45:万年筆と意味
「その問いに、言葉は必要かしら?」
弱々しく蹲る俺と対照的。
その場に浮遊する雪女の言葉は、とてつもなく強く感じた。
何故ここまでしてくれる。サトリもそうだ、雪女にもここまでされるような行為はしていない。
ここで果て、呪い諸共消え去ってしまうのがお似合いの無能が俺だ。漸く、救いの道は見えたはずなのに。
「それを、救済だなどと。私は認めません。それは、あまりにも傲慢が過ぎる」
サトリの声音は、これまで聞いたことがないほど深い場所から響いた。
何かを諭す声ではない。何かを赦さない声でもない。
ただ、事実だけを置く声だった。事実を以て俺の思想を否定する。
その優しさは、その光は、淀みの中を貫いた。
ひどく、痛い。
「愛を見せられたら、愛をもって応えるだけ。わたしは、ずっとそう。」
「――」
「でも、今度は少し違った形になったわね。氷が、割れてしまったわ」
「――」
伝承とは違う形。
歪んだ、『愛』。その結果が、俺を生かしたというのか。
「貴方が生きているのは、愛されていたから。愛されているから。わたしが、貴方を、愛しているから」
それは、まっすぐな『愛』だった。
氷片が散らばる寝室で、俺は雪女の優しさに触れる。
氷と瘴気がなくなった部屋は、本当に何の面白みもない日常風景を取り戻す。
あまりにも現実的な空間に、非現実的な妖怪が立ち並ぶ。
しん。と静寂がのしかかる。
何も言えなかった。殺してほしかったわけじゃない、助けてほしかったわけじゃない。
ただ、これ以上進む気が無かった。
ここが俺の終着点だと思っていた。だから、これ以上にどうしたらいいか皆目見当もつかなかった。
「なあ守坊」
これまで目を細めてじっと見つめていた酒吞童子が口火を切った。
「自分、えらい面倒な性格してはるんやねえ」
「何が言いたい」
「自分でもわかってんとちゃうん?ええ加減」
玩具に飽きた子供のような口ぶりで、酒吞童子は手元にあった本を弄ぶ。
いつも寝る前に読んでいた地政学等の小難しい本だ、そんなものまで再現されているとは驚きだ。
「漸く分かったんやろ?思い出せたんやろ?愛してたんやろ?」
「そう、だ。そうなんだ、だからこれで終われると思っていた」
なのに、俺は生かされた。
その理由が分からない。愛される、施しを受ける理由が分からない。
「答えは得たはずです。私が、酒呑童子さんが、雪女が提示することは容易いが……その真実だけは、己が手で導いてほしい」
俺の嘘を、優しくサトリが暴く。
酒吞童子の言葉の意味を理解していた、つまり俺が生かされた理由を俺は既に分かっていた。
「ふふ。いい顔」
雪女の白い手が、俺の頬を撫でる。冷たさと温かさの両方が俺の脳を満たした。
そうだ、この手が俺の内から万年筆を奪い去った時からなんとなく察してはいたんだ。俺に与えられた『愛』の意味。未来が残してくれた想い。
彼女は、俺に『ちゃんと色々書いてね』と言って万年筆を渡してくれた。
それだけじゃあない。知識、感情、後悔、懺悔。様々なモノを俺は未来から受け取っていた。
そしてその度に、俺はお礼をと言っては断られていた。
「……っくっ……そう、だよな……お前なら……そう、言うよな……」
俺は、流れ出る涙を抑えきれなかった。
辻褄があってしまったんだ。
未来の言葉、未来の行動、未来の万年筆、未来の沈黙――そのすべてがたったひとつの答えに収束していた。
何故、偽物の未来は己を黒く染め上げた俺を許してくれたのか。
何故、呪いを受け取った後もなんともなく生きているのか。
何故、雪女は呪いから俺を護ってくれたのか。
俺を、責めていないからだ。
「雪女。ちゃんと万年筆をもってるか?」
「えぇ勿論。とても、暖かいわ、貴方と未来さんの熱でわたしが溶けてしまいそう」
そらそうだ。こんなみじめな俺でさえ愛してくれる奴の遺品だもの。雪女に抱かれたからと言ってその熱が冷えることは無いだろう。
「それはな、未来から貰って以来ずっと大切に使っていたものなんだ。俺はずっと色々考えてたよ。どうしたら、その万年筆に適う男になれるか。どうやれば、彼女の望みを叶えられるかってな」
でも、この疑似空間で呪いを受け止めてやっとわかった。
言葉足らずの彼女の意思。
「何故、彼女がこれをくれたのか。何故、俺を愛してくれたのか」
肩を震わせ、俺は笑う。
そりゃあ、ここに来るまでの俺じゃあ分かりようのない答えだった。
彼女は、俺の愛した『星河未来』はこう答える。
「べつに、『意味』なんてない。」
深く考えてない。ただ、そうしたかっただけ。彼女の善性に、俺は救われて生きてきた。そして今も、救われて生きている。
「答えられたのなら、これはもうわたしが持っている意味はないわね。」
「有難う。しっかりと返して、貰ったぜ。」
雪女から両の手で万年筆を受け取って胸ポケットにしまう。三年間、ずっとそばにあった重みが、俺の胸へと戻ってきた。
「……で、どうだ?酒吞童子、アンタのお眼鏡にかなう回答だったか?」
もし、これが彼の理論に反するものであってもこれ以外に回答を持たないので、どうしようもないのだが。
目元の雫を拭い、俺は桃を齧る鬼を見つめた。
「――かかっかかか!ええなあ!合格や!己の真実をよ~やく見つめたなァ。悠弥!」
ずっと呼んでいた守坊という呼称ではなく、父から与えられた名前を酒吞童子は音にする。
「アンタ、名前……」
驚きは彼の言葉にもあった。だがそれ以上に、俺の声がとても落ち着いていることにもあった。
「自分を理解し、認め、それに対して答えを示した奴や。もう坊やないやろ、な?サトリ」
「ふふ。そうですね、立派な、とても立派な男ですよ。」
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