24:疲労と案内
誰だ、一体誰だ。運動不足の営業サラリーマンでも子供の遊び相手程度なら余裕でこなせると言い出した馬鹿は。出て来い、今すぐぶん殴ってやる。
「それは悠弥さん、貴方本人を殴ることになるのでは?」
「そうだよ、過去の自分をぶん殴ってやりてえんだよ……」
息も絶え絶えな俺は、縁側でサトリにうちわで扇いでもらっていた。
足が棒のようで、自分の身体なのに自分のもではないみたいに思った通りに動かない。
熱を逃がすためにシャツのボタンをふたつ外し、俺はぐったりと寝転がっていた。
「保冷剤でも、持ってきたらよかったですかね」
「いいや、これは俺の落ち度だー。完璧に体力を見誤った、三十路の男には、子供たちの無尽蔵の体力に全く勝ちようがなかったわけだ」
思えば、泥田坊の田んぼで農作業をした翌日なのだから、筋肉は悲鳴を上げているに違いなかったのに、何故動けると勘違いしてしまったのか。
「これこれー、頼りない奴じゃのぉ~。おのこじゃろうにのぉ」
「勘弁してくれぇ……。俺の負けだぁ……」
寝そべる俺に、座敷童がつんつんと頬を突っついてくる。かれこれ数時間は蹴鞠や竹馬といった体全体を使う遊びは勿論、めんこなどの静的な遊びもしていたわけだが、本当に疲れた。
ただ、不思議と悪い気はしない。
残業続きで体が泥のような感覚に陥ることは珍しくなかったのだが、今は違う。
こう、喉の奥から笑いがこみあげてくるかのようなカラッとした気持ちだ。
「えぇ、実に好い表情をしていますよ。今の貴方は。数日前とはまるで別人だ」
「そこまで変わったという自覚はないがな、それこそ髭が伸びたぐらいだろう変化と言えば」
「いえいえ、人の顔にはその者の内面が写し出される。ひどく疲弊していたあの夕暮れの貴方はもう、何処にも居ませんよ」
そういうものか、と俺は顎を触る。
何にも考えずにただ遊んだのは一体いつ振りだ、頭の中を空っぽにしてみるってのは中々いいデトックスになったらしい。
「ええのう、晴れやかな気持ちか。それはなによりじゃ!じゃあ次は何をする?花札もあるぞ、そうじゃ!わえの道具箱になんぞ気に入るものがあるかもしらん。とってこようか!」
「いや、ちょっと疲れすぎた。今日のところはこれぐらいにして俺にこの家を紹介してくれないか?俺は土地や家を売買してるんだが、家をよく見ていた者としてこの家の事が単純に気になるんだ」
徐に起き上がり、座敷童の家を眺める。
食休みがてらちょっぴり見て回ったのだが、奥の方は見ていない。
「ほぉ?お主は地主なのかえ?」
「なんと!人よ、お前そうだったのか!」
「いやいや、違うぞ。現代じゃ土地の所有者じゃなくても家や土地を売り買いするのさ」
「ほえー、自由になったもんじゃの!なら、そのお主の目でわえの宝たるこの屋敷を御覧じろ!」
こうして、俺は火照る体が冷えるのを待ちつつ、家を散策する。
「お主が何を見たがっておるのかは知らん。じゃからわえは一番わえが魅せたいものを魅せよう」
「楽しみだな、是非見せてくれ」
*
「この柱……傷だらけだな」
河童が居間でお手製の水鉄砲を修理している間、座敷童の案内のもと俺はこの家の中で一番太い柱の傍に来た。
「あぁ、ここは居間から一番近く太い大黒柱じゃ。わえの力で傷を塞ぐこともできたが、この傷はこの家の心ともいえるもんじゃからのぉ。何か、分かるかえ?」
膝小僧のところから、肋骨のあたりまで。所々に彫刻刀で掘ったような小さい傷が何個もある。
このような傷は見覚えがあった。
無邪気に父に自慢していたあの頃の俺。
身長が数センチのびただけであそこまで得意げになれたのか。今となっては分からない。
俺の記憶の中の父の顔は靄がかかって見えない。どのような声色だったかも憶えていない。人が人の事を忘れる時、声と顔から忘れていくってのは本当らしい。思い出そうとして初めて気が付いた。
「その様子ですと、答えは分かったようですね」
「なんじゃあ、サトリぃ~。お主ばかり答えを先んじて聞きよって。ほれ人の子よ、わえの問いに答えてみい」
「……人の成長の証か、俺も付けていたよ」
「正解じゃ!この柱も誇らしいじゃろうなあ、人が生きた証を自らに刻めたのじゃから」
目を細めて柱の傷を撫でる座敷童。
座敷童の目には、過去が鮮明に映っているのだろう。
長い時を生きる妖怪、それも記憶を保持させることに注力している座敷童だからこそ、この傷が生まれたときの情景をありありと思い出せるということか。
「この家の住民は、幸せだったんだな」
「そらそうじゃろう、わえを拒まずに受け入れてくれたからのぉ。もう居なくなってしもうたが、それはそれはよう笑う子じゃったよ」
口ぶりからして、幾つもの家族が此処に住んでいたのだろう。その家に憑いている座敷童はいくつもの営みを観測し、記録し、こうしてこの領域に反映させる。
「この家は、そんな人の子らの思い出が具現化したもの。わえが消えてほしい無いと心より思った結晶じゃ。お主には、どう映る?」
座敷童の純粋な質問が、俺の胸に突き刺さる。
いくら数多のモノから逃げて生きてきた俺でも、この質問は逃げてはならぬと確信した。
「俺も、守るべきものだと思うよ。ただ同時に、俺にはとても眩しい」
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