01:迷い人と案内人
気が付けば、俺は木々に囲まれた小屋の目の前に立ち尽くしていた。
何が起きたのか。誰かに攫われた?あり得ない、どこにでもいる日本人を誰が攫おうとするのだ、絶世の美女ならいざ知らず、こちとら不精髭を生やした立派なお兄さんだぞ。よしんば連れ去ったとして、その労力をはたいて手に入れた物品をこんなところで置き去りにするか?するにしても拘束したうえで、目の前のみすぼらしい小屋にでもぶち込むだろう。
そうなっていないという事は、何者かの手による仕業ではない可能性が極めて高い。では俺がこの足で、自らの意思で、このようなへんぴな場所に歩いてきたというのか?よれよれのワイシャツで、ネクタイを緩めた状態で。
今の自分の格好を確認したところで、俺は頭を抱えた。嘘だと思いたいが……昨日の記憶がない以上それの一番可能性が高いというか、それ以外考え付かん。そこまで深酒をした記憶はないのだが、キャパシティオーバーして突飛なことをしでかしてしまったという事か。思えば身体がへとへとだ。歩きでここまで来たという事の説明がついてしまう。
「ふふ、貴方は随分とにぎやかなお人だ。此処に来られる方で貴方ほど雄弁な方は珍しい」
ガラガラと引き戸を開けて小屋から細身の男が出てきた。男の言葉に、俺は首を傾げた。 雄弁とは異なことを、俺はまだ一言も発していないはずだが。 まぁいい、独り言が漏れていたのかもしれない。
「あぁ、いや。俺は怪しいものじゃないんだ、ただ、道に迷ったというか……」 「えぇ、知ってますよ。昨日の記憶がなく、深酒をした覚えもない。随分と混乱されているようだ」
俺の動きが止まる。 待て。俺は今、そんなことまで口に出したか? いや、言っていない。流石にそこまで喋っていたら気付く。
男は、ニコニコと糸目を細めたまま、俺を見つめている。 背筋に冷たいものが走った。
俺は両手をあげて無実無害をアピールした。すると穏やかな雰囲気の彼は声を荒げることもせず、朗らかな笑顔のまま俺を小屋へと招き入れた。
何か、怪しい。と言うか俺にとって都合がよすぎる。
小屋の中は囲炉裏と複数の箪笥、いかにも日本家屋といった風体だった。
故郷の雰囲気を感じてなのか、ざわついていた俺の胸の中は少し落ち着きを取り戻す。
「見ての通り何の変哲もない襤褸小屋ですが、貴方のような迷い人をもてなすぐらいはできるでしょう。どうぞごゆるりと」
「あ、ああ。感謝を」
催促されるまま奥に入り、俺は座布団に腰を下ろす。そのままシャツの第一ボタンを外し緩んでいたネクタイを完全に外して傍に置く。
「お茶、入りますか」
「え、あぁ、いや悪いですよ。お邪魔したうえごちそうになっちゃあ」
「お気になさらず。此処はご自分の帰るべき場所と思っていただいて構いませんよ」
そう言い残し、細身の男性はふすまを開けて湯呑を差し出してきた。
信じられない、疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、見ず知らずの他人……しかも道に迷ったなんていうベタな話をする男に此処まで甲斐甲斐しくしてくれるはずがない。
ならばこれは毒、いや睡眠薬の類?取りあえずは好意だけ受け取るとでも言って回避するに限るな。
「何から何まで申し訳ない、しかし俺は緑茶が苦手でして」
「おや、それは逆に申し訳ないことを」
頭をかいて肩をすくめながら受け取った湯呑を返す。これで悪意や俺の邪推は悟られないはずだ。ここがどこで、この人物が誰で、何故俺がここにいるのか。そのうちどれかだけでも判明しない限り、俺の心が真に落ち着くことはない。いや、最低ふたつだな。
「ではこれは下げておくとして――。自己紹介が、必要ですね」
俺は目を見開いて、慌てて笑顔を張り付けた。
こうもタイミングよく情報開示を持ちかけてくるとは思ってもみなかった。幸運の女神は俺の事を見ているのかもしれない。
「私は……サトリとお呼びください」
「サトリさんですね。分かりました」
佐鳥、佐取、左部。さて、どれだろうな。この風体からしてこの人は日本人、下の名前である可能性も捨てきれないし、呼べと言ったからと言ってその呼称が名前とイコールとは限らない。この人……食えないな。
「ふむ。では次に此処の説明が必要でしょうかね、何処かわからぬ場所では寛げぬでしょう」
「っそうですね、是非聞かせていただきたい。」
食い入るように聞きそうになって、踏みとどまる。呼吸を深くして、体から力を抜く。そして脳にリソースを割け。情報を処理しろ。決して、悟られぬように。
立て続けに開示された情報をかみ砕いていく。なんだ、隠すほどの事ではないということか。
くそ、思考がまとまらねえ!いきなりすぎるんだよ全く……、一般成人男性にこのレベルの並列思考を求めるもんじゃあないぜ。
「此処の説明をするには、少々時間がかかりますか。」
対面に座った男性は深く呼吸をして、話始める。
「此処は、俗に云う彼岸です」
必死に回していた思考が、一気に止まる。
視界が徐々にモノクロになっていき、キーーンというモスキート音が耳の奥で鳴り響く。
「ひ、がん……つまり俺は死んだのか?!いつ!どうやって!」
「落ち着いてください、彼岸とはあなたの想像するそれとは違うものです」
「違うってなんだ、どのように違うんだ……?!」
俺はぶっ飛びそうになる意識を必死に止めて、震える声で男……サトリに問うた。彼岸ってのは俺の知る限りあの世のことだったりそれに準ずるもんだ。死者の世界、それこそが俺のイメージだが、それと何がどう違うのだ。
さっきまでのあれこれなんかかなぐり捨てて俺は純粋な疑問を投げつける。
「便宜上、彼岸という言葉を使っただけでここは間違いなく浮世ですよ。貴方は間違いなく生きています」
「そ、そうか……。申し訳ない、急に取り乱して……」
「いえ、こちらこそ紛らわしい言葉を使いましたね。改めてゆっくり此処についてお話ししましょう」
「あぁ……ぜひ、頼む」
小屋に蝉の声が届いてふと気づく、まだ早いだろう。俺の記憶が正しければまだ五月だ、温暖化が進んだ世の中とはいえいくらなんでも早すぎる。それにこの音は、ヒグラシではないか?虫の声を聞き分けられるほど繊細な耳を持っているわけではないが、特徴的な音であるため記憶に残っている。
「そうですね……噛砕いて云えば狭間。浮世であり常世である曖昧な場所、故にこそ私のような存在が許されており、貴方のような迷い子がたまに訪れるのです」
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
もしよろしければぜひともお願いいたします。




