19話 内にあるもの
訓練場の木陰で、私は精霊男の傍らに立つ精霊を指さした。赤い光を帯びた腕が、精霊男の肩より高いところから垂れている。
「そいつを身体へ取り込む。精霊に攻撃させる代わりに、お前自身がその力を使うんだ」
「取り込むって……俺の中にか?」
「ああ。まずは腕で試す。去年は全身へ取り込ませたが、身体がもたなかった」
「去年も、やったのかよ。その生徒は?」
「ああ、死んだよ」
精霊男は息を呑み、傍らの精霊へ手を伸ばしかけた。その赤い腕に触れる前にピュラが袖をつかみ、引かれた腕を見下ろす精霊男の顔が強張った。
「アトスくん。やめよう。そんなの……」
ベンチに残ったラズリも、膝の棒を握ったまま、険しい目で私を見ていた。ピュラが袖を引いても、精霊男は私の前から離れず、つかまれた腕を下げたまま私へ尋ねた。
「去年のは、全身だったんだな」
「ああ。お前は腕で試す」
「アトスくん。腕だけなら大丈夫って、先生は言ってないよ」
ピュラがもう一度袖を引くと、男の足が半歩だけベンチの方へ動いた。
「今のままでも、ちゃんと使えてるじゃない」
「……それでも、自分の手で使ってみてえんだ。俺も」
精霊男はピュラの顔を覗き込んだが、袖をつかむ手は緩まなかった。その手に左手を添え、指を一本ずつほどいてから、私へ右腕を差し出した。
「……やってくれ」
「先に血を採る。取り込む前のものも残しておきたい」
差し出された指先をナイフで切り、血をガラス板へ採った。精霊男は刃が離れると再び腕を伸ばし、私が標本を包む間も、精霊の赤い腕を見つめていた。
「消す時のように、魔力の繋がりを切るな。そいつへ送っている流れを、お前の右腕へ引き戻してみろ」
精霊男が右手を伸ばすと、精霊も同じ腕を差し出した。重なった指の輪郭が揺れ、爪の間から入り込んだ赤い光が皮膚の下を走る。袖を捲ると、手首から肘へ伸びた筋に沿って皮膚が張っていたが、表面には炎がない。
「握れるか」
精霊男が指を曲げると、その拳に重なるように大きな指の輪郭が浮かんだ。何度か開閉するうちに口元が緩み、持ち上げた腕を、今度は自分の顔の前で返している。
「先生……。これ、俺が動かしてる」
精霊へ顔を向けて命じることもなく、その大きな指が自分の指へぴたりと重なって動いていた。
「あの的へ当ててみろ」
石の的へ近づいた精霊男が腰を捻ると、赤い輪郭も腕に沿って引かれた。拳を突き出した途端、鈍い音とともに石が砕け、飛び散った粉が頬へ降りかかった。
「今の、見たか。俺の手で――」
振り返りかけた顔が歪み、指が大きく反った。赤い筋が肘を越えて肩へ這い上がり、袖の下へ潜っていく。
「おい、肩へ上げるな。腕の中で止めろ」
「止めてる……。さっきから、止めようと……」
左手で押さえた肩口から血が滲み、二の腕に細かな裂け目が走った。拳に重なっていた輪郭が崩れると、精霊男は腕を抱え込み、前へ身体を折った。
「アトス!」
放出男の手が肩へ届く前に、精霊男は膝から崩れ、的へ肩を擦りつけて倒れた。地面へ散った炎が消える頃には、傍らに残っていた精霊の姿もほどけていた。
精霊男の顎を起こすと、口から浅い息が漏れた。首筋には脈があるが、瞼を持ち上げても瞳は動かず、右腕からは血が流れ続けている。放出男が肩の下へ手を差し入れたので、私はベンチの放出女へ脚を示した。
「そこの女は脚を持て。治療室へ運ぶぞ」
ラズリが棒を置いて駆け寄り、二人で身体を持ち上げると、精霊男の右腕が力なく垂れた。ピュラはその顔へ呼びかけながら、二人についていった。
* * *
治療室へ運び込んでも、精霊男はピュラの呼びかけに答えなかった。右腕から染み出した血が治療台を濡らし、肘の近くにも細い傷が開き始めている。裂け目の縁から肉を薄く削ぐと、精霊男の左手を握っていたピュラが、弾かれたように私を見た。
「先生、何してるんですか!」
「ここを押さえろ。精霊が消えても傷が広がっている。中に何が残ったか見る」
渡した布を当てようとしても、ピュラの手は傷の上で震えていた。血の広がる皮膚へ押しつけられずにいると、横から放出男が手を添え、布ごと押さえ込んだ。
顕微鏡の下では、裂けた細胞の内側に魔力の筋が残っていた。肉片に付着した血から、先に採った血と同じ種類の細胞を選んで比べると、元の流れにはなかった反応が見える。精霊の姿を消しても、入り込んだものまでは抜けないのか。
その筋へ小さな細胞が集まり、魔力の残った細胞の膜へ食いついた。膜が崩れても攻撃は止まず、隣の細胞へまで群がっていく。
炎で焼かれただけでは、こうはならない。
私は反応した位置を描き留めた。経過を伝えて標本を包んでいると、ピュラが白衣の袖をつかみ、こちらへ身体を寄せてきた。
「先生、アトスくんは……目を覚ますんですよね」
「今、調べている。目を覚ましても、あの腕で魔法は使わせるな」
「目を覚ましてもって……。先生、まだ……」
ピュラの声が途中で掠れ、袖をつかむ指が白くなっていた。標本を鞄へ収めてその指を外しても、ピュラは手を引かず、私を見上げていた。
扉の前に立つラズリと目が合った。眉を寄せたまま道を空けようとせず、私が近づくと、治療台を振り返ってから壁際へ退いた。
* * *
地下研究室で属性ごとの記録を広げ、精霊男の螺旋に魔力が反応した位置を照合した。炎に対応する箇所のほかに、融合前の標本にはなかった反応がある。図を重ねると、それは別の属性の記録と重なった。
炎の精霊だからといって、炎の魔力だけでできているわけではなかったのか。同じ属性の力を取り込ませたつもりで、余計なものまで身体へ入れていた。
「エレア様、何を調べておられるのですか」
助手が報告書を持ったまま机へ寄ってきた。私は取り込む前後の図を並べ、増えた反応の位置を指した。
「生徒の腕に精霊を取り込ませたら、倒れてね。精霊に炎以外の魔力も混じっていたんだ。そいつを含んだ細胞へ、防衛機構が働いている。大発見だぞ!」
「倒れた生徒さんの腕は、どうなったんですか」
「まだ傷が広がっている。今の標本では、攻撃が周りの組織まで壊していた。去年の生徒にも同じことが起きていたのか、あの時の記録と比べてみたいな」
グレインの図を引き寄せると、助手も報告書を机へ置き、私が並べた二人の配列を覗き込んだ。
こいつの身体は自分の魔力を攻撃していた。精霊男は、外から入った魔力がその対象になっている。ふふっ、簡単なことじゃないか。どちらも、力を残したまま攻撃だけを止められればいい。
「弟さんの治療にも、使えるんですか」
「両方で、魔力への攻撃が始まる箇所を比べる。どこが違うか見ないとな」
ラズリの記録をその脇へ置いた。配列の一部を覆われたままでも、魔法を使う働きは残っていた。精霊男の細胞でも、どこを隠せば取り込んだ力を保てるのか、この処置と比べてみたい。
メルドは、力を取り込むと身体まで作り替わった。今度は人間の身体に、精霊の力だけを留められるかもしれない。
いや、待てよ。
もしそうだとしたら、自分の魔力にはなかった流れを使える。なら生まれつきの適性だけに頼る必要があるだろうか。
「精霊の力を定着させれば、魔法を持たない人間にも与えられるかもしれないな」
「……魔法を、ですか」
助手が報告書から手を離し、私の指す配列へ食い入るように顔を近づけた。肘に押された紙が図の上へずれたので、私はその腕の下から報告書を引き抜いた。
「す、素晴らしいですよ、エレア様」
机についた助手の手が、小刻みに震えていた。
「呼び込む方法も、身体に保つ方法も必要になる。まずは、生徒の標本をもう少し調べないとな」




