41:貴方とわたし
雪女は続ける。初めて人と出会った時の事。初めて愛を教わった時の事。愛を失った時の事。
凍てついた悔恨は、鎖と変わり自分の身体を過去に繋ぎとめる。
「だからこそ、わたしには 解る」
雪女の言葉の真意を、遅れて理解する。
理解して猶、理解不能に陥った。
何故、俺と同質……いやそれ以上の呪い、運命からの罰を受けながらそれを許容できているのか。
「だったら……わかってんだったらよ……、なんでなんだよ。何でそんなことができるんだよ」
名前を与えられに、愛を伝えるために来たと雪女は言う。彼女の本質からすると俺がそれに応えてしまえば彼女の存在は消える。
遠回りの自殺行為だ。
「それがわたしだもの。卑怯と、あざけるかしら?」
「くひっ、妖怪相手に、卑怯もなんもあらへんやろぉ。」
雪の冷たさは、俺に酷く突き刺さる。
たおやかな雪女には、俺にない強さを持つ。春には溶けて消え去る女性なのに、存在強度は俺の遥か上。
本当に、自分がみじめになる。
「わたしと貴方の違いは、嘘が上手かどうかね。嘘を覚えてしまったが故に、誤魔化すことができてしまった」
「アンタが想い人を凍らせたのと同じだ。根本は」
それは、冷気を操ることのできない俺が、我が身可愛さで編み出した醜悪な自己防衛だ。
俺は胸ポケットから万年筆を取り出して、強く握った。
「出来ない、俺はそうなれない。強く……なれない……」
万年筆を見つめて、俺は蹲る。
「いいえ、貴方は強いわ。少なくともわたしよりね、その証拠を、見せましょうか」
「あ、おいっ!」
握る万年筆に、雪が纏わりつく。
指先から這い上がってくる絶対的な零度。
木枯らしが舞うように、俺の手に風が吹き筆を奪っていく。
「や、やめてくれ!返してくれ!それは、彼女からの、未来の形見なんだっ!」
「知ってる。だと思ったわ」
「やっぱり嘘やったやん、仕事で使こてるだけなんて、ようホラ吹くわ」
酒吞童子の言葉は、俺の耳に入らない。彼女を失って以来、ずっと肌身離さず持っていた筆が雪女の手に渡り、徐々に凍り付いていく。
『わたしはさ、悠弥と違って言語化へたっぴだからさ。これ!あげる!』
――彼女の声が、少しだけ蘇る。
放してはいけない。俺だけの欲望ではない、俺は、彼女の望みを叶えなくてはならない。もういない彼女が、俺に託してくれた望み。
この妖怪の狭間においても、幾度となく俺を救ってくれたトリガーになった光が、クリスタルブルーの氷塊に包まれていく。
「俺がそれを手放すわけにはいかない。頼む、俺にはそれが必要なんだ」
「何故、かしら」
唐突な質問。俺は間髪入れずに答えた。
「俺はそれがないと芯がない、未来がくれた筋があるから立っていられる。生きる指針なんだ」
「まあた嘘を吐く、自分……そろそろおもんないで」
酒吞童子がドンと、盃を机に置いた。雪女とは違う種類の冷気……覇気というのか、質量をもった空気がその場に満ちる。
「俺は、嘘を吐いていない……」
「せやから言うたやろ?我は別に嘘やろうとど~でもええねん。せやけどなあ……」
大江の鬼を支配した、とてつもない威圧感が俺を襲う。
「酒の肴には、食傷気味や。ええ加減、自分の事みてみい」
「悠弥さん、貴方は今……未来さんの名前を呼んでいる。気付いていますか?」
サトリに指摘されて、俺は先ほどの言動を振り返る。
必死に万年筆を取り戻そうとして、彼女の、本来口にしてはいけない名前を俺は言っていた。
「……問答を続けていいかしら?」
「それを返してからにしてくれ。頼むよ」
「ふふ。わたしは愛を凍らせるもの。溶かせないわ、『今は未だ』……ね」
どこかで聞いたセリフで返されて、俺は口を噤んだ。
「わたしの『隙』は変動するもの、『今』のわたしを愛せるのは――サトリ風に言えば、『隙』を埋められるのは、貴方。愛しい貴方、悠弥」
「待ってくれよ、正直に言うぜ。もし、もし仮に俺があんたを愛するとすれば、アンタは消えてしまうんだろ?おかしいぜ、無茶苦茶だ」
もし、俺が雪女なら、哀しみに暮れ立ち直れない。奇跡的に復活できたとして、また再びその要因に近づくことは出来ない。かなしみとは、人を凍てつかせて動かないように固定するはずなのに、雪女は自由に動いている。
呪いのような運命に縛られながら、雪女は自由だ。
理解が、出来ない。
「そうかしら?」
「だってそうだろう。愛しているモノから普通離れたくない、消えてほしくないってのが普遍の想いのはずだ。なのにあんたはその真反対の性質を押し付けられている」
俺の心が、雪女を否定する。
父に憧れた時と同じだ、俺ができないことを平然とやってのける。その姿勢に強い羨望を覚える。
「わたしは雪よ、雪は冬が終わると同時に溶けて消えるもの。それが定めなら、あるがまま受け入れるの」
「おかしい!おかしいぞ、あまりにもあんまりだ!運命だからと言って、理不尽にもほどがある!」
同じ性質を持つのなら、同じ愛を説くのなら、妖怪の死生観で片づけられる話ではない。俺は、彼女の愛を、認めることは出来ない。
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