26:純粋と疑問
「記憶の中の父は、顔がない。もう……思い出せない」
座敷童風に言うのであれば、俺が無意識的に父を遠ざけているのだろう。
「実家を出る時、父は何も言わなかった、俺も言わなかった。互いにそれが最善と思って距離を置いた。いや、あの人がそう思ったってのは俺の勝手な想像だけどな」
今思えば、全く見当違いだとは思う。でも、それ以外の手があったかと聞かれれば……俺はその答えを持ち合わせていない。
会話不足が招いたごく小さな軋轢は俺の中で勝手に深くなり、手が付けられなくなった。きっと、父は俺を多分許してくれるだろう。そもそも相手側は気にしていないのだと思う。
俺の独り相撲。だとしても、俺は家に向けて足を動かす気にはなれなかった。
母が居なくなった俺の家は、ひどく寂しく思えたのを憶えている。学校から帰ってきた時に鍵を回す音に反応して響いてくる「おかえり」という優しい声がない。
そんなことは母が入院している時に何度も経験したはずなのに、凍てついたような無音の薄闇に包まれた居間を見て俺は、絶望した。
体から血の気が引いていくあの感覚は、今でも俺を震えさせる。
「大丈夫ですか、悠弥さん」
「……問題ない、かっこ悪い話だが良く夢に見ていたんでな。慣れている。」
「人の子よ、しばしの間……じっとしとれよ。わえの手に額をつけてみい」
トラウマから手を強く握っていると、座敷童が手をこまねいてしゃがむように指示を出してきた。
俺はそれに従い、目を閉じてこつん、と座敷童の手のひらに額を預ける。
……どれほど経ったのだろうか。目を閉じているので具体的には分からないが、体感三分程経過したような気がする。
「家は、良くも悪くも憶えとる。お主の母君の声もじゃ。じゃからこそ、それが無くなったことをありのまま伝えてしまう。」
「っ。お前何故それを」
座敷童には、家のトラウマをまだ語っていない。
サトリは俺の中を覗き知っているだろうが、心を読めない座敷童がどうして俺の想いを認知しているのだ。
「わえは家じゃ、家そのものとその記憶……概念が形を成した者。ちょいと……本気をだせば……お主の中の家と繋がり、それを見ることができるのじゃ」
そう言うと、座敷童はぱたりと倒れた。
額に脂汗が滲んでいる。
俺は、ひどく焦った。嫌な既視感が脳内に映し出される。
力を使った泥田坊はどうなった、消えた。また、俺の目の前で、人が、存在が、消える。嫌だ、そんなのは嫌だ。
キーンというモスキート音が鳴り響く錯覚を覚える。
「ざ、え。ちょっとま……てよ。おい、大丈夫か!」
「落ち着いてください、そのようにはなりません。ちょっとした貧血のようなものですから、少し間を開ければどうということは無いでしょう」
取り乱す俺を、冷静なサトリが窘める。
きっと、俺の顔が見ていられない程惨めな表情になっていたのだろう。
大丈夫だと頭では分かっているのに手が震えている。
「ふぅ。すまんの、わえとしたことが。寄る年波には勝てんのじゃ」
「無茶は、いけませんよ」
「そうじゃの、ただ、今のは必要なモノじゃったとお主もそう思うじゃろう?」
「ええ。彼の傷は私の想像をはるか超えて複雑なモノでしたので」
妖怪同士会話して、俺はひとりぽかんとしゃがみこんでいた。
「なあ……ひとつ、聞いてもいいか」
「なんじゃ?」
俺の中で沸き上がってきた疑問。
サトリにも言える根本的な懐疑。
何故、俺などにここまで尽力してくれるのだ。
「俺は、アンタらにそこまでされる覚えがない。なのになんで俺の過去を聞いてくれたり、自分が疑似的な貧血になることを厭わず解決方法を探ってくれるんだ」
「なんじゃあ、そりゃあ」
座敷童は俺の問いを聞いて、心底呆れたように眉をひそめて笑った。
まるで、子供が変な質問をした大人のように俺の頬を優しく撫でて答えを紡ぐ。
その答えは、とてもシンプルなものだった。
「お主はヒトで、わえは座敷童。座敷童とは家に住む人を幸せにするものじゃ。そこに加え、お主はわえと遊んだ。友達じゃ。じゃから手を貸す。じゃから、一緒に考える。それ以外になかろう」
拍子抜けするほどに呆気ない答えに、俺は呆然とする。コストや費用対効果など度外視して打算なく助けてくれる純粋さ。イノセントな感情。
数秒間固まった後、俺は耐え切れずに笑った。
「っはっはっは!なんだよそれ!俺が必死こいて考えてたのが馬鹿みたいじゃないかよ」
「んお、どうしたどうした!人の子が随分楽しそうじゃないか!なんぞ新しい遊びでも見つけたか!」
俺の笑い声を聞き付けて、河童が和室に入ってくる。
手元にはボロボロの水鉄砲、皿丸の修理が終了したらしい。
「いいや河童よ、今は休憩時間じゃ。この子の家の記憶を覗き見ておったのじゃ」
「ほォ。それは大層疲れただろう、ほれ、きゅうりやろうな」
座っている座敷童に向けて瑞々しいきゅうりを与える河童。
本当に何も考えていなさそうな言動に、俺の論理はついに消え去った。
「なあ……座敷童よ。アンタが見た俺の家は、どんなもんだったよ」
「聞くまでもないのじゃ。人並みに愛され、人の営みを記憶していたのじゃ。逆に質問を返すが、お主の父君はまだそこに住んでおるのかえ?」
座敷童の質問に、俺は答えられなかった。知らないのだ、父がどのように暮らしているのか。便りがないのはいい便りであるとはよく言ったもんで、俺はその概念を乱用して逃げていた。
「分からない……引っ越したとかっていう連絡はないから、多分そのまま同じ家にいると思うが」
「ほうか、お主の家が伝えてくれた父君ならばきっとそうじゃろうな。きっと、お主が生まれたあの家で、今でもお主を待って居ろう」
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