02:妖怪と狭間
「は、狭間ねえ」
「困惑されている様子、仕方ありません。もう少し説明をしましょうか。」
座布団に座り直し、俺とサトリは対峙する。
「貴方は妖怪と言う存在を認知していますでしょうか」
妖怪。その言葉を聞いて俺の中の警戒度がぐんぐんと上がっていく。
胡散臭いと思っていたが、なんだ藪から棒に。
「その様子ですと、詳細は知らずとも大まかな概念としてはご存知の様子ですね。では、その説明は省きますか。」
「あ、ああ。構わない、続けてくれ」
俺はシャツのボタンを数個外し、荒れた息を整える。
「此処は先ほど言うたように浮世と常世の狭間。そしてそれは、誰かの意志、無念や悔恨などによって発生する。」
暫定ヒグラシの声を後ろで聞きながら、俺はサトリの言葉に聞き入っていた。
「此処自体も一種の妖怪、ああいや、別に大きい妖怪の胎の中――とかではありませんのでどうか落ち着いてくださいね」
「そうかい。それで?その狭間妖怪さんにどうしてお宅と俺がいるんだい、順を追って説明してくれよ」
「勿論です。ではまず改めて自己紹介をさせていただきます。私は覚、薄々勘付いておられるかもしれませんが、心中を読む妖怪です。貴方のように此処へ迷い込んでくる方を案内する役を勝手に担っているものです。」
目を細めて柔らかく笑うサトリ。
あり得ない、とは言い切れない。
断絶した記憶、継続するヒグラシの声。明晰夢の、一種なのだろうか。多くの事を同時に処理しすぎて頭痛がしてきた。
「まあ、そのような解釈もできますね。妖怪というものは如何様にも形を変える。」
俺の心中の疑問に答えるサトリ。サトリとは妖怪の覚ことだったのか。クダンなどと同一視されることのある妖怪だと聞きかじったことがある。正しい知識かはさて置いて、これまでのやつの行動に納得した。
すべて俺の心を読んで、先手を打ってきていたわけだ。
「常時、丸っとお見通しというわけでもないんですがね。考えていること、思考がぼんやりと透けて見える……という風な感覚でしょうか。」
成程。こちらの思考が常に筒抜けと言うわけでもないのか、ならまだやり様はある。早いこと信頼を稼いで安心を確保しなくては。
「その特技を使って、私は案内役になったのです。妖怪は基本人との距離を測るのが下手だ、ここに迷い込んだ方を私以外ではむやみに怖がらせてしまうという事で、気づけばこうなっておりました」
「するってえとほかにも妖怪はたくさんいるってコトか」
俺の疑問に、サトリはハイ、と頷いた。
「此処における人間や妖怪に、明確な差はない。人が抱く郷愁や悔恨と、妖怪が抱く哀愁や欲望がこの狭間を形作る。私もこれまでに迷い込んだ人たちも妖怪も、皆等しくこの世界の一部なのです。勿論、貴方も」
「そうか、ある程度は分かったよ。ありがとう。それでありがとうついでにもう一個聞きたいのだが」
「帰り道のことですね?」
心を、読んだ?いや、違うか、俺の口ぶりからして続く言葉は簡単に想像できただろう。
「そうだ、アンタが何者で、ここは何処なのか。それはハッキリした、じゃあ後知りたいのは1つだけだ。」
本来、俺はここにいるべき存在じゃあない。
迷い込んだ異物、サトリ曰くそのような異物でさえ許容する曖昧な場所とのことだが、俺にはそう思えない。
「帰るべき場所があると」
「いや、そう……じゃあない。俺自身、心底驚いていることだが、まったく、これっぽっちも帰りたいと思えねえんだ。黄昏時の空を見上げて風鈴の音とヒグラシの声をつまみに麦茶でもすすっていたい。そう思えてしまう」
確かに残してしまったことはある。後悔など、数え切れないほど残してきた。だけど、それを理由に帰りたいと思えない。ここは、どうしようもなく懐かしい。一呼吸ごとに荒んだ心が解されて、ふと気が緩むと目が潤んでしまいそうになる。
「それを罪、ないしは悪と思われるのですね」
「あぁ。そうだ」
ここに来るまで、俺は必死に生きてきた。正直、もう許されていいんじゃねえかとも思う、だけれど、それはほかの全てを投げうってしまうこと。俺だけが許されてもうれしくない、同僚やほかの仲間が以前の俺と同じように必死こいて数字を追っかけてるのに、俺だけ救われてもというものだ。
「友を見捨てて明日食う飯は美味くない……と」
「ふ、そんな大層な事言う気はないけどな」
サトリの言葉に、ふと頬が緩んだ。気恥ずかしさからとっさに否定したが、彼はずばり俺の心中を言い当てていた。
「此処へ来る方々は皆往々にして同じようなことを言いなさる。ふふ、そのような性格が此処へたどり着くための鍵になっているのかもしれませんね。よろしい、私がきっちりと責任をもって帰り道を見つけましょう」
サトリの言葉に俺は首をかしげる。
「まってくれ、見つけるとはなんだ。アンタも帰る方法は分からないってコトか?」
「えぇ、お恥ずかしながら案内役とは名ばかりでして。なにぶん、ここの特性で来た経緯も帰る道筋も千差万別なのです。ですがご安心を、名ばかりとはいえ慣れておりますれば。貴方の心の『隙』を埋めれば、帰る道はおのずと見えてくるものですよ。」
隙。またまた訳の分からない言葉がサトリの口から飛び出して、俺は反対方向に首をかしげた。
「先ほど言った通り、この狭間を構成するものは報われなかった無念無想や郷愁の想い。それらは心に隙を生じさせる。ですので、貴方の心に生じた隙をこれからゆっくりとっくりと解明していきましょう。」
そこまで言い切ると、サトリはぐいっと湯呑を傾けた。
「俺は、そこまで悠長にしていられないんだが。」
「落ち着きなさい、ここは狭間。時間の概念からも解き放たれた空間です、ちゃんと帰れさえすれば、浮世ではほんのちょいとばかし寝坊したぐらいのものですよ。さあ、もう日も沈む。貴方の魂は浮世と狭間を跨いだため相当疲労しているはずだ、お休みなさいな」
こうして俺はなされるがまま、床に就いた。もういい、一旦は良い。頭がうまく働かない、サトリの言うとおり一瞬の暇ぐらい貰ってもばちは当たらないだろう。
すこしだけだ、どうせ俺一人焦ってもどうにもならない。ならば流れに身を任せてみるのも一興だろう。まさに浮世の憂さを忘れて――と言うやつだ。
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