15話 限界
治療室で標本と記録を見比べていると、オペルクラを剥がす処置を描いた図が見つかった。剥がした部分は、下の螺旋ごと裂けている。ラズリの細胞でも、縁は鎖に食い込むように定着していた。
「オペルクラが螺旋に癒着している。剥離すれば、覆った配列まで損なうな」
ラズリは腕に当てた布を握り込んだ。
「あの……元の炎に、戻せるんですか」
「戻せない。だが、この被覆範囲で液状化が成立するなら、ピュラで抑えた働きと切り分けられるかもしれない」
「あの人たちは、これで成功だったんですか」
私は処置後の図を指で押さえた。オペルクラの位置は標本と合っている。私が止めかけた熱の放出も、こいつらは残していた。
「記録にある液体の炎は作れている。そこは成功している」
ラズリは布の端を腕へ巻きつけた。結び目を作ろうとした指が滑り、血の染みた布が膝へ垂れた。
「学院長のところへ行ってこい。終わったら訓練場だ」
ラズリが布を結び直して立ち上がる。私は標本を包み、図と一緒に鞄へ収めた。
* * *
訓練場へ着くと、精霊男が細い木の棒をピュラの腕へ近づけていた。皮膚へ触れる手前で、先端から煙が上がった。ピュラが腕を横へ動かすと、棒の先もそれを追い、薄い陽炎の中で黒く焦げていった。
「……もういいぞ」
精霊男が棒を引くと、ピュラは腕を下ろす。こちらに気づいた男が焦げた先端を示すと、ピュラも私へ顔を向けた。
「先生、動かしても纏わせていられるようになりました。まだ、この辺だけですけど」
「ピュラ、あれから赤い炎は戻ったか?」
「戻ってません。寝る前に消して、朝にかけ直しても、見えないままです」
最初の試薬は夜明け前に作用を失った。本人の組織を混ぜた後は、日をまたいでも変化が残っている。あの時、光が広がったところでは、オペルクラも剥がれずにいるのか。
「内側に熱はこもるか?」
「長く続けると、重くなります。でも、さっきよりは……」
「もう一度、今と同じ範囲でやれ」
ピュラは肘を支えて腕を伸ばした。力を込めると、その向こうに見える地面が揺らぎ始めた。
精霊男に棒を近づけさせ、煙の出始める位置を確かめた。腕を動かしても、熱の届く幅は大きく変わらない。私は手帳へその幅を書き込んだ。
「七日後、雷クラスと魔法演舞をやる。お前たちの魔法を、今のうちに見ておきたい」
「七日後? 俺たちがかよ」
精霊男が棒を下ろした。ピュラの腕から陽炎が薄れ、地面の輪郭が戻った。
「勝手に決めんなよ。ピュラの腕だって、まだ治ってねえんだぞ」
「だから、今使える魔法を確かめているんだ。次は腕を曲げてみろ」
ピュラは再び腕に魔法をまとわせ、肘をゆっくりと曲げた。男は棒を持ち直し、焦げていないところをその腕へ近づけた。
ラズリが戻ってきたのは、ピュラが腕を休めている時だった。
「授業には、出ていいそうです」
ピュラがもう一度腕に力を込める。ラズリは、その周りに生じた揺らぎを見つめた。
「見えないけど、今も魔法を使ってるの?」
「うん。触ると熱いから、気をつけてね」
ラズリは自分の掌を開いた。指の間に透明な塊が膨らみ、手を傾けると、その形がゆっくりと歪んだ。いったん消してかけ直しても、掌の上は透き通ったままだった。女は精霊男が持っている木の棒を見つめた。
「先生。あの地下で、水を棒みたいにして殴っていましたよね」
脇腹に手を当てると、服の下でまだ腫れているところへ指が触れた。
「ああ」
「この炎も、ああやって伸ばせませんか。飛ばすんじゃなくて、そのまま当てるんです」
「ゆっくり伸ばしてみろ。どこから形が崩れるか見たい」
ラズリは木の杭へ掌を向けた。透明な塊から細い筋が伸びたが、先端は杭へ届く前に下へ垂れた。手首を返すと、筋がしなって杭の側面をかすめ、表面に煙が上がった。
「あ……」
女は魔法を消して杭へ近づき、低い位置についた焦げ跡の前で指を止めた。
「もう少し上に当てたいんです。太くしたら、先が落ちなくなりますか」
「先に、今の太さのまま伸ばせ」
「……太くするんじゃなくて?」
「どこで形を保てなくなるか見たい。ゆっくりやれ」
ラズリは一歩戻り、掌の上にもう一度炎を作った。今度は指を開いたまま、塊の先を少しずつ伸ばしている。
細く伸ばしても、熱を与える働きは残っている。形の変化と熱の放出を、別々に追えそうだ。
隣の的には、精霊の炎が途切れず当たり続けていた。精霊男が炎を止めると、赤くなった石の表面から薄片が剥がれ落ちた。
「教科書にある型でも、ちゃんと使えるだろ」
「使えるさ。お前はそれで練習していろ」
男は精霊を的の前に残したまま、ラズリが伸ばす透明な炎を見ていた。
「おい、お前の魔法も見せろ」
少し離れて待っていたプローテが的の前へ進み出た。精霊男は自分の精霊を退かせ、男のために場所を空けた。
「プローテの威力が使えりゃ、押し負けねえよな。Sなんだし、俺だってAだ」
「気楽だな。この学校に入学出来ている時点で下位なわけがないんだがな。まぁ、まずは出してもらおう。あの石の的へ放て。途中で出力を上げてくれ」
放出男の掌に赤い火が集まった。足を前後に開いて踏ん張ると、炎が一本の筋になって的へ伸びた。
やがて筋が太くなり、的の輪郭が炎に呑まれた。頬へ届く熱が増し、私の足元まで赤く照らされる。石の表面が音を立てて弾け、欠片が地面へ散った。
「そこまでだ」
炎が途切れると、放出男は片膝をついた。掌を地面についたが、肘ががくりと曲がり、そのまま肩が落ちた。精霊男が駆け寄り、脇の下へ腕を入れた。
「おい、どうした。大丈夫か、具合が悪いのか」
「魔力が……もう、ほとんど……」
割れ目の残る的から視線を外し、放出男のそばへ歩み寄る。脇腹の引きつりに耐えかねて、私はその場に片膝をついた。
「おい、今の威力で、もう一度出せるか?」
「無理です……」
「持久力の検査も通ったんだろう?」
男は支えられたまま、土のついた掌を擦った。
「検査の時は、弱く出していました。威力を見る時だけ強くして……。制御も、小さい炎ならできたんです」
「その威力のまま続けられるかは、測っていなかったわけか」
精霊男が崩れた的を振り返った。放出男は掌を膝へ伏せ、頭を下げた。
「俺、本当は……」
「今の炎は、いつから出せる?」
男の肩が固くなり、膝に伏せた指が服をつかんだ。
「薬を入れられてからです。その前は、どれだけ力を込めても、あんなには……」
「さっきの炎は、あれで限界だったか」
「まだ、できました。でも、もっと早く魔力がなくなります」
魔力が残っていても、出せる威力には限界があるはずだ。こいつは、残っている魔力を一度に注ぎ込めるのか。
「先生。弱く使えば、演舞でも……」
「出力の抑制に関わる配列に、オペルクラが形成されたのかもしれない。定着部を追えば――」
「先生。俺、何をするんですか」
「今は休んでいろ。魔力が戻ったら、今度は弱く出せ」
放出男は顔を上げ、私と、焼け崩れた的を見比べた。私は手帳に、出力を変えた時の発光を比べる案を書き足した。
光る場所と、その時の炎の変化を合わせて追えば、オペルクラの下で止められた働きを絞れるかもしれない。




