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狭間とやらに迷い込みました。~三十路営業マンの癒し癒され妖怪奇譚~  作者: 鯱眼シーデン
迷い込み、立ち止まり

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03:曇天と疑念

 微睡みの中から意識が浮かび上がる。いつもの耳をつんざく嫌な機械音はない。無慈悲に時間が過ぎることを俺に知らせる時計の針が動く音もない。


 耳から、情報が入ってこない。


 言葉にすればなんてことの無い数文字の事が、俺はひどく新鮮に感じた。


「おや、お早うございます。よく眠れましたか?」

「お陰様でな、布団。借りて悪かった」


 俺が起きたのを目敏く察知して、頭上から声をかけてきたサトリ。黒い長髪を結い、着流しの裾をひもで縛っている。何やら作業でもしていたのだろうか。

 

「もう少しで朝餉ができます。一緒に食べましょう」


 朝食、妖怪と自称したくせにご飯は人間と同じように食すらしい。

 

「何から何まで、悪いな」

「いえいえ。一人前でも二人前であっても作る手間は変わりませんから」


 手際よく食卓に並ぶ日本料理の数々。みそ汁から山菜の漬物だろうと思しきもの、焼き魚もある。なんとも料亭さながらの料理に腹の虫が鳴った。


「ふふ、腹が空いているのは健康の証拠です。さあ遠慮なく」


 空腹に耐えきれず、俺は箸をとり米をつついた。寝て起きただけだというのに、なんだか異様に腹が空いていた。


「いただきます。」

「えぇ、私も。いただきます」

 

 脂ぎったジャンクフードばかり取ってきた現代人が優しい味付けの料理に、舌鼓をうつ。


 ふと、懐かしい景色が脳裏をよぎる。母が台所に立ち、父とともに朝食を囲んだあの頃。

「今日はどこに行こうか」と母が笑いながら尋ねる声。味噌汁の湯気。窓から差し込む朝日。

 消えかけていた朧げな記憶。そんなことが、俺にもあったなと古ぼけた写真を見るように思い出した。

 

「どうか、いたしましたか。昨夜は観なかった良い顔になっておられる」

「……。別に、なんでもないさ。アンタの料理が美味いってだけだ。」


 心を読むという男がつまらない冗談を、と胸中でひとりごちる。きっとこの感情も見透かしているのだろう。


 いったいどれほど寝たのかわからないが、昨日の困惑から時間を置いて漸く頭が冴えてきた。サトリは自分を妖怪だのと宣っているが、とても信じられない。妖怪とは、まだ科学や物理学が広まっていない時に人々が事象を何とか無理やり理解しようとするために生み出した虚像、作り物だ。母より教わった妖怪の数々、今やそれらはロジカルに否定できる。


 つまり、妖怪などとうそぶくこいつは、何か別の目的を隠しているかもしれない。どのような動機があるのか、何のメリットが奴にあるのか、一切が不明だがひとまず純粋に話していては奴の術中に嵌るだけだろう、気を張らねばならんかな。


「さて、今日は生憎空模様が怪しい。折角朝餉の後は貴方にここの案内をしようと思ったのに」


 俺の心の毒を無視したのか、サトリは今日の予定を話し出す。

 物憂げな視線を空にやっていた。

 

 和室の縁側から広がる空は、灰色に染まり、いつ雫が堕ちてきてもおかしくない様子だった。そういえば、美味そうな料理の匂いに交じり雨の匂いが混じっているのに気づく。


 数時間と経たずに雨が降り出すだろう。俺にとってはなぁなぁのまま話が進んでいくより都合がいい。朝食を平らげた今、疑問や疑念をすべてぶつけてやろう。どうせこの男には隠し事が通じない、妖怪であるという理由ではない理由で。


「靄を抱えたままでは解決できる問題もないでしょう、これはお天道様が用意してくれた絶好の機会ですね」

「そうだな、元から隠す気はないが腹を割って話そう。と、その前にごちそうさまでした。とても美味かった。片付けぐらいは手伝わせてくれ」


 いかに信用のおけぬ相手とは言え、礼儀には礼を返さねばならない。それを怠っては俺は俺を許せない。見た所シンクは現世のそれと何ら変わりない。皿洗いぐらいやらないとだめだろう。


「ではお言葉に甘えて。一緒にやれば数分とかからぬでしょう」


 皿を重ねてシンクにおき、水と洗剤で洗う。狭間だか何だか知らないが、スポンジも食器用洗剤もあるじゃないか。なんてことの無い、単なる辺鄙な田舎だ。


 俺の中で警戒度が徐々に落ちていくのを感じた。

 ――いや、待て。これがまずいんだ。

 こうやって油断させて、相手を自分の領域に巻き込む。営業でさんざん見てきた手口じゃないか。


「独特な匂いだな、何処のメーカのだ?」

「ムクロジの実で作ったお手製のものです、いい匂いでしょう?」


 皿を洗っている最中に不意に零した疑問、それにサトリが答える。洗剤とは自分で作れるものだったのか。知らなかった。


「ふふ、貴方が生まれる前は、何でもその場にあるものから作ったものですよ。そのへちまもよく汚れを取ってくれるでしょう?」

「へちまぁ?これがへちまなのかよ、オレンジ色のスポンジじゃねえか。」


 俺の握るそれはへちま、植物を乾燥させたものだという。確かに一般的なスポンジより細長いとは思っていたが、まさかへちまだとは思ってもみなかった。

 

「妖怪は暇でね、ここの時間は浮世と違いゆっくりなんです。故に暇を持て余した者が偶に作ってくれるのです。少し遠くに住んでいるのですが、恐らくあなたが帰る前には出会うでしょう」

「ならちょうどいい。さ、これで最後の皿だ。腰据えて、話そうぜ」


 他愛のない会話が、俺の心を少し癒す。思えばこんな雑談をしたのはいつ振りだろうか。一人暮らしの男には、会話を交わすという他愛ない日常でさえ癒しの効果に変換されるらしい。


 *


「さて、じゃあ俺の考えというか胸中は覗いたか?」


 俺の質問に、サトリは黙って頷いた。

 

「えぇ。無理もありません、いきなり訳の分からない場所へと誘われ、その挙句このような胡散臭い風体の男が妖怪だと宣う。到底常人に理解できる情報量ではない」


 

 皿から滴る雫を拭いきってから、俺は食卓へ戻り、サトリの正面に腰を下ろした。


 

「そらそうだ、妖怪なんてなあな、今日日完全否定されているんだよ。理屈の上ではな」

「ふぅむ……」


 片目を閉じて頭を掻くサトリ。続く俺の言葉を待っている様子だ。


「俺が知りたいのはアンタの目的。妖怪だのと嘘をついてまで俺のような存在に手間をかける謎だ。」

「そう結論づけますか。嘘ではないんですよ、本当に。私を何と呼称すればいいかを考えたときに、一番近いのが妖怪なんです。――私は」


 続くサトリの言葉を想像し、俺は奴にかぶせるように口を開いた。


「 「心を読む妖怪です」 」


 俺に十八番の読心術を模倣され、細い目を見張り心底驚いた表情を見せるサトリ。少しは俺の気持ちがわかったようで何よりだ。


「心を読むなんてのはな、断片的にならば誰にでもできる技能なんだよ。勿論条件などを整えたうえで……だが」

「これは、思わぬ返し。面食らってしまいました」

「と、いうわけで俺はアンタを妖怪じゃなくって捻くれた勘の鋭い賢い人として認識している。そしてこの場所も浮世離れした異世界ではなく、俗世と隔絶されたド田舎ってとこだろうと踏んでいる。」


 


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