33:赤鬼と笑顔
体の芯から温まり、俺達は酒吞童子の待つ場所へと戻る。道中空を見ると、もう日は没しており蘇芳色から濃紺へかけてグラデーションが描かれている。
淡い星の光が、空を彩っていた。
元の部屋に戻ると、彼は先ほど宣言していた通り一足早く酒盛りを開始していた。
奥から持ってきていた樽の内、ひとつはもう空になって転がっている。
「遅かったなあ、自分らが持ってきた肴えらい美味かったさかい大分食うてもうたわ、堪忍え」
こちらに気付いた酒吞童子が振り向いてくる。美白の肌が真っ赤に染まっていた。酔うと顔が赤くなりやすい人は何人も見たことがあるが、その中でも段違いだ。
ケラケラと笑うその様子は、すでに出来上がっているように思えるが、きっと酒吞童子にとってはこの状態が普通なのだろう。
俺は、様々な所で語られる『赤鬼』の正体を見た。
伝承に尾ひれはひれがつくのは当たり前の話だが、実態を見て見ればなんてことのない。確かに圧倒的な威圧感を持っている、達観したというか超越者のような双眸もある。しかしその根元、根幹は人と何ら変わらないのだな。
「アンタ、マジに俺が風呂でほかほかしてる間に樽一個と鮭とばを全部食ったのかよ。結構俺も楽しみにしてたんだぜ?」
「くくっ、酒はまだまだあるさかい、ほら桃お食べ。よう熟れとるから、美味いで」
彼の傍らに陳列されている樽と、無造作に机に転がる桃の山を指さして酒吞童子は笑う。
「さあ悠弥さん、ご相伴にあずかりましょう」
「そうだな、開宴だ」
黄昏時をとうに過ぎ、いざ宵の口。
俺は樽から極めて透明度の高い酒を掬いグイっと呷る。
濃密な酒の匂いが脳を覆いつくし、肺を通り体全体へといきわたる。
遅れて、味覚。まるで電流に打たれたかのように硬直した。脳髄を直接握られたかのような衝撃のある味、それに加えてなんとも優しい、体の筋肉という筋肉を弛緩させる毒のような極上の酒。
何だこの味は。するすると喉に入ってくるのにその度に舌の味蕾が歓喜に踊る。
飲めば飲むほど喉が渇く、こんな樽なんて小一時間で飲み干せてしまいそうだ。
「たまらんなァ!これァ!」
「ええ吞みっぷりや、それでこそ男やね。ほれそこの優男も呑まんかい、下戸やなんて言わせへんで」
「ふふ、勿論ですよ。私、こう見えて結構蟒蛇ですので」
「くかっ!我相手にそう宣うなんてええ度胸しとるやんかぁ……ええなあ。どれ程魅せてくれるやろか、なあ守坊、意外な酒の当てができそうやで」
サトリと酒吞童子もエンジンがかかってきたようだ。無理もない、先ほどまでは俺が風呂から上がる前に樽一個丸っと飲み干した酒吞童子を堪え性のない奴と思っていたが、この味の前ではどんな聖人君子だったとて垂涎するに違いない。
「そうですね、童子さんの酒はどこのものよりも美味い。まさに天下一品ですから」
「せやで、我の酒を飲める人間なんてそうおらんねんから、たぁんと味わってや」
二人から煽られて、俺はまた一気飲み。深く酒気を帯びた息を吐いた。
「これほど美味いと思った酒は、短い人生のなかでなかった。間違いなく最上のものだぜ、こりゃあよお」
「当り前や、我は酒の鬼。好きなもんこそ至上の一品をそろえたくなるもんやろ?」
「おぉ、分かるぞ。俺もなぁ、学生の頃は辞典をコレクションしていてなあ。その中でなっかなか手に入らないモンがあったんだが、とある人にそれを譲ってもらってなあ。あん時ゃあ本当に嬉しかったなあ」
酒が入り、俺の舌がいつもの倍以上に回りだす。
初対面の酒吞童子に過去の話を持ち掛けてしまった。
「ええやん。我もな、一時期刀を蒐集しとってん。最近はどこの誰ももってへんからもう止めてもうたけど、あの美しさはええ肴やったで」
鬼と蒐集癖が被るとは。
しかし、確か京都や各地方に残る鬼の被害には食物や人間だけでなく貴金属などもあったとされていたはず。
納得の趣味だな。
「おや、そうなのですか。酒吞童子さん、貴方方の嗜好は後世に語り継がれているようですよ」
「へえ。おもろいやん、なんや我のふぁんでもおんの?」
酒吞童子の唐突な現代語に、俺は吹き出した。どこでそんな言葉を知ったのだ。
「なに吹き出しとんの」
「いや、悪気はない。悪気はないんだが、くそ真面目な顔で「ふぁん」なんていうもんだから面白くてつい……」
肩を震わせて言い訳を述べる。なんとも似つかわしくない言葉が出るだけでここまでツボに入るとは思わなんだ、酒の力とは言えここまでゲラだったかな、俺は。
「変なの。ま、ええわ。ほれほれ、もっと呑みぃや。まだまだ樽は八分目やで」
「おうともさ、サトリ、アンタの煮干し美味いぜ。酒吞の酒とマリアージュだ」
「何ですかその言葉、初めて聞きました」
「へへ、いつも博識なサトリも現代知識に関しちゃあ俺に軍配が上がるな、酒と菓子やらなんやらがこの上ない組み合わせだっていう意味さ」
正確にはワインと洋菓子に対して使う言葉だった気がするが、細かいことはいい。大事なのは雰囲気だ。
「物知りやねえ」
「伊達に三十年弱生きてねえからな。まあ、頭でっかちなんだけどよ」
俺の周りには本当の意味で物知りな人が多くいた。俺はその人達から知識を受け取り、その博識ぶりを限定的な状況で模倣しているに過ぎない。
本当にすごいのは、俺ではなく俺の中に生きる二人の女性だ。
その事実だけは、何度酒を飲もうとも、何年経とうとも、俺の中で揺らいだことは一度もなかった。
俺は再び酒を呷り、満天の星を見上げる。
素面ではない状態で見る星空は、いつになく美しく見えた。
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
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