21話 返る先
魔法演舞まで三日となった朝、訓練場の木陰で、私はラズリの掌に膨らむ透明な炎を見ていた。手を少し傾けると縁が垂れ、本人は手首を戻して形を保っている。
「これのまま、戦えるようになりたいんです」
「どこまで伸ばせる?」
「まだ、動かれると……。あの、また薬を入れるんじゃなくて、今の魔法で」
掌を差し出す一方で、反対の手は袖口を押さえていた。昨日、アトスの腕から血を拭っていた指だ。
「今の形で何ができるか、まだ調べ終えていない。伸ばした先が曲がっても、熱を出す働きは残っていたからな」
私は石の的の前にいたプローテを呼んだ。ピュラはアトスのそばに残り、今日、訓練場へ来た生徒は二人だけだった。
「お前が相手だ。まずは避けるだけでいい」
プローテはラズリの掌を覗き込み、そこから数歩下がった。
「その辺まで、届く?」
「うん。真っ直ぐなら」
ラズリが掌を向けると、透明な塊から細い筋が伸びた。先端が下がり始めたところで腕を横へ振ると、プローテは足を引き、身体を斜めに開いた。炎はその前を抜け、背後の杭をかすめた。
木肌から煙が上がると、ラズリはすぐに魔法を消した。プローテが杭の焦げ跡を確かめている間も、差し出した掌を戻さずにいる。
「近すぎない?」
「いや。今のところでいい。もう一度やってくれないか」
ラズリは掌に炎を作り直した。今度は伸ばした先を少し持ち上げ、プローテの胸へ向けて腕を払ったが、彼の足はその前に動いていた。追って腕の向きを変えると、先端が遅れて曲がり、横へ逃れた肩の後ろを通った。
「腕を振る前に、肩が動くんだ。それを見てた」
プローテは自分の肩へ手を当てた。ラズリが腕を下ろすと、炎の先が地面へ触れ、枯れ草から細い煙が上がった。
「消すな。そのまま手首を返せ」
ラズリは私の声に指を開き直し、掌を内側へ返した。根元が先に動き、垂れていた筋が弧を描いて引かれる。プローテが片足を引くと、その爪先の前を透明な先端が横切った。
「……今のも、避けたの?」
「ああ。戻ってきたから」
プローテは踏み直した足を見下ろしていた。ラズリも同じところを見ていたが、今度は炎を消さず、伸ばした腕をゆっくりと戻した。
細くなった部分でも、地面の向こうに揺らぎが見えた。振り抜いた後まで熱を保っている。狙いが外れるたびに消していては、その先の変化を追えないな。
「今度は、振った後も続けろ。先がどこを通るか見たい」
ラズリは手元へ顔を向けた。掌を返すと、先端も遅れて向きを変える。その途中で筋が細くなったが、途切れる前に腕を止め、プローテへ向き直った。
「もう一度、お願い。動くところを見たい」
プローテは右腕を身体へ寄せ、足を前後に開いた。
ラズリが腕を胸の高さへ上げ、炎を横へ払うと、プローテは肩を引いてかわした。透明な筋が胴の前を抜けても、ラズリは腕を下ろさなかった。プローテが横へ踏み出した足を地面につける前に、手首を返した。
曲がった先端が、その右の袖をかすめた。
布の端が茶色に縮れ、細い煙が上がったところで、ラズリの掌が閉じた。透明な炎が消えても、焦げた布の縁は丸まったまま残っていた。
プローテは袖口を引いて皮膚から離し、裏返して腕を確かめた。ラズリが近づきかけたが、その手元で足を止めた。
「腕は……?」
「袖だけ。今のは、戻ってくる方を狙ったの?」
ラズリは頷きかけ、閉じた掌を見つめた。
「逃げた先に、当てようと思って。でも、本当に触るとは……」
プローテは焦げた縁へ指を伸ばしたが、触れる前に引いた。しばらく腕を確かめてから、袖を折り上げている。
私は手帳へ、最初に払った炎と、返した時の軌道を描いた。袖についた焦げ跡の幅も書き添えたが、ラズリはプローテの腕から目を離さなかった。
「触れたら消せたな。途中で細くなったところも、熱は切れていなかった」
「……先生。次は、触る前に消すところまで、やっていいですか」
「同じ長さでやれ。消える直前の形も見たい」
ラズリはプローテへ顔を向けた。返事を待つ間、袖口を押さえていた手が、少しずつ下がった。
「俺は、もう一度できるよ」
プローテが先ほどの場所へ戻ると、ラズリは二人の間を指さした。
「最初はここを通して、戻す時に、その腕の手前で消したい」
「分かった。でも、避けるからね」
「うん。その方がいい」
掌に膨らんだ炎が、もう一度細く伸びた。プローテが横へ動いても、ラズリはすぐには追わず、彼の足が置かれるところを見ていた。
* * *
昼前、治療室でアトスの腕の布を外していると、反対側に座っていたピュラが、自分の手を彼の左手の下へ滑り込ませた。布が傷の縁へ触れるたびに、彼の指がそこへ食い込んでいた。
肩口の裂け目は増えていなかった。だが、肘を少し持ち上げただけで、アトスは歯を食いしばり、枕へ後頭部を押しつけた。
「痛むところは変わったか?」
「同じだ。……動かすと、上まで引っ張られる」
私は傷の縁を確かめ、図へ位置を書き足した。試薬の作用が切れていないか、後で血も比べたい。
布を当て直していると、アトスが私の手元へ顔を向けた。
「先生。精霊は、まだ呼んじゃだめなのか」
「魔法は使うなと言っただろう」
「腕に入れるんじゃねえ。前みたいに、外へ……」
ピュラの手の上で、アトスの左手が開いた。何かを差し出しかけるように伸びた指が、途中で止まった。
「もう、呼べなくなったのか。あいつ」
「今の身体で呼べるかは、まだ確かめていない」
「じゃあ、呼んだらまた、こっちへ入ってくるかもしれねえのか」
私は布を結ぶ手を止めた。
腕へ取り込ませている間も、外には精霊の姿が残っていた。あの時は、外へ形を保つ流れと、身体へ引き込む流れに分かれていたのかもしれない。今も同じように分けられるだろうか。
「お前と精霊の繋がりが、どう変わったか見ないとな」
アトスは右腕を見下ろした。指を動かそうとはせず、左手だけをピュラの手元へ戻した。
「……取り込むのは、今は嫌だ。でも、前みたいに呼べるのかは、知りてえんだ」
私は鞄から取り込み前の図を出し、今の腕の図と並べた。アトスは肘を動かさないまま、図に顔を近づけ覗き込もうとしていた。




