37:名前と夜風
「事故があった。疲労困憊だったトラックドライバーに、俺の彼女は轢かれて死んだ。誰の目から見ても、即死だった。真っ赤な血は今も俺の瞼の裏にこびりついてとれやしねえ」
意を決して事実を吐露していく。言葉を考えるたびにあの惨状が蘇り感情以外のものが喉を通りそうになって慌てて酒を追加する。
あの事故から三年、誰かに語ったのは初めてだ。
俺の中で、まだ処理しきれていないことを改めて認識させられる。今は只、事実だけを伝えよう。
「……運転手も、運営会社も裁かれた。情状酌量の余地はあったと、俺も思う状態だった。全て公平に、全て滞りなく法のもとにしっかりと裁かれたよ、正しくな。不利益を受けたのは……彼女だけだった。傍にいた俺も奇跡的に何の怪我もなくこの通りだ」
俺は何度も、何度も問うた。何故だと。何故彼女は死ななくてはならなかったのかと。
皆口をそろえてこう言った、運が悪かった、貴方は悪くないと。
じゃあなんだ、俺が悪くないのだとすれば、彼女が悪かったのか。
あり得ない。
絶対にあってはならない。そんなことを許してはいけない。俺は、彼女が悪くないことを立証するために、俺を許さないことにした。
「俺が、人生において愛してきた人は……皆死んだ。母さんも、あれだけ笑顔でいた癖に……ぽっくりと逝きやがった。不思議なもんでよ、訃報を聞いた時や実際に死んだのを見たときは悲しくねえんだ。理解できてなかったからな」
時間を置いて、ゆっくりとその事実を咀嚼してようやく、時間の不可逆的な暴力に悲鳴を上げる。
俺の過去を、二人は静かに聞いていた。
「貴方の自罰的な思考の根幹は、そこにあったのですね」
「ずっと一緒に居って覗かへんかったん?」
「えぇ。私の能力では彼の奥底まで視られませんでしたし、無理やりこじ開けてみようとする程恥知らずではありませんので」
「まあ、思い出して苦しいだけだからな。出来る限り思考の外に追いやっていた」
「どこがやねん」
酒吞童子のツッコみに、俺は息を飲んだ。
瞬時に理解できなかった。いや、理解したくなかった。
数秒遅れて、ようやく「は」という短い吐息交じりの言葉を漏らす。
「いやいや、自分本気で言うてんの?どこが思考の外に追いやっとるん。心の奥底にだぁいじ大事に仕舞いこんどるやん」
酒吞童子に俺の虚言を暴露され、俺はたじろいだ。考えないようにしようと必死にそれを考えていたことに指摘されて気付く。
「そこまで愛しとったんやねえ、その娘の事。えらい幸せもんやん」
「どこがだ!何をもって彼女が幸せだと語る!」
思考するより先に、俺は立ち上がり彼の言葉を否定していた。俺が殺したも同然の彼女が、どうして幸せだと思える。そんな妄言、許してはいけない。ここにきて初めて、俺は叫びと共に感情を相手にぶつけた。
「悠弥さん」
「す、すまない。取り乱した……」
「かまへんよ、酒の席やもん、無礼講でええわ。……んで、なんやっけ。そうそう、なんでその彼女はんが幸せやと思たかやったね」
「あぁ、俺はその論を決して認められない。未来が幸せだったって?断じて否!」
「へえ、みく言うんその彼女はん。ええ名前やね、やっぱり幸せ者やわその子」
酒吞童子が彼女の名を呼んだ事で、俺が本来呼んではいけないはずの名前を漏らしてしまったことに気が付く。俺は彼女の名前に秘められた願いを奪ったのだから、その名を口にする権利など無いのだ。
だというのに、勢いに任せて口から溶け出ていた。
「人の生き死になんて、どない最期でも結局死んだことには変わりあらへん。重要なんは残されたもんがどう思うかや。その点、そのみくいう子はしっかり守坊に想われとるさかい、果報者やおもてな」
酒吞童子は、俺の顔を一瞬だけ見た。 気づかぬふりをして、盃を傾ける。
サトリの瞳が、わずかに揺れた。
「俺だけが想っているだけじゃ足りない、彼女はもっと……その名の通り未来のある人生を送るはずだったんだ、それなのに……俺が」
「悠弥さん、私に聞かせてもらえますか」
俺と酒吞童子の会話にサトリが割って入り、細い目で俺を見つめる。
きっと、これ以上あの会話を続けているとどんどん沈んでいくと思っての行動だろう。
「貴方のその自罰的思考の根源は先ほど仰っていましたが、それでも理解できません。未来さんの死も、お母様の死も、貴方に一切の責はない。だのに、貴方は己で拵えた重責に押しつぶされんばかりだ。」
「俺のせいじゃない。誰しもがそう言ってたよ、でもな、そう思わざるを得ないんだよ。俺が心の底から好いた女性は皆死んだんだ。それに加えて、俺はあの事件を防げる立場にあった。導火線に火をつけたのは俺じゃない。だけど火を消せたのにそれをしなかったんだ、もしあの日俺があの子の名前を呼んでいれば……」
もし、或いは、かもしれない。そんな『あり得ない』を作り出す事は自分でもう止められない。
「そんなヘンテコな呪いあるわけあらへんやん、止めとき辛気臭い。たらればの妄想やで」
俺は押し黙る。正しい。酒吞童子の意見も、サトリの指摘も全て正しい。論理的に考えてあり得ないのだ、呪術などこの世に存在しない。
だが、ロジカルの部分ではなく、感情の部分でそれを否定したい。
「孤独に揺れて、愛を拒み、貴方の心はどうなりますか。疲れ果ててこの狭間へ迷い込むに至った。少しは貴方自身を労わってあげてください」
「そうじゃねえんだよ……。俺の心がそれを許さねえんだよ――許しちゃ……いけないんだよ……」
俺の呟きと共に、一陣の風が吹き荒れる。
先ほどまでの初夏の風とは違う、寒い冬の夜風のような冷たさを伴ったそれは、俺の身に深く刺さった。
「あら、えらい珍しい来客や」
酒吞童子の笑みが、一瞬消えたように見えた。
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