23話 残した一度
演舞の続く訓練場で、白線の外から見ると、焦げ跡はピュラがさっきまで立っていたところにあった。
熱に包まれていても、雷は避けるのか。
プローテの隣で息を整えるピュラの前へ、ラズリが戻ろうとすると、青白い獣の顔がその動きを追った。
ラズリが掌を上げると、獣の口にも光が溜まった。伸ばしかけた炎を引いて横へ逃れたところへ、大柄な少年が近づいた。赤くなった右手は胸元へ寄せ、左腕を前に出している。
ラズリは炎を払ったが、少年は大きく退かなかった。先端が通り過ぎても手首を見続け、戻ってくる筋を見てから足を引いた。今度は白線まで追われず、炎が細くなったところで、また距離を詰めてくる。
「ラズリちゃん!」
ピュラが前へ出かけたが、二歩目で咳き込んだ。胸元を押さえて足を止めると、プローテがその脇から掌を向けた。
細い炎が大柄な少年の靴の前を走り、ラズリとの間が開いた。だが、今度は精霊の頭がプローテへ向き、彼も腕を引いて下がらなければならなかった。
少女は二人の後を追わず、離れたところから精霊へ指示を出していた。プローテが火を向ければ自分は横へ退き、その間にも獣の口を開かせる。彼が放つ炎は、先ほどより短く途切れるようになっていた。
「わたしが行くから、ラズリちゃんを戻して」
「待って。まだ、息が戻ってないだろ」
「でも、あの人が……」
ピュラが顔を上げると、大柄な少年は足を止めた。彼女の肩から脚までを確かめ、景色が揺らいでいないのを見ると、またラズリへ向き直った。
魔法を解いても、ピュラの額には汗が増えていた。襟元を引いて息を吸おうとしているが、胸を押さえた手は離れない。全身へ広げた時、熱を外へ出す働きはどこまで残っていたのだろう。今の身体も、強化中の標本と比べておきたい。
ラズリが二人の前まで戻ると、ピュラはその袖をつかんだ。
「ずっとは、出られない。でも、一度だけなら、あの人を下がらせられると思う」
ラズリはつかまれた袖を引きかけたが、ピュラが咳を堪えて口を結ぶと、その腕を下ろした。
「……戻ってきてね。追いかけなくていいから」
「うん。そっちへ下げたら、お願い」
プローテは細い火を少女の足元へ向けたまま、横へ動いた。
「先に、こっちを狙わせる」
少女が片足を引いた。足元へ迫る炎を避けながら声を張ると、青白い獣がプローテへ向き直った。
ピュラの肩越しに、地面の焦げ跡が歪んだ。
ピュラは揺らぎが脚までつながるのを確かめてから、大柄な少年へ近づいた。少年は左腕を上げたが、焦げた袖口を見て、拳を突き出さずに退いた。ラズリの炎が伸びると、その先端からも離れようと横へ動く。
ラズリの手首を見ながら横へ逃げる少年へ、ピュラも踏み込んだ。少年が彼女から身を引いたところで、ラズリが手首を返し、戻ってきた先端が右の袖へ触れた。
少年は腕を振り、左手で払おうとした。だが、袖に沿って伸びた炎は離れず、布の表面から煙が上がった。
「消して……降参する!」
ラズリの掌が閉じた。炎が消えると、少年は焦げた袖を皮膚から引き離し、その下を確かめた。ラズリも腕を差し出したまま見ていたが、学院長が二人の間へ手を上げた。
「退場です。線の外へ」
少年が離れるより先に、ピュラの周囲から揺らぎが消えた。前へ出した足に体重を移せず、その場で膝を曲げかけたが、ラズリが手を差し出すと、ピュラは片手を振って止めた。
「わたしも、降ります」
声は掠れ、最後はほとんど息になっていた。白線まで歩く間も胸元を押さえていたが、外へ出るとすぐに振り返り、残った二人を見た。
プローテはまだ細い炎を出していた。精霊の口に光が集まると、火を切って横へ逃れ、足を置き直してからまた掌を向ける。そのたびに肩が大きく上下し、長い髪が頬へ張りついていた。
「ラズリ。強い方、次に使う」
少女のいる側へ進みかけていたラズリが、足を止めた。
「今、当てられる?」
「今は、まだ。動いてるところを追ったら、また外すと思う」
プローテは額を手首で拭った。掌に戻した火は小さく、少女が足を止めても、すぐには大きくしなかった。
ラズリは自分の手元へ顔を向けた。透明な炎を少し伸ばし、手首を返してから、少女の足元を見た。
「私の炎を避けた後なら、狙える? 戻す方も、見られてるから」
プローテが頷くより先に、精霊の口が開いた。ラズリは走り出し、背後の地面へ雷が落ちると肩をすくめたが、そのまま少女との距離を詰めた。
少女も退いたが、踵が白線へ近づくと、それ以上は下がらずに足を止めた。精霊を自分の前へ寄せようと腕を動かしたところで、プローテの細い炎が足元へ届いた。少女は横へ足を引いて獣の顔を彼へ向けたが、ラズリの手首も見続けている。
ラズリの掌から、透明な筋が低く伸びた。
少女はラズリの手首が返るのを待ち、戻ってくる炎を越えて、白線に沿って横へ跳んだ。プローテはその身体を追わず、着地点の内側へ掌を据えていた。
赤い炎が膨らんだ。少女は着地した足で土を蹴り、白線の外へ身を投げた。
太い炎が、そのすぐ内側を突き抜けた。踏み固められた土から煙が上がり、白線の脇に残っていた草が一斉に燃えた。こちらまで押し寄せた熱に、私は手帳を少し下げた。プローテは腕を向けたまま、少女の足元を見ている。
「そこまで!」
学院長の声とともに炎が切れた。青白い獣も薄れ、少女が立っていた場所には、黒く焼けた土と、その外側に残った白線が見えた。
「雷クラス、全員退場。炎クラスの勝ちです」
周囲から声が上がった。プローテは右腕を下ろしたが、掌は開いたままで、少女のいたところを見続けていた。足を踏み直そうとして膝が曲がると、駆け寄ったラズリが左の脇へ腕を入れた。
「勝ったよ。もう、終わった」
「……外へ出たんだよな?」
「うん。あの人、避けて外に出た」
プローテは少女の姿を探し、学院長の隣に立っているのを確かめた。それからようやく、ラズリへ顔を向けた。
「細い炎だけじゃ、あの人を追い込めなかったと思う」
「私も。戻すの、待たれてた」
二人は焼けた地面を振り返った。プローテの口元が緩んだが、ラズリが支える腕には、まだ身体の重さがかかったままだった。
白線の外で待っていたピュラが、二人の前へ出た。何か言おうとして息を継ぎ、ラズリの顔を見たところで、やっと笑った。
「二人とも……よかった」
プローテも笑い返そうとしたが、先に長い息が漏れた。
「アトスにも、俺から話したい。短く撃つの、何度も付き合ってもらったから」
ラズリが彼を支える腕へ力を込めると、ピュラは反対側へ回る。
「うん。戻ったら、三人で行こう」
三人は歩幅を揃え、木陰まで歩いていった。
私は手帳へ、プローテが出力を上げた時と、炎を切った時の様子を書き込んだ。弱く使い続けた後でも、あれだけの魔力を一度に放出できた。太い炎が途切れるまでの短い間に、抑える働きはどう変わっていたのだろう。
手帳を閉じずに歩き出すと、雷クラスの教員がこちらへ来た。その後ろでは、大柄な少年が焦げた袖をまくり、赤くなった手首へ布を当てていた。
「勝負は、こちらの負けです。あなたに炎クラスを任せるだけの指導力はある。約束どおり、認めます」
男は私の手帳を見たが、今度は目を細めなかった。背後で少年が袖を引くと、すぐにそちらへ顔を向けている。
「そいつの手首も焼けているのか?」
私は少年の前でしゃがんだ。拳が届く前に腕を引いていたはずだが、袖口の下まで赤みが続いている。炎の先端が触れたところと、ピュラへ近づけたところを分けて確かめたい。
「布を少し外してみろ。先に赤くなったのは、指の方か?」
少年が布を持ち上げかけると、教員がその手を押さえた。
「先に治療です」
男の身体が私と少年の間へ入り、木陰を指した。ピュラがベンチへ腰を下ろし、プローテはその隣で前屈みになっている。ラズリも二人のそばに立ったまま、私を見ていた。
「あなたの生徒たちもです」




