31:登山と邂逅
サトリの家を出てから数時間、今まで歩いていた道とは別方向に足を向けていた。
数日間のフィールドワークでおおよその地理は把握していたのだが、山方面には見ていなかった。
「どうですか、そろそろ休憩しましょうか」
「いいや、大丈夫だ。なんだか今日は体が軽くてな、絶好調ってやつだ」
八時間以上ぐっすり眠った結果だろうか、全く疲れていない。ここにきて間もない頃……それこそ泥田坊へ会いに行ったときは数時間森を歩いただけで息を切らしていたのだが、本来の俺の体力とはここまであるものだったのか。
「それは素晴らしい。それは貴方の心が癒えてきて身軽になってきているからでしょう。」
「隙が埋まるってのは、そーゆー副次的効果もあるのか」
思えば、常に付き纏っていた気怠さがない事に気付く。妖怪リラクゼーション……侮りがたしだな。
「ではもう少しで麓に着きますので、そこで一服しましょうか」
「そうだな、流石にノンストップはきついだろうからそれがいいだろう。休憩所みたいなのがあるのか?」
泥田坊の田園付近に設置されていた掘っ立て小屋みたいなかつてここに住んでいた人間が作ったものの名残が、ここにもあるという事だろうか。
「いいえ、それはありません。山の周辺はあまり人が寄らなかったのでそれを作る必要がなかったのです。ですがご安心を。切り株や石が転がっていますからそれに腰かけていただければ一時の休息にはなるでしょう」
サトリの言葉に、俺はこの山を統べる存在の事を思い出す。
鬼とは、古今東西の世界に名を変えて偏在するモンスター。『酒吞童子』という名前は知らずとも、鬼とは何ぞと問われ答えられない人は早々いないだろう。
そんな恐れの対象の根城にわざわざ近づく物好きはいないだろうな。
しかし、『鬼に横道はない』と言う言葉や、その当時の時代背景などを複合的に見て見ると彼らの物語は決して勧善懲悪のストーリーではないと、思えてしまう。
昨夜サトリから聞いた人物像も、酒呑童子が絵本に語られるような魔王ではないと思える。
「さて、どうでしょう。私はそれを語る口も、知識も持ち合わせておりません。その評価は是非彼を直に観て答えを自ら出していただきたい」
「そうだな。ま、こんな感じでフレンドリーに行って馬鹿見てえに怒られたら世話ないけどな」
結局のところ、ここで歩きながらうだうだ言っていても変わらないのだ。こんな時にも、父の贈り物が役に立ってくれる。
「ま、なるようになる。……か」
「ええ。その通りです、貴方のお父様は物事の本質をよく見抜いておいでだったのでしょう」
*
麓の切り株で休憩をして、そこから一息に山を登りきる。
俺の想像する山道とは違う、獣道ではあったがサトリの協力と助言あって特段困ることなく頂上付近のなだらかな斜面にたどり着く。
山頂に近づくにつれて、匂いというか、俺を包む雰囲気の質が変化していくように感じた。しっとりと湿り気を持ったというか……山頂というのはこういうものなのだろうか。
異質な空気に包まれた山頂には、自然にできた穴を加工した城のような建物が佇んでいた。
その中、中央に鬼はいた。
「ほうかほうか、そこの小僧の小屋からとはえろう遥々。よう来はった」
朗らかに笑う青年……いや、女性……か?
どちらでもいい、と直感が告げた。この存在に性別というラベルを貼ること自体が野暮というものだ。
白磁の肌、墨を落とした様な艶やかな黒髪は肩まで伸びており、彼が笑う度にゆらゆらと揺れて光を反射している。赤褐色の着物を着崩してこちらを見つめて笑っていた。
中性的な美青年とも、美少女ともとれる彼の美貌に俺は息をのむ。
「どないしはったん?もしかして、一目惚れやろか。あかんわあ、こればっかりは我にも止められへんさかい……堪忍え」
「酒吞童子さん、おやめくださいな。彼をとって食おうとするのは」
「くかかっ、相変わらずいけずやなあ。ええ?その子ぉもえらい蕩けた表情しとるやん、何やら美味そうな匂いもするし、溶かして飲んでしもうた方が早いんとちゃうかえ?」
サトリの言葉に、はっと意識を取り戻す。
酒吞童子の言う通り、俺は彼に目と意識を奪われていた。
「す、すまん。俺が勝手に見惚れただけだ。びっくりした、青っぽいガキじゃあるまいに申し訳ない」
「くか、ええんよ。慣れとるさかいに」
「そうかい、ならよかった」
まあよくはないが、致命的な一撃にならなかっただけましだと思うことにしよう。ファーストインプレッションとしては、泥田坊とはまた違った角度で悪いものになってしまったな。
「そいで?自分らは遠路遥々何しに来はったん?我の顔を一目見たいからっちゅうわけと、ちゃうやろ?」
「流石にそんなに色ボケてないさ。今日はアンタに酒を貰いに来たんだ、鬼と言えば酒。だろう?」
その一言で、場の雰囲気が変わった。
ドスン、と空気が質量をもったかのような錯覚に陥り、両の足に力を入れて俺は喉を鳴らす。
「鬼にとって酒は血。自分……おたくはんの血ぃ欲しいさかい寄越したってくれへん?っちゅう身勝手なおねだりする気ぃかえ?」
彼の声が、数オクターブ下がる。
圧倒的威圧感に、数歩退きそうになるのを何とか堪えた。先ほどから足に力を入れていてよかった。
「……結果としてそうなってしまう。もし不快に思ったのなら、早々に姿を消すが……どうだろうか」
俺が取った択は、偽らない事。
俺の知る逸話とサトリの語る人物像からこれがいいと判断した。
勿論運否天賦。正解がどうか分からないが、この選択ならば俺はどっちに転がっても後悔はない。
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
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