない。
「アル、お前、料理をするのか?」
「まあ」
「意外だな。どんなものが作れるんだ?」
「えっと…オムライスとか、チーズケーキとか」
へえ、と相槌を打つユーリ。アルの意外な趣味を知れたことが嬉しかっただけでなく、現代では貴重な菓子を作る知識を持っていることにも驚いていた。同時に、アルの作る料理とデザートに少し興味が湧いたのだった。
「アル、材料費は俺が払うから、もしよかったら俺とレグにも作ってくれないか?」
「いいけど」
一切のためらいもなく頷くアル。ユーリは嬉しそうに笑みを浮かべていた。
砂糖もチーズも現代では金の問題ではなくなり、自分が食べるために貯蓄している者も存在している。ユーリはイヌワシに支払われたボーナスの使い道に困っていたが、大事な仲間のアルの趣味が知れるだけでなく、貴重な甘味を味わうのも休日の楽しみの一つとなった。
「それにしても、アルは休日の過ごし方に慣れてるようだな。こんなことなら、レグに聞きに行かせなくてもよかったかもな…」
「…俺のは参考にならないよ。昔、暇つぶしに本を読んでダラダラ過ごしてただけだし」
「そうか? そういえば、お前の生い立ちとか、ちゃんと聞いたことがないな。もし休日中に時間があったら、三人でゆっくり話すのもいいかもな。もちろん、お前たちがよければ、だが」
五年もの付き合いがあるというのに、三人はお互いにお互いの過去をちゃんと知らない。アルに関しては実年齢すら曖昧なところがある。
出会った当初、アル本人は十五歳だと言っていたが、五年経った今でも当時の姿のまま成長していないことにユーリもレグも気づいていた。しかし、ここはパトレイトであり、パトレイトでは過去や生い立ちを詮索されたくない者たちが集まっている。故に、過去の出来事に関して詮索するのはタブーとなった。
ここでは入団してからの素行と実績のみが評価されるため、過去の栄光も汚名もすべて平等であり、皆がゼロからやり直す場所である。しかし、銀月は結成当初から五年間、ずっと同じメンバーで戦ってきた仲間だ。これからも変わらず共に行動する仲間として、仲間のことをより深く知りたいと思うのは、人として当然のことであった。
「どちらでも構わない」
「…意外だな。お前は自分のことを、あまり知られたくない奴なんだと思っていた」
「聞かれなかったからな」
「はは、なるほど」
そうは言っているが、五年前に出会った頃のアルは、決して他人を近づけない少年だった。目に光はなく、命令違反をしてでも積極的に協力者を狩りに行く姿はまるで獣のようで、仲間であるユーリとレグが声をかけても会話など続かなかった。
勧誘に行った担当の団員は、アルが常に放っていたあまりにも強い殺気に当てられたせいで生きた心地がせず、任務後は一週間以上寝込んでしまったという話もある。
アルが言葉のキャッチボールをしてくれるようになったのもごく最近のことであり、ユーリとレグが諦めずアルに話しかけ、コミュニケーションを図ってきた成果なのだ。今でも無愛想だと感じることはあっても、誰も寄せ付けなかった昔の態度とはかなり違う。
「あ、そうだ。明日にでも街に買い出しに出かけようと思うんだが、料理の材料は何を買ってきたらいい?」
「必要ない」
「いや、特に砂糖は今高いからな。作ってもらう立場だし、俺に払わせてくれ。せめて材料費がいくらかかるか教えてくれ」
「いや…二人にはいつも世話になってるし、それで十分…」
「仲間として当たり前のことをしているだけだろう。それに代価なんか必要ない」
「……はあ…」
少しの沈黙の後、アルは諦めたかのようにため息を吐く。几帳面で自分に厳しいユーリは、こうなったら聞かないことを知っているからだ。
「金貨一枚だけでいい。これ以上は譲れない」
「安すぎるんじゃないか? チーズケーキを作るにしても、砂糖もチーズも高いだろう。金貨二十枚は要ると思っていたんだが」
「本当にそれくらいしかかかってないんだ、昔買い貯めた材料で、空間魔術で当時のまま保存しているから気にしなくていい。在庫整理も兼ねてるし、金には困ってない」
ユーリが真面目で几帳面なのと同じくらい、アルも真面目で几帳面な性格をしている。金勘定に関して二人ともが似たようなルールを持っているし、見合う代価しか支払われたくないし、支払いたくない。
アルがここまで必死に長文を話すのも珍しく、ユーリは思わず言葉を返すのを忘れてしまった。
「…昔買い貯めた? お前が生まれた当時の食糧のレートは、今とあまり変わらなかったと記憶してるんだが…」
「今は気にしなくていいことだ」
確かに自分たちは金に困っておらず、特にアルに関してはユーリやレグよりも金を使わないため、なおさら扱いに困ってしまうことだろう。せめて金貨一枚だけでも、金を払わせてくれるだけ感謝すべきとも言える。
…それでもやはり納得がいかなかったユーリは、できるだけ互いにとって公平になるよう、諦めず説得を続けた。
「…わかった。困らせてしまったならすまない。しかし、昔に買い貯めた物だとしても、今では貴重な食糧に変わりはない。せめて半分の十枚は払わせてくれないか?」
「あ…ごめん。公平に考えるならそれくらいが妥当か……わかった」
自分のルールを守りたいがために、相手のルールを無理矢理捻じ曲げさせるのも違うと思い直したアルも、申し訳なさそうに謝った。
ユーリの言う通り、アルが貯蓄している食糧の当時のレートと現在のレートは大きく異なるのだろうが、互いにとって公平に考えるのであれば間を取るのが正解とも言えるだろう。
最終的にはお互いが納得し、ユーリは笑みを浮かべながら、先ほどイヌワシから受け取ったボーナスの一部である金貨を十枚取り出し、アルに渡した。
「ありがとう。これでいいか? 確認してくれ」
「…ああ」
アルも頷きながら、ユーリに差し出された金貨を十枚受け取った。




