6話 人でなし
精霊男に肩を支えられながら身をよじる放出男の首筋へ、私は指先から微弱な雷魔法を放った。
バチリと短い音が弾け、男は精霊男の腕の中で力を失った。静まり返った教室で、精霊男は放出男を床へ横たえると、勢いよく立ち上がり、目を白黒させて私を見た。
「せ、先生! なにやってんだよ」
「なにってお前、治してやるんだよ。精霊男。治療室に運べ」
「ここまでする必要はないだろ!」
「意識がある状態で頭を開けって? お前も中々残酷なやつだな」
私は気絶した男を見下ろしたまま、至極当然のこととして答えた。精霊男の顔から血の気が引き、後ずさるように一歩下がった。
「あ、頭を開くって……。そんなことしたらこいつは死んじまうじゃねぇか」
「なぁに、死にはしないさ。安心しろよ。ちゃんと綺麗に縫ってやるから。なんだったら脳をいじるところを隣で見るか?」
精霊男は私と放出男の間へ膝をつき、その肩へ腕を回した。その様子を隣の席で震えながら見ていたピュラが、すがるような視線を向けて弱々しく立ち上がった。
「そ、そんなことをしなくても治療できると……思います」
私の視線に耐えきれなくなったのか、徐々に声が小さくなり、彼女はうつむいた。
「そうかそうか。記憶を司る細胞の配列を確かめたかったんだが、残念だよ。好きにしてくれ」
私は興味を失い、教卓上の資料を手に取った。
「授業もできそうにないし、私は帰るよ。そいつを治せたら、どうやって治したか資料にまとめておいてくれ」
精霊男は急いで放出男を背負い上げ、その脚を両腕で支えた。逃げるように教室の出入口へ歩き始めると、ピュラも青ざめた顔でその後ろに続いた。
「あっ、そうそう。二日後の魔法放出制御試験だが、うちのクラスはやらないから今日の続きをやるぞ」
出入口をくぐろうとしていたピュラが振り返り、恨むような目を私へ向けた。
「それは、今日授業できなかったからですか……。それとも私たちを卒業させないためですか」
「そうだな、まぁ今日できなかったから次の授業でやるというのは間違っていないな。卒業と何が関係あるんだ?」
「だ、だって! この学校は、試験の成績が悪かったら卒業できないって学校案内で言われました!」
「あぁ、去年もそういえば書類を出したな。うんうん、評価はAにしておくさ」
私は適当に手を振った。試験など、個の進化を歪めるだけだ。亀に空を飛ばせるのではなく、甲羅を極限まで硬くして的そのものを粉砕させる術を考えさせた方が良いだろう。
教室の扉の外で待っていた精霊男が私をにらみ、吐き捨てた。
「だんだんわかって来たぜ。去年残った連中が指折りの魔法使いになったんじゃねぇ。こいつが好き勝手やって、試験結果も適当に誤魔化してたから卒業できただけだ。ピュラ、行こう。こんな人でなし教師に付き合うことはねぇ」
「う、うん……」
二人が立ち去るのを見送り、私はふと笑みをこぼした。私は人なんだけどね。踵を返し、地下研究室へ戻るべく歩き出した。
地下研究室の分厚い扉を開けると、水が激しく跳ねる音が響いた。部屋の中央では、助手が巨大な水槽の蓋に覆い被さるようにして体重をかけていた。中で生きたシャマイラが暴れ、分厚いガラス越しに捻じれた角が何度も打ち付けられている。
「エ、エレア様!? ずいぶんと早いお戻りで」
「あぁ、今年の生徒は変わったやつが多くてね。後遺症を取り除いてやろうとしたのに拒むし、適性外の魔法試験を受けたがる。非凡な考え方はわからないよ」
私は水槽へ歩み寄り、ガラスの内側で身をよじるシャマイラを観察した。力強いエラの動きと、まだ何も取り込んでいない本来の姿。
「おお! 生きのいい個体じゃないか。まだ捕食進化前だ、これなら骨格構造の変化を一から追えるな! おい、地下牢からあのネズミを連れてこい」
「わ、わかりました!」
助手は蓋を固定する金具を押し込み、慌ただしく部屋を出ていった。
水槽の脇には、餌にするタルトラゴの肉が用意されていた。蓋を少し開け、その一片を水中へ落とすと、シャマイラはすぐに食いつき、顎を振って飲み込んだ。解剖用のナイフを並べながら待っていると、腹の両側が内側から押し出されるように膨らみ始めた。背の皮膚も盛り上がり、ところどころに甲羅の輪郭が浮き出ている。甲羅も脚も、まだ出来上がってはいない。
「さあ、お前の分泌液をもらうぞ」
私が蓋を開け、指先から雷魔法を放つと、シャマイラの体が一度大きく跳ね上がり、横倒しになった。体をガラスへ打ち付ける音は止まったが、エラは動いている。
私はシャマイラを水槽から引き上げ、研究台に腹を上にして横たえた。一番鋭利なナイフを手に取り、生きたままの腹部へ刃を入れると、尾が研究台を叩いた。血にまみれた臓器の中から、分泌液を蓄えた器官を見つけ出し、そこから分泌液を硝子の小瓶に採った。
採取を終えたシャマイラを水槽へ戻していると、研究室の扉がガチャリと開き、助手が手錠をかけられたメルドを連れて戻ってきた。
「治療台に寝かせろ」
私はメルドを治療台に拘束させると、彼の腕をナイフで浅く切り、少量の血を採取した。標本皿の上にメルドの血を落とし、そこへシャマイラから採ったばかりの分泌液を混ぜ合わせた。私は手についた血を拭いもせず、顕微鏡を覗き込んだ。
やはりな。
シャマイラの分泌液は、人間の細胞を覆う分厚い膜に弾かれ、内側の螺旋まで届いていない。これではオペルクラを作れない。
発光の仕組みを取り出す前に、まずはスライムの細胞がオペルクラに結びつくか試してみるか。
「おい、机の上のガラス容器を開けろ。あのスライムの触手の先を少し切り取れ」
「えっ、あ、はい!」
助手が震える手で差し出した金属のへらには、触手の切れ端が載っていた。私はそれを、血と分泌液の混ざった皿へ落とした。狙った配列にオペルクラができたかなど、螺旋を一つずつ確かめていては寿命が尽きる。オペルクラが定着した瞬間に、このスライムと同じように光って知らせる目印が必要だ。
「ふふっ、始めるか」
私は標本皿に向け、指先から微弱な雷魔法を放つと、パチリと小さな火花が散った。
顕微鏡の奥で、極小の雷が細胞の膜を叩いた。一瞬だけ生じた膜の裂け目から、シャマイラの分泌液とスライムの細胞が核の内側へと一気に流れ込んでいく。分泌液が螺旋の一部を覆い、オペルクラとして定着した。
その部分へスライムの細胞が結びつくと、微弱な緑色の光が瞬いた。神経と結びついた時と同じように、結合部が光っている。さらにオペルクラが広がり、それに沿って隣の配列にも光が走った。
思ったより広い範囲を覆ったな。だが、どこにオペルクラができたかは、これで追える。
私は顕微鏡から顔を上げ、治療台に縛り付けられた男を見下ろした。男は顔を青ざめさせ、拘束された腕を必死に引いていた。
「な、何を……」
「お前が持っていた理論に、私が少し手を加えたものだ。皿の上の細胞ではオペルクラができたが、生きた器ではどうなるか確かめさせてもらう」
「や、やめてください……私は何も――」
私は分泌液とスライムの細胞を混ぜ合わせた濁った薬液を太い注射器に吸い上げ、男の首筋へ突き立てた。中身を全て血管へ押し込み、空の注射器を床へ放り捨てた。両手をメルドの胸元に当て、雷魔法を放った。
「グ……ッ! ま、がッ……シェ……シェナ……」
男の腕に細かなひび割れが走り、毛穴から血が滲み出した。血は治療台へ滴り、剥がれかけた皮膚の縁を濡らしている。
「おい、こいつが死ぬ前に血と崩れかけた皮膚の組織を採れるだけ採っておけ」
「い、生きたまま削ぐんですか!? でも、血が止まりません……このままじゃ死んでしまいます!」
助手が悲鳴を上げる中、私はメスを手にして男の腕へ近づいた。
メルドの毛穴から滲み出ていた血が、赤からどす黒く、そして濁った緑色の粘液へと変質し始めていた。ひび割れて剥がれ落ちた人間の皮膚の下から、スライムと同じ半透明で緑色に発光する柔らかな組織が泡立つように増殖している。
私はメスの刃を当てる手前で動きを止めた。
「……いや、待て。これは死にかけているのではないな?」
「ヒューッ……ガ、ガァァアアアッ!」
メルドの喉から、人間のものとは思えない獣のような咆哮が響いた。拘束具がひしゃげるほどの異常な力で腕が跳ね回り、肘と手首の間までぐにゃりと曲がった。緑色の粘液に覆われた肉体は、ブヨブヨとした異形の塊へと急速に変わっていく。
「エ、エレア様! 男の体が、魔物に……! 弟さんの治療薬は、失敗だったんですか!?」
「素晴らしい。私の予想を遥かに超えた結果だ。防衛機構を騙すためのオペルクラを作るつもりが、人間に捕食進化を引き起こしてしまったか」
「に、人間が捕食進化……?」
「あぁ。目印にしたスライムの情報が、こいつのコルプスに入り込んだらしいな」
私は暴れ回る緑色の異形を見下ろし、手元の記録用紙にペンを走らせた。
「マグレフの治療薬としては欠陥品だが、生物兵器の製造実験としては大成功じゃないか。取り込ませる情報を変えれば、ほかの魔物でも同じことができるかもしれない」
「そ、そんな……! では、この男はもう人間では……」
「あぁ、完全に別の生物だな。だが、生きてはいる」
「でも、王は交渉に応じられる状態を保てと……」
「生きているし、成果も報告する。何が問題なんだ?」
助手は口を開いたが、治療台の上で膨れ上がる粘液へ目を向けると、そのまま後ずさった。
命を奪うような真似はしない。人道を踏み外してはいない。私は人だ。何も問題ないじゃないか。




