46:充足感と恩返し
俺は、とても懐かしい感情を抱いた。
何回目だろうか、三十年余りの人生において少なくとも片手の指で事足りる程しか経験したことの無い体験。
対価なく、認められること。
サトリと酒吞童子は俺を認めてくれた。
何かを支払ったわけではない。ただ、俺が俺の中の答えを得ただけ。
母を失ってから、無償の愛は幻想だと思い込むようになった。
父と距離をとるようになってから、誰かから認められるには何かを差し出す等価交換でなければならないと勘違いした。
だからこそ、長い時を生きる妖怪二人の認可が重く俺の中にしみ込んだ。
俺は自分の部屋で散らかった氷の破片や本を片しつつ、なんと自分が思い込みやすい単純な人間であるかを思い知る。
誰かに影響されやすいとは思っていたが、それに加えて思い込みが激しいときた。
度し難いなあ。
「とても、そうは思っている風には見えませんね」
「ふふ、バレたか」
覗き魔の前では、隠し事は出来ないな。だが、悪くない。
俺の晴れやかな気持ちを暴露されてなお、心地よい。
「アンタの、目論見どおりか?」
「はて、何のことでしょう」
「おいおい、相変わらず嘘を吐くのはへったくそだなあ。少しは俺を見習え。十数年と自分を騙してきた嘘つきだぜ」
サトリは雪女と俺が邂逅することを見越していた。予想外のところもあったろうが、着地点は彼の想定した通りだろう。
迷子というには些か年を取りすぎた男を、この案内人は見事に案内してみせたのだ。
この到達点には、俺一人では到底たどり着けなかっただろう。
感謝しても、しきれない。
「私は何もしてませんよ。貴方が、導き至った境地。私はそれに至る為の道程に咲いていた路傍の花と言ったところでしょうか」
「石じゃなくて、花なところが貴方の自己愛の強さを表しているわね」
雪女のツッコみに、俺は不意を突かれて吹き出した。この美人は酒吞童子にもツッコんでいたし、そういう気質なのかもしれない。
ここの妖怪達はどこか親近感のあるやつらばっかりだな。ぬらりひょんも愛嬌のある好々爺だったし、三大妖怪の一角である酒吞童子も怖ろしさを見せることはあるが話せばわかる酒飲み美男子だ。
だからこそ、俺のような偏屈な奴の心は癒されたんだろうな。
あらかた寝室が綺麗になったところで、俺は酒呑童子が寝転ぶベッドに腰かけた。
この鬼め、疑似的な空間とはいえ俺の部屋を我が物顔で占領しよって。
「おい、俺は家主だぞ。少しは遠慮しないか」
「かっ、何言うてんの。鬼に遠慮なんてないし、そもこの空間は我のや。主いうたら我の事やろ」
なんと、酔っ払いに口論で負けてしまった。舌戦を得意としていたのだがとうとう看板を下ろすときが近いか。
丁度重荷をおろせたことだし、タイミングとしてはベストかもしれない。
「ふゥ~~。なんか!疲れた!」
俺はベッドにぼすんと沈み、見慣れた天井を見つめて笑った。
感情の乱高下に体がついてきていない。座敷童と遊び散らかした時と同じか、それ以上の疲労感だ。
「でも!愉しかった!」
酒を呑み、凍てついた感情を見つけ、呪いを呑み、氷に守られて。
なんともまあ、現実離れした体験をしたものだ。
様々な感情が渦巻いている中で、俺は今の感想を上手く言語化できない。でも、総括して、今の俺を表すのなら、きっと『愉しい』。それでいい気がした。
「それは何より。本気を出した甲斐がありました」
そう言って、サトリは微笑む。
いつもの、あの日の夕暮れに見た、最初の優しい笑顔だ。
「さて、そろそろ限界ですので皆々様、崩壊に備えてください」
「せやな。宴もたけなわ。このまま締めるが吉やろな、ほないくで。」
酒吞童子が自分の手を口元に当てて、ふぅっと息を吐く。
酒気交じりのそれが部屋に舞い、途端に視界を歪ませた。
この心象風景とも、これでお別れか。
*
目を開けると、そこは山の頂。酒吞童子の棲み処に戻っていた。
「さ、どうやった。我の酒しこたま呑んではったけど」
「どうもこうもない。極上。それ以上の言葉が見つからないぜ」
「くひっ、そら結構。鬼の首魁から酒ぇ注がれるなんて、自分えらい果報もんやで?」
フローリングの床からうって変わったごつごつとした山肌に腰かけて俺は空を見上げる。
空気が澄んでいるこの狭間では、星がよく見える。
空を覆う天の川が、明るく輝いていた。
「……あぁ、『隙』が埋まるってのは、こーゆーことかよ。」
泥田坊も、すねこも満足そうにしてやがったのが今なら分かる。
なんという充足感。なんという幸福感。
この世全てのものが俺であるかのような錯覚。
全て、全て満ち足りている。
「悠弥、あぁ、わたしの愛しい貴方。どうか、どうかその気持ちをなくさないで。」
「雪女……」
彼女の冷たい手が、俺の頬と胸に触れる。
布越しに万年筆の硬さが、俺と彼女の肌に優しい痛みを植え付けた。
未来の気持ち、そしてそれを汲んだ雪女の愛。その相乗効果で俺の心は溶かされた。
ったく、伝承に聞く雪女が聞いて呆れる。どこまでも優しいただの女性じゃないか。
俺は、そんな雪女の目を見つめて、息を吸った。
「名前、与えても構わないか」
「えぇ。そう言ってくれると思っていたわ」
ここまでしてくれた彼女に、報いないというのは嘘だろう。
彼女がどう受け取るかなど知らない。
名前がどう影響を及ぼすかなど知らない。
ただ、そうしたいから名付けるのだ。
未来が、俺にそうしてくれたように、俺は、雪女に名を与える。
「月華。早雪や立花と悩んだが……月明かりに照らされたアンタのその顔には、これがいいと思った」
「ふふ、あははっ。月なんて名前、初めて付けられたわ。だって、わたしが現れると月は姿を隠すのに」
「おぉ。気に入ったか?」
俺の名付けを受け入れたのか、雪女は肩を震わせて笑う。
雪月花からとったのだが、気に入ったようで何よりだ。流石は未来お墨付きの俺のネーミングセンス。
「あぁ。ありがとう、愛しの悠弥。」
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
もしよろしければぜひともお願いいたします。




