14話 教師の資格
地下研究室のベッドで目を覚まし、私は身体を起こそうと手をついた。肩から背中にかけて筋肉が引きつり、昨日殴られた脇腹まで痛み出した。床へ下ろした足の裏が冷たい。
机には、助手に頼んだ腕の図が広げられていた。鞄を取ろうと立ち上がると、背中を伸ばしきる前に助手が駆け寄ってきた。
「エレア様、今日はお休みください。まだ起きるのもやっとではありませんか」
「これくらいなら問題ないだろう」
「そんな身体で授業なんて無理ですよ!」
「記録だけでは分からないところがある。本人の身体と比べたい」
助手が白衣の袖をつかんだが、その手を振り払って机へ寄った。広げられた腕の図を取り上げると、脇の書き込みは助手の筆跡だった。
「持ち帰った方はどうした?」
「昨夜の報告を出したら、王城から、持ち帰った資料をすべて出すようにと。腕の処置に関わるところは写しておきました」
「まだ全部見ていない。残りも持っていく」
机の端に寄せられた元の束へ手を伸ばすと、助手が紙の上を押さえた。
「今朝、受け取りに来ます。お使いになるなら、写したものを」
束を引き抜こうとしたが、上の紙が助手の手の下でくしゃりと持ち上がっただけだった。私は手を離し、広げられた図をまとめて鞄へ収めた。肩紐を掛けると脇腹まで引きつったので、鞄を手に提げ直した。
「せめて、もう少し傷が塞がってから……」
「帰ってから休むよ」
戸口までついてくる助手を残し、私は学校へ向かった。
教室へ入ると、ピュラの隣に座っていた放出女が顔を上げた。肩先で跳ねる黒髪の間から、紫の瞳がこちらを見ていた。
「先生、ラズリちゃんが戻ってきてくれました。退学、取りやめられたんですか?」
「好きにしろ。それより、実験の続きだ」
ピュラが自分の腕を抱えたので、隣の放出女を指さした。
「今日はそいつだ。お前たちは訓練場で練習していろ。まだ腕が痛むなら、前の実験は繰り返すなよ」
精霊男が机に肘をついたまま手を挙げた。
「プローテが訓練場にいたけどいいのかよ」
「ああ、後で行く」
精霊男は放出女の腕に巻かれた布を見ていたが、ピュラに袖を引かれ、二人で教室を出ていった。
「お前は治療室だ。腕を調べる」
放出女は二人の後を目で追っていた。私が戸口へ向かうと、背後で椅子を引く音がした。
治療室で布を外させると、赤く腫れた腕には幾つもの針の跡が残っていた。掌を開かせ、手首から肘へ指で押していくと、女は唇を噛んで腕をこわばらせた。
「力を抜け。少し採る」
「採るって――痛っ!」
ナイフで皮膚を薄く削ぐと、女が勢いよく腕を引いた。刃を離す拍子に私の肩も引きつり、採った肉片がナイフの先で揺れた。
「動くな。余計に切れるだろう」
「だ、だって……。血が……」
清潔な布を傷へ押し当てさせ、肉片をガラス板に載せた。布を握ったまま、まだ私の手にあるナイフを見つめていた。
「また、薬を入れるんですか……?」
「今日は採ったものを見る。何をされたか、記録と比べるんだよ」
ナイフを机へ置き、鞄から腕の図を取り出した。処置前後の螺旋が描かれ、覆う箇所には細い線が添えられている。顕微鏡の倍率を上げて標本を追うと、図に示された位置にもオペルクラが見つかった。
ピュラの腕では、熱を逃がす働きまで止めかけた。ラズリの炎は形を変えたまま、触れた木を焼き続けていた。どこまで覆い、どの働きを残しているのか。図の印だけでなく、実際に覆われている範囲も確かめなければな。
「先生……。あの人たちも、私を切って、調べていました」
顕微鏡から顔を上げると、ラズリは椅子から腰を浮かせていた。布を当てた腕を胸に抱え、片足を扉へ向けている。
「何をされたか調べているんだよ。お前も知りたいんだろう?」
「でも、また同じことになったら……」
図を示そうと腕を伸ばしたところで、肩の奥が引きつった。肘を引くと、ラズリが私の手首を覗き込んだ。固定具の跡はまだ赤く腫れ、擦れた皮膚に袖口が貼りついていた。
「先生も、まだ痛いんですか」
「当たり前だ。お前も昨日の傷が残っているだろう」
ラズリは髪へ指を差し込み、くしゃりとつかんだ。
「先生なら、私の魔法がどうなっているか、分かるんですよね。元に戻らなかったら、私……」
返事をしようとしたところで、治療室の扉が開いた。
「エレア先生。少し、お話があります」
雷クラスの教員が紙の束を手に入ってきた。その後ろには、髪を一つにまとめた学院長もいた。男はラズリを見るなり、戸口で足を止めた。
「君は……ラズリさんですね。退学したはずでは?」
「私が呼んだんだ。調べたいことがあってね」
「勝手に戻していいと思っているんですか。それに、その腕は?」
男が近づくと、ラズリは布を当てた腕を反対の手で隠した。差し出しかけた男の手が下がり、代わりに紙の束が私の前へ突き出された。
「生徒たちを訓練場へ放置して、ここで何をしているんです」
「腕の細胞を見ている」
「授業中だぞ! 生徒の腕を焼く実験を繰り返して、試験は受けさせず、これを提出する。全員A評価? 何を根拠につけたんだ!」
並んだ生徒の名前の脇に、私が書いた文字が見えた。
「君たちの試験では、こいつらの適性は測れないだろう」
「だから好きな評価をつけていいと? 学院長、これ以上は見過ごせません。この人を教師から外してください」
「まぁ、フェルデガード先生。少し落ち着きませんか」
学院長は男の手から評価書を受け取った。強く握られていた端が潰れている。
「行き過ぎたところがあるのは承知しています。ただ、エレア先生には、優秀な生徒を卒業させた実績があります」
「優秀な生徒を卒業させられるなら、非人道的な行為も許されるなんて納得できません。どうして彼女をかばうのです。そもそも、雷属性の教師が炎属性のクラスを担当するなど前代未聞です。前任の先生を退かせてまで、なぜ彼女なんですか」
「昨年の卒業生は、配属先でも高い評価を受けています。冒険者になった生徒だって名を轟かせてますよ。今年の生徒にも、その成果を期待しているのです」
「そのためなら、腕を焼かれても我慢しろと言うんですか」
「エレア先生を担任から外すつもりはありません。授業については、私からも話をします」
「そこまでおっしゃるなら、今の生徒で示してもらいましょう」
男が私を睨みつけ、机の上の図へと指を突きつけると紙の端がめくれた。
「これが授業だとおっしゃるなら、成果を見せてください。七日後、うちのクラスと魔法演舞で対戦してください」
「卒業式の話ではなかったのか?」
「そこまで待つ理由がありますか。試験を受けなくても全員A評価にできるほどなら、今でも十分でしょう。勝てば、あなたに炎クラスを任せるだけの指導力があると認めます」
七日あれば、ラズリの身体と記録を調べる時間は取れる。水を浴びても剥がれなかった炎が、雷を受けた時にもあの形を保つだろうか。処置の影響が、ほかの魔法を相手にした時にどう現れるかも見ておきたい。
「ふふっ、いいよ。君の生徒たちにも、しっかり練習させておいてくれ」
「そちらこそ、生徒たちを放っておかないでください。学院長、七日後でよろしいですね」
「演舞の場所と日程はこちらで用意しましょう。提出された評価については、改めて確認します」
「あの、学院長……。私も、学校に戻っていいんでしょうか」
ラズリが傷を押さえたまま、学院長のそばへ進み出た。
「戻るつもりなら、あとで私の部屋へいらっしゃい。まず、あなたの話を聞かせてください」
「はい……。お願いします」
学院長たちが治療室を出ていくと、ラズリが私の白衣の袖をつかんだ。
「先生、七日で……私を、また変えるんですか」
「今、変わったところを調べているんだよ」
「この炎のままで、七日後に戦うんですか……。それまでに、元の炎に戻せますか」
「元に戻せるかどうかは、まだ分からない。こいつらの記録と、お前の身体を比べて確かめる。先に答えだけは出せない」
机に置いたナイフを鞄へしまうと、ラズリは私の袖から手を離した。傷を押さえる布には、赤黒い染みが広がっていた。




