47:愛と別れ
「もう、帰るん?」
「あぁ。」
「えぇ。」
酒吞童子の問いに、俺と月華が声をそろえる。
顔を見合わせる。月華が、ふっと笑った。
愛を伝え、役割を終えた彼女も消える運命にある。
俺も、ここで終われなかった以上、戻る。――未来のいない世界へ。
「えらい残念やわあ。せっかくの呑み仲間、帰したあないさかい……喰ろうてしまおか」
ドクン、と振動。
酒吞童子の覇気が山を覆った。
気迫だけで地を揺るがすとは、圧巻の一言に尽きる。
最初、対峙した時と同じようで違う状況。
俺のような木っ端で矮小な存在など、それこそ一飲みで消せてしまう酒吞童子の最後の問いだ。
俺は、深く息を吸う。
もはや言葉はいらないだろうと思い、俺はたったひとつ、言いたいと思った言葉だけを口にした。
「有難う」
「ふん、なぁんやあ。自分の事殺したろか言うた相手に」
酒吞童子だけじゃない。サトリにも、同様の礼を捧げる。
偽物であっても、未来をこの腕で抱けた。この俺が殺した、星河未来をこの目で見られた。
「わたしからも、いいかしら」
月華が空中に浮かび、雪を舞わせる。
いくら伝承と違う名前を付けたとて、愛した者の前から消えるという運命からは逃れられない。
でも、そんな月華の顔はとても晴れやかなものだった。
今ならば、その理由が分かる。
「本当にいいの?」
疑問を投げながら、彼女は俺の答えを予測している。
月華の顔が、言外にそれを伝えていた。
「あぁ。戻りたいと、そう思ったからな」
「もう一度サトリの力を借りれば思い出の中で話せる。わたしだって、また貴方を愛せるわ」
月華の言葉をしっかりと受け止めて、俺はゆっくりと頷き空にかかる星の河を見上げて言葉を紡ぐ。
「悪いな。俺の愛は既に埋まってしまってる。ここに残るには、俺には残してきたものが多すぎる」
「そう……。ふふ、失恋、しちゃったわね」
静謐。
ゆっくりと手を空に掲げる月華。
本来するはずの衣擦れの音がない。
別れの時が、近い。
「ねえ悠弥、最期に名前を呼んでくれるかしら」
「あぁ。――――さようなら、月華。」
俺の言葉は、月明かりと共に消える。
瞼を閉じて、俺は空気の質が変わるのを全身全霊で感じていた。
彼女の冷気が消える。
彼女の雪が融ける。
かわりに、幾度となく聞いたヒグラシや蟲達の声と初夏の湿気が肌を包んだ。
「さようなら、俺を愛してくれた、妖怪『雪女』の、月華。」
*
「見届けてくれてありがとな、二人とも」
静かに俺と月華の別れを見ていてくれていたサトリと酒吞童子に礼を告げ、俺は上着を脱いだ。
「別にぃ。我酒呑んどっただけや」
「私も右に同じです」
幻が晴れて、現実の色が濃くなった狭間。
ここにいた誰かが仮にいなかったとするならば、俺は元の世界に帰るという選択をとることもせず、惰性に沈んでいた事だろう。
今もなお俺の後ろ髪を引く居心地の良さが、そうさせるはずだ。
「本当に、これ以上のない感謝を。」
「やめえやめえ、我の柄やない。あぁ~あ~。こんなん言われるぐらいやったら引き留めるんやなかった」
酒吞童子のこの言葉は嘘ではないが、本当でもないな。
真に後悔しているのなら、彼はきっとこの瞬間に姿を消していたか俺自身を殺していた。
それをしないのは、つまりそういうことだ。
「はっは!思ってもねえこと言うもんじゃねえぞお?酒呑童子ぃ」
照れ隠しをする酒吞童子を揶揄うと、額を指で弾かれる。
ビシッという軽い音が脳の内に響き、俺は目を回した。
「鬼の首魁相手にほんま、自分度胸あるんか臆病もんなんか。よぉわからんやっちゃなあ。ま、我はどうでもええけど」
「その二面性こそが、人の人たる所以でしょうね。」
明滅する視界。
頭を複数回振って意識を正常に戻す。
「……有難うよ」
「せやからやめえ言うのに。我は自分がちょけてんのが鬱陶しいと思ただけや」
今の一撃で、完全に幻から現実へ引き戻した。
世話好きの鬼とも、もう別れだな。
「もし、もし今度ここに来られたのなら、俺一押しの酒を持ってくるよ」
「なんや、自分酒に詳しいん?」
「ストレスの逃げ場として、随分と買い漁ったからな」
自虐気味に笑うと、酒吞童子が「ほう」と目を細めた。
鬼と言えばの『鬼ころし』なんかいいかもしれない。そこまで詳しいわけではないが、意外なところで経験は生きる。
「まあ、機会は多分無いと思うがまあ、遠い時間の先……俺が自分の幕を閉められた時に、来られるかもな」
「かかっ。そらええわあ、ほな約束や。待っとるさかい、お気張りやす」
そう言って、俺の背をとん、と押す酒吞童子。
月華とは違い、カラッとした別れが鬼らしいか。
「じゃあな!また、来るぜ。きっと、多分!」
「あぁはいはい、はよお帰り。我眠たなってきたわ~。ほなまたの日に。」
山道を降る。
足取りも軽く、気持ちも晴れやか。
心持ひとつでここまで違うものなのか。
「えぇ。ここに来るまでの貴方は幾重にも鎖でその身を縛っておりましたので、それはもう動きづらかったでしょう。」
「ははっ、違いない。自分でもそう思うぜ」
さあ、ここでの生活ももう長くない。
が。
取りあえずはあの小屋に帰るとしよう。
泣いて喚いて取り繕って暴露して、本当に疲れた。
「そうですね。明日の事は明日に。今日の内は微睡みの中でいいでしょう」
「あぁ、そうだな」
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