9話 教科書の外
訓練場の端からは、絶え間なく爆音と金属の打撃音が響いていた。他のクラスは魔法放出制御試験の最中だ。石造りの巨大な的に向け、生徒たちが魔法の弾丸を撃ち込んでいる。
このくだらない試験に参加するつもりはない。
私は木陰のベンチに腰掛け、小瓶を光に透かした。中の液体は、揺れるたびに薄く光を反射した。
グレインから採った肉片を分け、濃さを変えた分泌液を試した。魔力への攻撃が集まる箇所にもオペルクラはできたが、濃いものでは、その隣の器官を保つ配列まで隠れてしまった。
少しずつ薄めると、隣の配列を露出させたままオペルクラが残るものがあった。それより薄ければ、隠したい箇所の途中で縁が途切れる。私は隣まで覆ったものと、途中で剥がれたものを除き、境目で止まった濃さに合わせてきた。
同じ薬液が、自己強化で変わった腕にはどう付くか。魔法を使わせながら、その変化も見ておきたい。
近づいてくる足音に顔を上げると、精霊男とピュラが立っていた。
「遅い。放出男はどうした?」
「……来ねえよ。あいつはまだ、安静にしてなきゃいけないんだ」
精霊男は拳を握りしめたまま顔を下げた。その隣でピュラは腕を身体へ引き寄せている。
「なら二人で進める。今日は擬態魔法の検証だ。おい、腕を出せ。自己強化を纏え」
ピュラは一瞬息を詰まらせた。精霊男へ顔を向けたが、私が手を差し出したまま待っていると、ゆっくりと腕を伸ばした。腕に力を込めると、筋肉がみしみしと盛り上がり、その表面に赤い炎が立ち上った。
「よし、一度自己強化を解け」
ピュラが息を吐くと、炎がすうっと消えた。私は熱が引くのを待って試薬を指で掬い、腕の皮膚へ塗りつけた。試薬を細胞の内側へ届かせるため、指先から微弱な雷魔法を放った。
ピュラの指が引きつり、肘がわずかに曲がった。
「もう一度、腕を強化しろ」
再び腕に力が込められると、先ほどと同じ赤い炎が上がった。見える範囲では、まだ変化はない。
「おい、精霊を喚べ。こいつの腕へ向けて炎を出させろ」
「……何のために!」
「前の標本では、熱を与えると細胞の活動が戻った。熱を加えた状態で、この試薬がどう働くかを見る」
「また、こいつを焼くのかよ」
精霊男はピュラの腕に視線を落とした。ピュラは燃える腕を見つめたまま、唇を噛んでいた。
「弱い炎から始めればいい。出力を変える時は言え」
「……少しでも様子が変わったら止めるからな」
男はしばらく動かなかったが、やがて私から目をそらし、短く言葉を紡いだ。前方に赤い光の粒が集まり、精霊の輪郭を結んだ。その口から細い炎が伸び、女の腕を包んだ。
赤や青の光が、皮膚の上で不規則に明滅した。パチッ、パチパチッと甲高い音が続き、火花が散った。女の手首が跳ね、そのすぐ上の皮膚が黒く焦げた。
「あぁっ……!」
「ピュラ!」
ピュラが膝をつくより早く、精霊の姿が消えた。男は女のそばへ駆け寄って肩を支えたが、火花の消えた腕へ伸ばしかけた手は、皮膚に触れる前に止まった。
「ごめん……。俺が……」
女は男の服をつかみ、顔を伏せて息を吐いた。男はその背へ手を回して抱き寄せ、もう一度、小さな声で謝った。頬を伝った涙が、女の肩へ落ちた。
「こんなの、もう嫌だ……。こんなの授業じゃねえよ」
失敗か。
私は手帳を開き、光った順序と火傷の位置を書き留めた。青い光が出たのは手首側だったな。皮膚の変化も、もう少し近くで見たい。
「腕を見せろ」
一歩近づくと、精霊男が女を抱えたまま身体をひねり、私に背を向けた。
「もうやらせねえ。近づくな」
「焼けた箇所を確かめたいんだが」
「見てたろ! 俺が焼いたんだぞ! もう、俺にやらせるな!」
私は立ち止まり、男の肩越しに女の腕を覗き込んだ。男が身を寄せるたびに腕が隠れ、手首が見えなくなる。
「……アトスくん」
女が男の服を引いた。
「炎が、出ない」
「もう止めた。精霊は消したから――」
「違うの。わたしの……」
ピュラが顔を上げ、腕を男の身体から離した。
「まだ強化してる。消してないのに、炎が見えない……」
腕は黒く焦げているだけで、先ほどまで立ち上っていた赤い炎がない。だが、その周囲の空気は、陽炎のように揺れていた。
「一度自己強化を解け。そして、もう一度かけ直せ」
「まだ続けさせる気か!」
精霊男が女の前へ腕を出した。女はその手を見つめた後、自分の腕を胸元へ引き寄せた。
「待って。……自分で、確かめたい」
女は男の服をつかんでいた手を離し、息を吐いた。腕の周囲の揺らぎが薄れると、反対の手で肘を支え、指を一本ずつ開いてから再び力を込めた。
炎は出なかった。だが、腕の向こうに見える地面が揺らいだ。
「熱い……。力も入るのに」
私はベンチから金属のヘラを取り上げた。男がすぐにこちらへ顔を向けたが、女は伸ばした腕を見つめたままだった。
「それで何をする」
「熱が出ているか確かめる」
私はヘラの先をゆっくりと腕へ近づけた。皮膚へ触れる前に、先端が赤くなり始めた。そのまま近づけると赤みが広がり、柄を握る指にも熱が伝わってきた。
ヘラを引き戻すと、二人の視線がその先端を追った。ピュラは腕を伸ばしたまま、私を見上げた。
「……先生。これ、元に戻るんですか」
女の声は細く、語尾がかすれていた。
働きの一部を残したまま、見た目は変わった。だが、実際に螺旋のどの配列まで覆われたのかは、これだけでは分からない。私はヘラを器の縁へ置き、手帳に筆記した。
「今日生じた変化が、いつまで持続するか記録してくれ。腕から炎が見える状態へ戻った時刻を、明日報告しろ」
女は腕を差し出したまま、反対の手で精霊男の服をつかんだ。
「……戻らなかったら?」
ペンを止め、女の腕を見た。自己強化を解いてかけ直しても、試薬の作用は残っているようだ。
「それも報告してくれ。どこまでオペルクラが残っているか調べたい」
女は腕を下ろさず、しばらく私を見上げていた。男の服がその指の間で引き絞られ、やがて差し出していた腕がゆっくりと下がった。精霊男は私をにらんでいたが、女が片膝を立てると、すぐにその身体へ向き直った。
私は道具を鞄へ収めた。女が立ち上がろうとして身体を傾けると、男が腕へ手を伸ばした。だが、触れる手前で指を引き、開いた手のひらを見つめた。
女はその手から腕を遠ざけ、男の服を離して地面へ手をついた。男が反対側へ回り込み、肩の下へ腕を差し入れた。
私は鞄を持ち上げ、地下研究室へ向かった。次は投与前後の配列を見比べたい。歩きながら手帳を開き、明日の報告で確かめる項目を書き足した。




