16話 使い道
翌朝、地下研究室で試薬の小瓶を傾けると、底に残った液が硝子の内側を薄く濡らした。次の調整に使う量を確かめていると、助手が紙を手に近づいてきた。
「エレア様、シャマイラの納品が、しばらく止まるそうです」
「捕獲に失敗したのか?」
「いえ。請け負っているクランが別の依頼を優先するみたいでして」
差し出された紙を受け取った。納品を見合わせる旨は書かれているが、次に届ける日はない。
「で、いつ戻る?」
「まだ分からないそうです」
「こっちにも生体は残っていないぞ」
使える分泌液は、この小瓶に残っている分だけだった。瓶を立てると、硝子を伝った液が底へ戻った。
「再開の日を確かめてくれ。この残りを使ったら、次の試薬が作れない」
私は小瓶に栓をして棚へ戻し、昨日の腕の図を鞄へ収めた。
* * *
学校の治療室で、放出男に左腕を机へ載せさせた。袖を捲らせてナイフを取り上げると、放出男が肘を引いた。
「な、何に使うんですか、それ」
「お前の細胞を見る。薬を入れられる前後で、出せる炎が違うんだろう?」
「また、魔法を変えるんですか」
「何を変えられたか調べるんだよ。手をどけろ」
反対の手が左腕を隠していた。その指を外し、左の手首を押さえて刃を当てると、放出男の肩が椅子の背へぶつかった。薄く削いだ肉をガラス板へ載せてから布を渡すと、放出男は切り口へ押しつけ、身体ごと腕を引き寄せた。
「先生、俺、六日後には――」
「魔法演舞の話はどうでもいい。まずは、腕だ」
顕微鏡の下で細胞を追うと、螺旋の一部にオペルクラが見つかった。ラズリの記録を脇へ置き、鎖の並びを見比べた。ラズリの記録では覆われていた箇所も、こちらの標本では二本の鎖が見える。その先で、別の配列が隠れていた。
液体の炎を作った処置とは、覆う位置が違うな。こいつの炎は赤いままで、強く放てば魔力が急速に減る。出力を抑える働きと、このオペルクラが関係しているのか。
位置を書き留めていると、プローテが布の端を持ち上げた。傷口を確かめ、押さえ直している。
「何か、分かりましたか」
「あの女とは別の配列に、オペルクラが形成されている。どの働きを止めたかは、まだ確かめないとな」
「そこを、元に戻すんですか」
「いや、まだ触らない。何を止めたのか、先に見ている」
プローテは布を当てた左腕を机に戻し、私の描いたオペルクラの位置を、椅子に座ったまま覗き込んでいる。
「……強い炎は、残せるんですよね」
「魔力は戻ったか?」
「はい。昨日よりは、出せると思います」
「なら、弱い炎から見せろ。訓練場へ行く」
プローテは布を腕へ巻き、結び目を歯で引いた。私は標本を包んで図と一緒にしまい、立ち上がり、肩紐を掛けるとまだ脇腹が痛んだ。
* * *
訓練場では、精霊男が石の的へ炎を吐かせていた。私が呼ぶと炎を止め、昨日割れた的の隣にある的を空けた。プローテはその前へ立ち、布を巻いた左腕を身体へ寄せて右の掌を開いた。
「まずは、検査の時に出していたくらいでいい」
掌の前に赤い火が生まれ、細く伸びて石を舐めた。昨日のような破裂音はなく、当たった部分が次第に黒くなっていく。
「そこから強くしろ」
プローテが足を踏ん張ると炎が膨らみ、石の表面が弾けた。飛んだ欠片が足元へ転がる前に、私は声を張った。
「止めろ」
炎が途切れた。プローテは右腕を下ろし、口を開いて息を継いでいる。
「どれくらい残っている?」
「まだ、出せます。でも、強くしたら一気に……」
放出男は自分の掌を握って開き、的についた大きな焦げ跡を見た。
「先生。強い炎を出すのは、一瞬だけでもいいんですか」
「やってみろ。止めた後にどれだけ残るか知りたい」
プローテは掌を的へ向けると、細い炎が伸び、太くなりかけたところですぐに切れた。石の端が小さく欠け、プローテは手を下ろさずにそれを見続けていた。
「今のなら、もう一度できます」
「さっきより弱い。同じ威力で、どこまで短く出せるか試せ」
プローテはこちらを見ながら唇を動かしかけたが、再び的の方を向いた。次の炎は先ほどより太く、石を打った途端に消えた。肩が大きく上下し、右手の指が開いたまま震えていたところで、精霊男がそばへ寄った。
「プローテ、まだ出せんのか」
プローテは右の掌に小さな火を作った。
「これくらいなら……。昨日みたいに、全部なくなってはいない」
精霊男はその火を見つめていた。自分の精霊は的の脇に残したままで、放出男が火を消しても、次の練習へ戻ろうとしなかった。
短くすれば残るが、同じ威力には揃えられていない。強くする時と止める時で、覆われた箇所の反応を見たい。だが、ピュラに使った試薬では、こいつのオペルクラまで変えてしまうかもしれない。まずは採った細胞で、発光成分だけを既存のオペルクラへ結びつけられるか確かめてみよう。
「今の出し方を記録しておけ。続けられなくなる前に休めよ」
私は手帳に、強くしてから止めるまでの炎の変化を書き足した。放出男は的へ掌を向け直し、精霊男を呼んだ。
「さっきの強い炎くらいの太さになったら、教えてくれないか。俺からだと、手前と奥の炎が重なって見えるんだ」
「ああ。出してみろ。見てるから」
精霊男が放出男の横へ並び、的まで伸びた炎を追い始めた。
* * *
地下研究室へ戻ると、採った細胞をもう一度顕微鏡へ載せ、目印を付ける前の状態を確かめた。オペルクラの端を追い、螺旋のどこまで隠れているかを図へ描き足した。
目印で反応する位置を絞れたら、何も施していない細胞に同じ位置のオペルクラを作り、魔力を流した時の反応を比べたい。覆う範囲を少しずつ変えれば、出力の変化に関わる配列を絞れるだろうか。だが、ここで残りを使い切れば、ピュラの熱を逃がす調整にも、グレインの試薬にも回せなくなる。
棚から小瓶を取り、標本皿の脇へ置いた。朝と同じだけの液が、底に残っていた。
「エレア様、お食事を……」
「納品の方は、何か分かったか?」
助手は持ってきた盆を机の空いたところへ置いた。
「まだです。再開の日が分かり次第、知らせていただくよう頼んでありますが」
「再開を待っていられないな。ブエスビタス島へ行って、生きたシャマイラを続けて受け取れるよう、私が話をつける。取引の条件を聞ける相手を探してくれ」
「ま、待ってください。大聖堂の時みたいに、壊されたら困りますよ」
小瓶を棚へ戻し、朝に受け取った納品の紙を助手へ渡した。助手は隣の机へ急ぎ、別の紙に何かを書き、折り畳んで封蝋で留めた。
「こちらをメリオシーと言う方に渡してください。こちらに濁りが無いよう要望をすべて書き留めました」
「随分と段取りが良い。助かる」
「エレア様、フェオリスへは、しばらく行かないでください。納品の件でギルドへ寄った時に聞いたのですが、向こうから戻った御者が、ミルファーゼの教師を乗せなかったかと、門で問い詰められたそうです」
「私の顔も知られているのか?」
「そこまでは分かりません。ですが、学校の名まで出ているんですよ」




