17話 海の上
港町メルカトールの桟橋で、私は船頭にブエスビタス島までの往復を頼んだ。甲板には大きな木の水槽が据えられ、船員の二人が綱で固定している。海水が注がれるのを見届けてから乗り込むと、足元の板が傾き、脇腹の傷まで引きつった。
沖へ出るにつれ、港の建物が重なって小さくなった。私は船縁から離れて腰を下ろし、鞄を膝へ引き寄せ、助手から預かった手紙が濡れていないか確かめた。
船が岬を回ると、白い砂浜の先に石積みの岸壁と桟橋が見えてきた。漁船から魚の籠が下ろされ、その向こうでは、家々が坂に沿って並んでいる。
岸壁へ向かう途中、浜から浅瀬へ延びる板の通路が見えた。海へ打ち込まれた杭に横木が渡され、その上に建物の柱が組まれている。まだ壁のない床を男たちが材木を担いで渡り、木槌の音に、荷を下ろす掛け声が重なっていた。
桟橋へ上がると、魚を積んだ荷車が目の前を通った。押している男を呼び止め、私は鞄を示した。
「メリオシーという人間に、これを渡したい。どこにいる?」
「ああ、島主様か。上で聞いてくれ。取り次いでもらえる」
男が岸へ続く道を示したので、船頭に待つよう伝え、私は荷を運ぶ人々の間を抜けていった。
案内された部屋では、少女が窓際から歩み寄ってきた。私より少し背が低く、淡い金色の前髪を斜めに流し、頬の脇で毛先を外へ跳ねさせていた。こめかみの紫の花を留める金の葉飾りから、白い羽根が垂れている。
「君がメリオシーか」
「ええ。メリオシーと申します。潮路でお疲れでしょう。どうぞ、こちらへ」
机へ向かう少女の後ろ髪は、背へ長く伸び、肩から掛けた薄い羽衣の上を流れていた。肩を出した白い衣を濃い色の帯で締め、その縁には金の飾りが沿っている。椅子を引く腕から、透ける布が垂れた。
「これを渡すように頼まれた」
鞄から手紙を取り出して差し出すと、メリオシーは封蝋の印を確かめた。その指が蝋の縁で止まり、目が合った。私は勧められた椅子へ座り、鞄を足元へ置いた。向かいに座った少女は封を割り、折り畳まれた紙を開いた。窓から潮の匂いが入ってくる。
読み終えた少女の指先から、風が吹いた。紙の両端に細かな裂け目が走り、文字ごと細く切り刻まれていく。白い切れ端が羽衣の上を滑り、机へ散った。
「ご事情は分かりました。ただ、シャマイラを捕まえているクランは、私とは関わりのない方たちです。私の一存で、あの方たちの川筋を付け替えることはできません」
「なら、そのクランをこちらへ回してほしい。納品が止まって困っているんだ」
「先に引き受けたお仕事がありますもの。あなたのところへ水を引くために、よそを干上がらせるわけにはいきません。島へ戻ってくるまで、あと五日はかかると聞いています」
「五日も待てない。ほかに捕まえられる連中はいないのか?」
「ほかに今すぐ漕ぎ出せる方は……。あなた御自身で捕獲なさるのであれば、構いませんよ」
私は机へ手をつき、少女の方へ身体を寄せた。
「生きたまま持ち出していいんだな?」
「ええ。ただ、漁に出る舟の通り道は空けておいてくださいね。島の暮らしの流れまで、せき止めないように」
「船は雇ってある。どこへ行けば見つかる?」
「東の浜へ舳先を向けてください。シャマイラの出る場所は、船の方にお聞きになれば分かると思いますよ」
「クランが戻ったら、今後の納品についても話をしたい」
「島へ戻った方たちと、直接お話しくださいね。一度水を汲むことと、この先も水を引き続けることでは、結ぶお約束も違いますもの」
私は椅子から立ち上がり、足元の鞄を取った。机には、文字の一部だけが残った紙屑が散っていた。
「そういえば、海がある場所で青濤会に手を出すなと聞いていたんだが。水の使い手だと思っていたよ。今のは風か?」
メリオシーは腕に掛かった羽衣を引き寄せた。
「こちらにも、伏流のままにしておきたい事情があります。どうか、それ以上はお探りにならないでくださいね」
「分かった。捕獲の話は助かった」
* * *
東の浜へ船を回すと、建てかけの柱の間から、材木を受け渡す人々が見えた。浅瀬で杭を打つ者たちを避けて沖側を通り、岩場の前で船頭が帆を下ろした。船員の一人が、竿で岩との間隔を測っている。
澄んだ浅瀬に、捻じれた角が見えた。岩の影を抜けたシャマイラは、尾を左右へ振りながら船の下へ潜っていった。
「船頭、あいつでいい。網はあるな?」
「あるが、生きたまま揚げるんだろ。暴れるぞ」
「引き上げたら私が止める。腹は傷つけるなよ」
船員が網を広げる間に、船頭が餌の魚を舷側から垂らした。水の下で黒い背が向きを変え、魚が引き込まれた途端、張った糸が船縁を擦った。
網が落ちると、海面が白く弾けた。船員の二人が綱を手繰り、網の口を絞っていく。捻じれた角が網目へ食い込み、尾が水を叩くたびに綱が男たちの掌を滑った。
「角を外せ。そこへ重さをかけるな」
私は船縁へ膝をつき、引き上げられてきた網をつかんだ。網の内側で胴が捩れ、角の先が船縁を掠めた。網越しに背へ掌を押し当てて弱く雷を流すと、尾が大きく跳ね、船腹を叩いた。
網に腕を引かれ、肘が船縁へぶつかった。私は膝を踏ん張って掌を押しつけ直し、流す魔力を増やした。掌の下で肉が硬くなり、尾が曲がったまま動かなくなったところで雷を止めた。
動きの鈍った身体を男たちが甲板へ引きずり上げた。私の腕にも重さがかかり、脇腹の奥が鋭く痛んだ。息を止めて網を離し、角に絡んだ部分へナイフを差し入れた。
「おい、網を切るのか」
「代金は払う。先に水へ戻せ」
切れた網の間で、鰓の裂け目がわずかに動いていた。頭の下へ手を差し込み、水槽の方へ押すと、男たちが腹と尾を持ち上げた。海水へ沈んだ身体が底を擦り、遅れて尾が動き始めた。
私は水槽の縁へ腕をかけ、鰓の動きを見続けた。間隔が次第に揃い、角の先が木の内側を引っ掻いたところで、手を引いた。
「蓋をしろ。隙間は空けておけよ」
板が水槽へ渡され、その上へ綱が掛けられた。船頭が帆を上げる間にも、下から板を叩く音が続いていた。
* * *
帰りの船では何度か海水を入れ替えた。港で雇った運び手に水槽を荷馬車へ移させ、王都へ戻ってからも、板の下で動く角を確かめた。
地下研究室へ運び込み蓋を持ち上げると、助手が中を覗き込み、慌てて顔を引いた。水面から突き出た角が、板へぶつかった。
「捕まえてこられたんですか」
「クランがまだ戻っていないそうだ。継続して届ける話は、帰還してからになる」
「手紙はちゃんと渡したんですよね」
「ああ、渡した。魔法で粉々にされたけどな。まぁなんにせよ、これで試薬を作れる。餌にする魔物を用意してくれ、分泌液を採る」
鞄からプローテの図を取り出し、机へ広げた。助手が棚から採取瓶を下ろす間に、私はナイフを取り出し、図の脇へ置いた。
水槽の内側を擦る尾の音を聞きながら、図に記した被覆範囲の端へ指を当てた。
「まずは、この位置を再現する。少しずつ範囲を変えて、何が止まるか比べるぞ」




