48:帰り道
結局、酒吞童子と別れてから俺は泥のように眠り、覚醒したのは夕暮れだった。
若干酒が残っているような感覚が、俺に昨日事は幻ではなかったと再認識させた。
後悔など皆無であると、格好よく見栄をはれられたらよかったのかもしれないが、そう簡単には出来ない。
悔やみはある。
ここで数々の出会いと別れを体験し、なおも燻る後悔の炎は確かにこの胸にあった。
しかし、それと同時にもうひとつ。
ここに来るまでは絶対になかったであろう感情もある。
俺は胸ポケットから万年筆を取り出して、それを見つめる。ここ数年何度も見つめ、何度も握ってきたそれを俺は優しく包み、顔の前までもってくる。
未来。お前が何を望み、何を俺に求めたか。それに応えられる俺じゃない。
でも、それでももし……お前がそんな俺すらも愛してくれるというのなら、もう少し見ていてくれないか。
答えは得た、俺も俺なりにあとちょっとだけ頑張ってみるから。
「だから……まずは、帰らないとな。」
俺の呟きは、ヒグラシの声にかき消される。
台所で何かを切っている心優しい案内人には、聞こえていないだろう。
「おや、声が増えたと思えば。おはようございます、体の調子はいかがですか」
いつもと変わらぬ低く優しい声が耳たぶを叩く。
「あぁ。お陰様でな。布団、ありがとう。自分で敷いた記憶がねえ」
「いえいえ。山へ連れ出したのは私ですから。相当お疲れの様でしたので」
結っていた長髪を解き、笑うサトリ。
どうやら朝餉の支度が済んだらしい。
いや、この時間だと夕餉か。
「何から何まで、すまんな」
「ふふ。どうしました。何時ぞやのように畏まって」
ローテーブルに並んでいく和食を見つつ、俺はサトリに改まって礼を言う。
「本当に嬉しかったんだ。昨夜の経験がなければ俺はずっと未来の事を見ずに生涯を終えていたかもしれない」
呪いだと背を向けて、愛される資格がないと諦めて、彼女の眼を見ることを拒絶し続けてきた三年間だった。ここであの幻想を見なければ俺は、それを認めることができなかっただろう。
「ならば、礼を言うべきは私ではありませんね」
「何を言う、サトリが見せてくれた幻想ではないか」
俺の言葉に、頭を横に振るサトリ。彼の艶のある黒髪がふわりと揺れた。
「私がしたことと言えば、貴方の心を透かして見せただけの事。そこから先に起こったことは、貴方と、未来さんの領分だ。仮にそれで救われたのならば貴方が自分で救ったか、未来さんに救われた。という事になる。」
「……サトリ」
「私は単なる道先案内人。案内した先で何を見るか、何を思うかはその者に依存するのですよ」
「成程な、ならば俺がそれを言う相手は」
俺はそう言って立ち上がり、庭に出て空を見上げる。
青空と日暮れの茜が混じり合う絶妙な色の天に向かい、思いを馳せる。
昨日のような天の川は姿を隠している。しかし、見られないだけで確実にそこにある。
俺が恋をした美しい星の河は、いつでも俺の上にある。
「ずばり、その通りですよ。」
「ふははっ、ホントにあんたには敵わないなあ。参った、完敗だぜ。何から何までお見通しときたもんだ」
自然に、笑いが零れた。
面白いとか、情けないとか、感情の理由付けができていない。でも、不思議と悪い気はしない。
「ふふ。では見透かしついでにもうひとつ。貴方のお腹の虫が騒ぎそうですよ」
「んお。確かに眠りこけていたものな。折角容易してくれたアンタの料理が冷めないうちに平らげてしまうとしよう」
「えぇ。是非に」
「 「いただきます」 」
俺とサトリが口をそろえる。
優しい、もはや慣れたサトリの味が口から体全体に広がっていく。
内側から人間を癒していくような味。
自然と、口角が上がる。
「うん、美味しい」
「それは良かった」
アサリの味噌汁を啜り、鮭をつつき、白米を噛む。
その味が、古ぼけた記憶を呼び起こす。
何時ぞや思い出した時よりも、鮮明に思い出される過去の記憶。
笑顔と共に食卓を囲み、他愛のない会話をしていたあの日の記憶。父も、母もそこにいた。俺はそれが当然だと思っていた。
今は、その両方がそこにいない。
以前までの俺ならその事実にのみ目をやってもう駄目だと諦めていたことだろう。
「では、今の貴方ならばどうしますか」
「いい質問だ。取り敢えずは父さんにこう語りかけるんだ、『なあ父さん。飯、食おうぜ』って」
ロジックも要らない。
説明も要らない。
ただ、感情をぶつけてしまえばいい。
「ははは。それは素晴らしい、きっと、きっと上手く行くでしょう」
俺の楽観的な未来予想を褒めてくれるサトリ。
どれ程著名な論文や偉人の残した言葉よりも、目の前の男の肯定の方が信じられる。
「もう、貴方の『隙』は埋まりました。ですので、今この時一つの質問を投げましょう」
静かに、低く紡がれるサトリの声。
続く言葉を俺は予測できた。
これは、彼にとっての儀式。
狭間の案内人としての、問い。
ここに留まることも、このまま帰ることも全てを容認する彼の問いを、俺は覚悟を決めて受け止める。
「問います。貴方の行く道は、何処にありましょうや」
どのようにしてここにきて、どのようにして帰るのか。
彼は『隙』が埋まれば自ずとその道が開かれると言っていた。
その理由が、今なら分かる。
なぜならば、この小屋から続く道が『増えている』からだ。
最初、一番最初に目が覚めた時、その後ろは虚無に包まれていた。サトリの小屋へと続く道以外に、何もなかった。
真っ白の何もない空間。
そこに今までなかった道がひとつ。漂白された空間にひたすらにまっすぐ、細い砂利道が伸びていた。
それこそが、俺の道。
それこそが、俺が現実へ至る為の帰り道。
「俺は、未来のいない世界へと帰る」
その答えを聞いたサトリの顔は、いつもの数倍朗らかになっていた。
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