42:痛みと幻
「そう、ね」
雪女は、激昂と共に放った俺の言葉を静かに受け止める。もどかしさから、拳に力が入った。
「わたしは、愛を請われたら、応えるの。それだけ。」
「それじゃあお前は救われない!自己犠牲の愛など!愛じゃない!」
もしそれを愛と定義されるのであれば、それは根底から間違えている。自己犠牲とは、須らく独善的な願望であるべきだ。
「お前は愛を俺に伝えに来たと言ったな、片腹痛い!そんなもの、愛などと呼べるものかよ!」
「……」
沈黙が、耳に刺さる。頭では理解している。この問答に正解はない。雪女の言は正しい。俺よりももっと強い自己が彼女にはある。
――解ってんだよ。吞み込んだはずなんだよ。
酒と一緒に、辛さと一緒に、なにもかもをまとめて押し流して克服したはずだったんだ。
納得して、俺が悪いと持って生まれた運命なのだと、諦めていたはずなんだ。
「なのに……未来は俺の中から……消えてくれねえよォ……」
足の力が、完全に抜けた。
三年間、これだけは認めまいと踏ん張り続けてきた心が、ついに重力に負けて地面に膝をつく。
その実傷は全く癒えておらず、見て見ぬふりをし続けた結果、ここの奥底に深く刻まれてしまっていた。
「そうね、だから、わたしが来た」
「無理だ、自分の事だからよ~くわかる。これは『隙』じゃない、この傷も含めて俺なんだ……」
雪女は俺の傷を癒し、自分を愛を伝えに来ているがその目的が果たされることは無い。
何故ならば、俺の心はもう癒すべき傷がない。この歪な状態が俺にとっての正常。傷、即ち『隙』がないのだから彼女の目論見は最初から破綻しているのだ。
「ほんとうに、嘘が……上手。」
「そうだよ、自分を騙し続けた結果の末路さ。酒吞童子の酒と、あんたの氷がそれを暴いた」
もう否定することはしない。俺は、稀代の大噓つきだ。
だが、それも中途半端。どうせならば彼女の事等、未来の事など知った事かと一笑に付して生きていられればもっと楽だったろうに。
「その選択は、何より忌避するものと、私などが言わずとも貴方自身が知っているはずです」
サトリの低い呟きが、俺の中に生まれた毒を浄化する。
「そうでもないぞ、サトリ。俺ァな、ろくでもない奴だぜ。いっちょ前に大妖怪の前で大ぼら吹いた癖に、いざ直面するとなったら自分の惨めさにたじろぐ始末さ。何で俺なんかの事を、未来は好きになってくれたんだろうなあ……」
薄灰色の星空を見上げ、俺は毒吐く。
瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
「それは、言ってはいけない言葉よ。わたしの前で、愛を否定するなんて、許さない」
一瞬の痛みと、その後に来る冷たさで雪女が俺の頬を叩いたのだと遅れて認知する。
誰かに与えられた痛みは、とても優しく俺の心に入ってきた。
「じゃあどうすりゃあいい――?俺は、知らない。彼女の……未来の望みをかなえる方法も、彼女の命を奪った贖罪も、何も知らない。無知蒙昧の大馬鹿者には何ができるよ。なあ、教えてくれよ。なあ……」
一体いつ振りかという他人からの痛みは、成程どうしてここで与えられた優しさよりも温かく、同時に冷たくも思えた。
二律背反する反応に困惑し、俺はみっともなく雪女の裾を掴んだ。
「あぁ、愛しい悠弥。わたしにはそれを教えられない。わたしに出来ることは、愛されることだけ。だから、名前を貰いに来たの。雪女じゃない、貴方がくれる『愛』を」
「名前……」
名前を付ける行為は、不定形な妖怪にとって重要であることなのはすねこの件で知った。しかし、雪女にとってそれ以上の意味を持つことは想像通りの事らしい。
「わたしを呼んだ人は、皆わたしに名をくれた。その名前は雪解けと同時に消えてしまったけれど、その愛自体は無くならない。」
これは、もしかしたら未来が俺に科した試練なのか。
雪女という愛の化身に、正面からぶつかり、それを認めて見せろと言うメッセージ。
いつまでも過去に縋り、いつまでも過去ばかり見ている俺を彼女が見ていられず狭間に呼びこんだ……。
そこまで考えたところで、俺は「ふ」と息を漏らした。彼女にとって、とんだ迷惑だろう。
ありもしない意志を幻視されているんだから。
「悠弥さん。厳しい言葉を今から貴方に投げます、どうぞしかと受け取ってください」
「な、なんだよいきなり」
「貴方の考えは正しい。だが、受け取り方を激しく間違えています。いいですか、未来さんは、すでに死んでいます」
「何が、言いたい」
つい、怒気が俺の口から漏れた。
サトリの紡ぐ音の意味が、全く読めない。
「死した人間の意思とは、無いのですよ。」
それは、俺のこれまでをすべて否定する言葉だった。
彼女の意思と、母の愛と、これまで縋ってきた全てを幻覚だと断ずる圧倒的な論理だった。
「分かっているさ、でも俺はそのありもしない幻に……!」
「亡き人の想いは、今を生きる貴方にしか作れないのです。所詮は妄想の域を出ない作り物でしょう。しかし、幻想と現実の差が曖昧な我々からすれば、どうでもよい事」
そう言ってサトリは雪を手のひらにためて、ふっと息を吹いた。雪が融けながら空中に舞い、焚火の光を反射する。
「ちょっと私、本気だしちゃいます」
そう呟いたサトリの両目は、いつになく大きく開かれていた。
何時ぞや田園で吹いた風と同じような目を瞑りたくなる強風が俺達を包む。
*
目を開くと、そこは現実に戻っていた。
正しく言えば、つい数日前まで俺が暮らしていた現代の世界に戻っていた。
時間を正確に告げるデジタル時計、ほぼつけることの無くなった薄型テレビ。最近異音を放つようになった愛用のノートPC。家具なども全部俺の記憶のまま。
ただ、俺は元の世界に帰れたわけではないと俺の隣に立つ人物が雄弁に告げていた。
「これは、私の能力で作り出した幻覚です。私、実は山の神とも呼ばれていたことがありまして、ほんのちょっと凄いんです」
「ほお、これが守坊の棲み処か。えらい狭いなあ」
「貴方がいるから、余計にそう思うわ。その樽と瓢箪退けて頂戴」
何だって急にこんなことを。
確かに、宴会が始まりだした頃幻覚を見せることは出来るなどと言っていたが。
「さあ悠弥さん。亡き人の『意思』がどこにあるか、今から一緒に見ましょう。」
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
もしよろしければぜひともお願いいたします。




