20:河川敷と相撲
サトリから貰った寝間着を洗い場へ置いて、一張羅のシャツに着替える。あいつから貰った万年筆もしっかりと胸ポケットに忍ばせてある。
何かメモが必要なるとも思えないが、まあお守り代わりだ。もういない彼女からのプレゼントにいつまでも縋っているのを見られたら、それこそあいつにドン引きされてしまうかもしれない。
「そうは思いませんよ、少なくとも私は。貴方がその万年筆を触る時の表情、とても穏やかですから」
「おわっ。人が胸中でおセンチになっているときに後ろから話しかけてくんなよ。小心者だぞこちとら」
身長差的に、若干頭上から声が投げられることになるので、余計にビビる。これは俺の感覚だが、下からくる声より上から落とされる声の方が怖く感じる。
「相変わらず貴方の心は賑やかで退屈しませんね、一人寂しく羊羹を食べていたのが嘘のようですよ」
「アンタ別に人付き合いが苦手ってわけでもあるまいに、誰か誘えばいいじゃないの」
「うぅん。まあ、妖怪にとって時間の都合を誰かに会わせるというのが、得意でない方が多く……」
「そういうもんかねえ」
そんなこんなで朝の支度を済まし、田園の方とは反対に歩みを進める。
サトリ曰く、寂れた町のようになっているらしく多くの妖怪が暮らしているのだとか。喧噪とまではいかずとも、多くの妖怪がいるとサトリにとっては情報過多で疲れてしまうのかもしれないな。だから少し離れたあの小屋で暮らしているのだろう。
川沿いの道を進んでいく。
水の流れる音がなんとも心地いい。
「おー!サトリ~!久しぶりじゃないか!さらに……おおォ?!その横にいるのは、人!人!人じゃないのか!?」
快活とした声が、水音をかき分けて俺の耳たぶを叩く。
声の主は一体どこにいるのだろうか。あたりには閑散とした田舎の風景しかないわけだが。
「おや、珍しい。今日は下流にいるのですね、河童」
「かっかっか!それはお互い様だろう、町に来るのはいつ振りだ?」
河童、となるとこの声は川の中より投げられたものであったわけか。
そう思って川の方を見ると、水面がざばあっと勢いよく盛り上がる。
「やっぱりそうだ!人じゃないか!人!いやぁ久しいなあ!いつ振りだァ!」
川から飛び出してきた河童は、俺の肩を掴んでぐわんぐわんと揺すってくる。深緑の肌から水がしたたり落ちて、俺の服を濡らす。折角の一張羅が台無しだ。
勢いが凄い奴だな。俺との相性は良くないと見た。
「いえいえそうでもありませんよ、私の見立てでは仲良くなれると思います」
「ん?何の話だ。サトリ」
「俺の心を読んだんだろ。アンタとは相性悪そうって思ってしまったんだ」
「何をォ!そうか、そりゃ残念だ!」
派手なリアクションをして見せた河童は、頭の皿をなでて嘴を器用に歪めて笑って見せた。
「なら……取るべきはひとつだな……!相撲だ!はっけよい!」
ぱん!と手を叩いて提案してくる河童。相撲好きという伝承に偽りなしだな。
しかし、俺はしがない一般成人男性。相撲などしたこともないので勝てる見込みは皆無。加えてもし負けようものなら尻子玉を抜くと言ってくるかもしれない。渡る理由のない危ない橋を、渡ろうとする者はいないだろう。
「勘弁してくれよ、これから歩くってのに汗かきたくないぜ」
俺がぴしゃりと断ると河童はひどく落ち込んだ。
地面にへたり込み、地面にへの字を書いている。なんとも罪悪感が俺を苛むが……是非も無いだろう。
「ちょっとばかしぐらいじゃんかよー、ざっと十番も取れば満足するからさぁ」
こともなげにとんでもないことを言い出す河童。相撲の平均時間など知らないが、そんな回数をしたらとんでもない時間がかかるんじゃないか?
「やっぱり人は忙しないなあ。前にサトリが連れてきた源蔵だったか……すぐいなくなってしまったからな」
「あぁ、あの方は私に気を使ってこの狭間に住むことを決めてくれたのですが、ご高齢でしたからね……」
「うぅむ……やはり人は忙しない。そこまで焦る必要ないだろうに……」
二人の会話から察するに、ここで骨を埋めた奴がいるんだな。長い時間を生きる妖怪たちにとって人間の一生というのは刹那の出来事だろう。その差は決して埋められない、事実だ。
「焦っている風に見えるだけで、俺らは俺らなりに必死に生きてるだけだよ」
「それが焦っているというんだ、ここの時間の流れは緩やかなのに」
そこまで行き急いでいるという自覚はない、だが、すねこが立ち止まることを許してくれたようにゆっくりしてもいいかもと思い始めてきた。
「河童、気が変わった。一本、どうだ」
「おぉ!!素晴らしい変心だ!一本と言わず何本でもどんとこォい!」
シャツを脱いでサトリに渡し、俺は肩を回す。
運動不足営業マンの気紛れだが、やるのならば本気だ。俺は河童が河原に書いた円の中に入り、腰を落とす。
「はっけよォおい!のこったぁ!!」
「んぐぁっ!」
まあ、結果はさっき俺が想像した通り惨敗。少し向きになって数回取り組みを重ねたが全く歯が立たなかった。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……ここまで派手にやられるともはや恥ずかしさすらない」
地面に大の字で倒れる俺を、サトリがのぞき込む。
子供っぽい事を大真面目にするってのも、楽しいもんだなと痛感した。息も絶え絶えだが、不思議と悪い気がしない。
「ったく、こんな道中で体力を使い切るとは思わなかった」
「ん?なんだお前たちどこかへ出かける途中か。どこへ行くんだ」
「座敷童の屋敷へと、向かっているところでした。久しく会っていないのでね」
「ほォ!あの子か!俺も前に遊んだのは何時だろうかなあ。ヨォシ!俺も行く!」
いきなり生えてきた同行者。河童が陸に上がって大丈夫なのかと心配すると、「俺は別に魚じゃない。陸でも普通に生活できるが?」と言われた。
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