18話 踏み込む先
地下研究室でシャマイラの腹を縫い終え、助手に水槽へ戻させた。私は採った分泌液を机へ運び、プローテの腕の図を広げた。
まず、本人の標本には発光成分だけを加えた。微弱な雷を流して顕微鏡を覗くと、オペルクラの縁へ緑色の点が並んだ。図と見比べながら待ったが、覆った範囲は広がらず、光もその内側に留まっている。
これなら、既に覆われた場所にも目印を付けられる。
私は指先を切り、自分の血を別の皿へ分けた。プローテの図と見比べると、自分の螺旋にも対応する並びがあったので、血の標本ごとに濃さを変えた分泌液を加え、雷を流した。
図に近い範囲へオペルクラができたものもあったが、同じ濃さでも縁の位置がずれる。隣まで覆ったものと分けて、それぞれの範囲を描き込む。
同じ箇所を覆えたとして、雷でも放出を抑える働きが弱まるのか。プローテはあの状態のまま、細い炎も出している。覆われた場所と、強さを変える働きの関係も調べなければ。
「エレア様。紙に血がついています」
助手が指先へ布を押し当てた。細い線に赤い染みが重なっていたので、私は汚れていないところへ続きを描いた。
* * *
翌朝、訓練場へ着くと、石の的へ伸びていた炎が途切れた。プローテは掌を下ろさず、傍らの精霊男を振り返った。
「今のくらいで、揃ってきたかな」
「ああ。最初より短くなってる」
プローテは右手を握り、また開いた。長い髪が頬に貼りついている。
「アトス。今度は、避けてもらえないか。動かれた時にも、これで当てられるか試したい」
「俺も魔法を使うぞ」
「うん。その方がいい」
木陰のベンチには、ピュラとラズリが座っていた。私はその脇へ鞄を下ろした。肩から重さが抜けても、脇腹の奥はまだ痛む。
こちらに気づいたプローテが声をかけてきた。
「先生、やってもいいですか」
「ああ。私が止めたら、二人とも炎を消せ」
精霊男が石の的を背にし、プローテは十歩ほど離れて向き合った。赤い光が集まって二足精霊の輪郭を結び、男の右脇へ移った。
プローテの掌に火が膨らんだ。精霊男が横へ踏み出すと、プローテが腕を振って追い、その掌から太い炎が伸びた。石の的の端が弾け、欠片が地面へ落ちる前に炎は消えた。
その脇から、精霊が炎を吐いた。プローテは足元へ迫る火を避けて後ずさり、構え直した掌を、精霊男が先ほどまで立っていた場所へ向けた。
精霊男は的の列に沿って歩き、精霊を自分の脇へ寄せた。プローテの腕がそれを追いかけたが、火は出なかった。開いた口から短く息を継ぎ、額を手首で拭っている。
「まだやるか?」
「……強いのは、あと一度にする」
「細いままなら、もっと続けられるだろ」
「うん。でも、強い方も使いたい。もう一度、頼む」
精霊男は精霊を自分の右へ離し、膝を軽く曲げた。プローテも踏ん張り直したが、今度は掌の火を膨らませなかった。精霊の口から炎が伸びると、プローテは横へ逃れながら細い炎を返した。精霊男の爪先の前で枯れ草が燻り、男が足を引いた。
「回れ。横からだ」
精霊がプローテの横へ回り込む間、男は反対側へ足を運んだ。プローテは精霊を追わず、男の足元へ炎を向け続けていた。男が精霊へ顔を向け、口を開きかけたところで、プローテの腕が上がると炎が膨らんだ。
精霊男は命じかけた声を呑み込み、身を低くして斜め後ろへ跳び退いた。肩先を抜けた赤い塊が背後の的を打つと、鈍い破裂音が響き、石の中央に割れ目が走った。
「そこまで」
炎が消えた後も、石の欠片がぱらぱらと落ちていた。精霊男は地面についた手を離し、膝の土を払って立ち上がった。プローテは掌を向けたまま、男と、割れた的を見比べていた。
「今のは……」
「後ろに跳ばなきゃ、当たってた」
プローテの腕がゆっくりと下がった。肩で息をしながら的へ近づき、割れ目の前で足を止めた。精霊男も隣へ並んだが、しばらくは落ちた石を靴の先で転がしていた。
「次は、同じようには逃げねえぞ」
「うん。また、付き合ってくれないか」
唇はまだ乾いていたが、先ほどより声がはっきりしていた。
私は手帳へ、細い炎を出していた間と、太くした時の様子を書き込んだ。弱く使っている間は、何が放出を抑えている? 高出力を残して調整するなら、こちらの働きも探りたい。
「おい、休め」
「はい」
プローテは戻ってくる途中で振り返り、的の中央を見た。ラズリがベンチの端へ寄り、空いたところへプローテが腰を下ろした。
「先生。わたしのも、見てもらえますか」
入れ替わるようにピュラがベンチから離れ、両腕を少し開いた。
肩の向こうで、木の幹が細かく歪んだ。揺らぎは腰の両脇にも見え、脚の間に覗く地面まで波打っていた。ピュラが向きを変えると、長い赤髪の外側で、的の列が揺れた。
「全身にかけられるようになったんです。先生がいない間に、何度かやってみて」
精霊男が的の脇から木の棒を持ってきた。横から脇腹へ先端を近づけると、ピュラの肘が持ち上がりかけた。
「腕は下ろしておけ」
私が声をかけると、ピュラは肘を戻し、棒の先を見つめた。服へ届く手前で細い煙が上がり、精霊男が棒を引くと、先端が黒く焦げていた。
「……腕、動かさなくてもいいんですね」
精霊男が焦げた先を擦ると、炭の粉が地面へ落ちた。
「ラズリちゃん、背中も見てくれる? 自分じゃ、分からなくて」
ラズリがベンチから立ち、ピュラの後ろへ回った。
「うん。ここも揺れてる。ずっと下まで」
ピュラはラズリを振り返り、そのまま数歩進んだ。脚を動かしても揺らぎは途切れず、足元の草が細かく波打って見えた。
「腕から広げようとすると、途中で切れちゃって。でも、最初から全部にかけるつもりでやったら……」
ピュラは魔法を解いた。周りの景色が輪郭を取り戻し、額に滲んでいた汗が頬へ流れた。
「まだ、長くはできないんですけど」
ラズリが精霊男から棒を受け取り、焦げていないところを握った。
「休んだら、私が後ろからやってみる」
「うん。お願い」
二人がベンチへ戻ると、プローテも身を寄せて棒の焦げを覗き込んだ。精霊男は自分の精霊の傍へ戻った。
「先生」
こちらへ歩み寄ってきた精霊男が、私の手帳を覗き込んだ。
「俺の魔法も、調べたら変えられるのか」
「そいつをどうしたい?」
「さっき、横から撃たせようとしたんだ。けど、逃げるので精一杯だった。ピュラみてえに、自分の身体で使えねえのか」
「残念ながら、精霊魔法は召喚する精霊によって魔力の流れが違う。お前の魔力と精霊は、今の状態で強固に繋がっているんだ。もしお前の魔力の流れをいじれば――二度と、今の精霊は呼べなくなる」
精霊男は残してきた精霊を振り返った。手を上げて呼ぶと、赤い光を帯びた身体が近づき、男の隣へ並んだ。
「……こいつを呼べなくして、俺も何もできなくなることは?」
「それは試さなければ分からないな」
男は精霊の腕を見上げていたが、やがて私の手帳へ顔を戻した。
「何をするのか、先に聞かせろ」
「いいだろう」
私は手帳の上に落ちた自分の髪を指に絡め、小さく弧を描くように弄った。
ふふっ。今年は失敗しないさ。




