3話 選別されるもの
治療台へ戻ると、ピュラは目を閉じていた。生殖細胞を採り終えても目を開けず、自己強化で傷が塞がる頃には、授業の終わりを告げる鐘が鳴った。その音に目を開けたピュラは、私の顔を見るなり治療台から下りようとしたが、床に足をつくと膝が折れた。
「良い実験だった。次の授業は三日後だ。またその腕を見せてもらう」
ピュラは震えて動けなかった。私は扉を開け、廊下にいた精霊男へ声をかけた。
「目が覚めたぞ。運んでやれ」
男が私の脇を抜けてピュラのそばへ膝をつくと、彼女はその袖をつかんだ。私は二人を残し、治療室を出た。
王都の地下研究所に戻ると、机の上に手紙が置かれていた。助手の姿はなく、新しいシャマイラもまだ届いていなかったので、ピュラから採取した細胞を引き続き調べることにした。
顕微鏡を覗き込み、腕から採った細胞の記録と見比べた。変色した腕のコルプスに現れていた配列の一部が、生殖細胞のプリマにも見つかったものの、その一致は途切れ途切れだった。さらに別の生殖細胞を調べると、対応する配列が見つからないものもあった。
自己強化による書き換えが、次世代へ繋ぐ情報にまで及んだのか。あと数回焼けば、完全に定着するかもしれないな。
しばらく観察していると、助手が戻ってきた。
「遅いぞ。それにまだシャマイラが――」
「それより、エレア様! 手紙を読みましたか!? 弟さんの魔力が逆流して大変らしいですよ」
助手が机の上の手紙を取り、私へ差し出した。受け取って開くと、弟の症状が書かれていた。
「マグレフか。不治の魔力病だ、もう無理だな」
「無理って……。エレア様だったら、何とかできないんですか?」
手紙から顔を上げると、助手は唇を震わせていた。
「体を守る防衛機構が、自身の魔力を外敵と誤認して細胞ごと攻撃しているんだ。傷を塞いだところで、攻撃が続く限りまた壊されるさ」
「それでも、助ける方法を探せませんか。弟さんのことは詳しく知りません。でも、欠かさず手紙を送って、あなたを気にかけていることは知っています。『人道を踏み外すな』とまで書いているんですよ。あなたは彼の姉なんでしょう?」
助手は肩を揺らしながら涙を流していた。
「どうしてお前がそこまで泣くんだ? 他人じゃないか」
「私にも弟がいました。冒険者になり、魔物にやられて帰ってこなかったのです。手紙を読んでいると、その弟のことを思い出してしまい……」
私は手紙に視線を落とした。あの男は、手紙でも同じことを言うのか。
「私は忙しいんだがな……。まぁいいさ、私は踏み外してはいないよ。ちゃんとした人だ。お前の言う通り尽くしてみようじゃないか」
「エレア様……。あなたは本当は優しいお方なんですね」
私は手紙を机に戻し、肩口で跳ねた髪の毛先を人差し指に絡め、所在なげにクルクルと弄った。
「本当は? 私は優しいさ。先日捕まえた男が持っていたアラインカプスの研究記録を、お前も見ただろ? 別の属性に変える擬態魔法の研究だ。選別された魔術師を、あの国ではゴミ同然に扱っている。そんなところに生徒が行こうとしていたんだ。同じ魔術師として心が痛いよ」
「その……。エレア様も心が痛むんですね」
「君は私のことを何だと思っているんだい? 私は良心的な魔術師だよ?」
「そ、そうですよね……。アハハ」
助手の乾いた笑い声が研究室に響いた。
「そうだ、捕まえたあの男はまだ地下牢にいるんだったな?」
「はい、メルドのことですよね。我が国の情報を持ち出そうとしていた男です。そう簡単には釈放されることはありません」
「ふふっ、丁度いいネズミだ。そいつで実験を進める。上手くいけばマグレフも治せる」
「ほ、本当ですか!?」
私は背もたれに寄り掛かり、人差し指で机をトントンと叩いた。
「あぁ、アラインカプスの擬態魔法は、螺旋そのものを書き換えるのではなく、特定の配列にオペルクラという覆いを作って魔力の性質を偽装する技術だ。メルドの螺旋で、そのオペルクラを作れるか試す。狙った配列を覆えるなら、弟の魔力を防衛機構から隠せるかもしれない。自身の魔力を攻撃しなくなれば、マグレフも治せるはずだ」
「し、しかし……。一応捕虜ですよ。アラインカプスとの交渉材料が……」
「命を奪うまではしないさ。人であるかは保証できないけどね」
「わ、分かりました。王に許可を求めます。交渉に支障が出る恐れも、報告しますからね」
助手は机の上の報告書を引き寄せ、実験の目的を書き始めた。
「あ、そうそう。次はシャマイラを生きたまま納品してほしいんだよね」
「生きたままですか? 死体でも納品依頼に銀貨十枚ですよ? 生きたままだと倍の値段が掛かります。どうして生きたまま……」
私は机の上にあった研究資料を手に取り、助手に向けてビラビラと振って見せた。
「死体では遅いんだよ。螺旋を書き換える分泌液や、それを運ぶインフェクタは、宿主が死ねばすぐに劣化して効力を失ってしまう。生きたまま環境に適応させ、最も分泌液が活性化している瞬間に腹を裂いて抽出しなければ人間の螺旋を書き換える薬にはならないだろうな。それに海洋外の物を食った時の骨格構造がどうなるかも知りたい」
助手は私から研究資料を受け取り読み始めた。
「し、しかし……。王が何というか……。生徒たちを使って取りに行かせるとか」
「何言ってんだ。あいつらはただの生徒だ。この実験とは関係ない。それに、生息地のブエスビタス島は表向きは自然保護区だが、青濤会が統治している。あそこに手を出すのは私には無理だね」
助手は目を白黒させながらこちらへ顔を上げた。研究資料を持つ手が震え、重なった紙がかさかさと擦れた。
「青濤会……。名前は聞いたことがありますが、裏の人間がどうして島なんか」
「そこまでは知らないね。『海がある場所で青濤会に手を出すな』。これだけさ。死にたくなかったら関わらないことだね」




