06:足止めと会話
屈んで足元に丸まる毛玉を撫でてやると、それは嬉しそうに目を細めた。そんな様子に俺は頬が緩む。
すねこすりとは、夜に現れる。つまり暗く周りが見えない時に出没して人の動きを阻害する。俺は単なる地面のぬかるみを過去の人々が生物と見間違えただけだと思っていた、伝承には薄茶から薄橙色であると伝えられているのは、その当時の地面の色でそうであったからというのが俺の見解だった。
だが、目の前に転がる生物は濡羽色の体毛を纏い雨も降っていないのに現れた。俺の歩行を邪魔するため、じゃれ合うために姿を見せた。
まるで、俺の論理は不要だと告げているようで。
「やっぱり、お前は寂しんぼなのか……?」
「ニャァ」
やっぱり猫みたいだなコイツ、俺の言葉にちょこちょこ反応を見せて鳴き声を漏らしている。言葉を理解しているのかいないのか。どっちにしろ俺は間違いなくこの子に癒されていた。
「サトリ、こいつはすねこすりであっているんだな?」
「えぇ。ご存知だとは思いませんでした。その通りですよ」
俺に混ざってサトリもすねこすりを撫で始めた。短いしっぽをふり「クゥン」と鳴いた。
「寂しがりなのに恥ずかしがり屋。故に薄闇に隠れたときしか中々姿を見せないのですが、珍しいですね。貴方の事をよほど気に入ったか、同類と認めたのかも」
「それは褒められている判定でいいのか?若干判断に迷うんだが」
話を交わしながらすねこすりを撫でていると、少し触りすぎたのか「カゥル」と短く鳴いて俺の傍から離れていく。自分から近寄ってきた癖に触りすぎると怒るとは自己中心的な奴め。
足元の重みが消えて、自由になったところで俺は再び歩き出す。
どれほどすねこすりとじゃれ合っていたのか、空気の湿度がかなり増してきている。鼻をすんすんと鳴らすと、雨が降る前特有の匂いが鼻腔に満ちる。
昼時を迎える前に降り出して、あっという間に本降りになるだろう。
「どうしますか。お察しの通りもう間もなく雨となるでしょう、雨具の用意ならこちらに」
「いぃや。アンタの言いてえ事は十分に分かったよ」
「そうですか、では雨が降らないうちに縁側へ戻りましょう。雨は長くなりそうですから」
「そうだな」
そう言って俺は小屋へと足を向けた。途端、またあの温かい重みがのしかかる。
下を見やるとまた黒い毛玉が顔を俺の向う脛に擦り当てていた。
てっきり満足してどっかに言ったのかと思ったが、まだまだ撫でられ足りないようだ。じっとこちらを見つめている。
「この子の心は、貴方よりも読みやすい。通訳をしましょうか?」
「結構だ、読心術がお前の専売特許だと思うなよ。俺にだってコイツの気持ちぐらい分からぁ」
今の言葉はハッタリが多分に含まれている。すねこすりの気持ちなどわかるはずもないし、動物の気持ちを人間のエゴで推し量るのは俺の趣味じゃない。
だけれども、母の言葉と足元からの視線を受けてこいつは寂しがっていると思わざるを得なかった。
足元のそれを抱き抱える。持ち上げてみると、案外胴が長いく小型の犬より大きい。足元から退かされて、もぞもぞと身じろいで地面に戻ろうとするすねこすり。
自分が退いてしまったら、また俺が歩みを始めて何処かへ向かうと思っているのだろう。必死に足元で腕に短いしっぽをパタパタと当てて離せと言っているようだった。
「正解です。この子は必死にアナタを引き留めている」
「おいサトリ、野暮なことは言いっこなしだぜ。この子とのコミュニケーションに、言葉はいらん」
「これは失礼、ではお喋りな男はしばし口を噤むとしましょう」
朗らかな笑顔を携えて、サトリは数歩俺達から離れた位置まで移動する。
「あとちょっとだけ、付き合ってくれるか?」
「ニャゥ」
俺が足を小屋に向けると、とたんにすねこすりの動きが鈍くなる。俺の言動でもう勝手にあの小屋から離れることはないと判断したのだろう。
*
「そう言えば、自己紹介をしていなかったか」
「ええ。ある程度の人物像は覗かせていただきましたが、お名前は未だ存じません。お聞きしても?」
縁側へと腰かけ、すねこすりを撫でまわしながら俺はサトリに言葉をかけた。
昨夜は疲労して、今朝は疑念を晴らすことに執着していて結局自己開示をしていなかった。
まあ、元々長居する予定ではなかったので、重要に捉えていなかったわけだが、少しばかし話が変わった。
「悠弥。守屋悠弥という。悠弥でも、守屋でも、好きな方で呼んでくれ。別にこだわりはない」
「では、悠弥さんと。実に良い名前ですね。お母様が付けられたのでしょうか」
サトリの言葉に、俺は首を横に振った。
この名前は、母が父に付けさせたもの。自分が腹を痛めて生んだのだから、貴方が頭を捻らせて名を決めろと命じたらしい。
「そうですか。中々、苛烈なことを言うお母様だったのですね」
「ははっ、そうだな。病弱のくせにいう事はいっつも強烈なことばかりだったよ」
俺の頭の中の母を見て、サトリは苦笑いを浮かべた。数時間のやり取りで、この言葉を省略した会話も若干慣れてきたな。
話しているうちに雨が降り始め、雨宿り。
すねこすりを膝の上に乗せ、その温もりに包まれながら、ヒグラシの声と雨音を聞く静かな時間が流れる。
「立ち止まったら駄目だと、そう思い込んでた。立ち止まって、冷静になって、クールに俺自身を見てしまえば、間違いを認めてしまうと……そう思っていた」
ふいに、俺の口が開いた。
俺の意思じゃない。初対面の男に自分を語る程自信があるわけでもないし、切羽詰まっているわけでもない。
だが、綻んだ糸がほろほろともつれていくように俺の口から言葉が紡がれていく。
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