19:家と記憶
サトリが小屋の奥へ鍬を仕舞い、俺は今回のミッションを終えたと実感する。いざ頼まれた時は妖怪の心を癒すなど無理難題、到底こなせるはずないと思っていたがなるようになるもんだ。
俺は脱力して、ばたりと倒れた。
ちりん、と夜風に撫でられた風鈴が音を鳴らす。
「ここ数日で、ずいぶんと人の家に慣れたもんだ。」
最初の夕暮れ、早鐘を打つ心臓を必死に抑えながらサトリと対峙した時を思い出してふと頬が緩む。
自分でも、相当ちょろいとは思う。
だけれども、この身を包むここの形容しがたい優しい雰囲気が、耳に響く虫や木々の声が、俺の刺々しい警戒心をみるみるうちに溶かしていったのだ。
「家、ですか」
「おぉ。ここはアンタん家だろ。俺ぁ元来他所の家じゃ緊張して碌に寝られない質でな。変わったもんだとな」
修学旅行では寝るのに苦労して、結果横の友達を巻き込んでくっだらない雑談で暇をつぶすという暴挙に出たぐらいだ。おかげで二日目の自由行動に支障が出たのは言うまでもない。
「そうでしたか、安心して寛げるようになったようで何よりです」
家という言葉を呟いて、朧気な記憶がまた脳裏に蘇る。
俺は、帰るべき家というものを捨てた。
いや、捨てたというより、自分から背を向けたのかもしれない。だからこそ、自分の城以外では心を許してリラックスできるとは思っていなかったのだ。
「詳しくは、聞きません。また話したくなれば呟いてください、私目敏く耳聡いので」
「流石は覗き魔だ……ありがとよ」
「どういたしまして。さあ、今日はもう寝ましょうか」
サトリに礼を告げて、俺は布団を敷く。
以前よりもするりと『ありがとう』という言葉が口から出た気がする。
*
狭間での朝には、十分に慣れた。嫌な機械の音やブルーライトから解放された環境で起き上がり、布団を畳む。自宅ではベッドだったため久しぶりの感覚だ。
実家では、布団をよく干していたな。
「おや、もう起きておられましたか」
「おはようさん、いい歳して布団ぐらい自分で片づけねえとな。目覚めが悪い」
「それは素晴らしい心掛けですね、では顔を洗ってきてください。朝餉の準備がもうすぐできますから」
サトリに促され、洗面台に向かい冷たい水で目を覚まさせる。ふと、顔を見ると髭が大分伸びている。ここに来てから数日、剃っていなかったから伸び放題だったわけだ。しまったな、シェーバーなんてここには無いだろうし、普通のカミソリだったら肌の弱い俺は負けてしまう。
まあ、誰に見せるでもなし、別にいいとも思えるが……如何せん不格好が過ぎる。
「どうしました?いつも通りにハンサムな顔立ちですよ?」
「アンタもそう言う洒落を言うんだな、中途半端な誉め言葉はかえって本人を傷つけるんだぜ、妖怪さん」
「これはなんとも、失礼を」
顎を撫でて、俺は食卓に腰かけた。
家だけじゃなくて、こいつとのやり取りももう手慣れたものだ。
「今日は何か依頼があるのか?」
「そうですねえ、そこまで困っている妖怪というのも珍しいものでして、これと言った依頼はありません」
そうなのか、とつぶやいて俺は茶を啜った。恨みを持つものはそこまで多くないのか、この狭間は浮世と違って平和そうでなによりだ。
「そうか、ならよかったよ。揉め事や悩み事は無いに越したことないからな」
「はい、ですので今日はとある妖怪へ会いに行こうとしていたのです。どうでしょう、ご一緒に」
皿を洗いつつ俺はすこし思考を巡らせる。選択肢として別にサトリと一緒に行動しないといけないっていう縛りはない。俺一人で散策をするという択もあったが、不思議とそれに魅力を感じなかった。
「暇人だからな、連れてってくれ。どんな妖怪に会いに行くんだよ」
「きっと貴方にも馴染み深い子です、あの子の名前はいくつかありますが……一番広く知られている名は『座敷童』でしょうかね」
「ほォ、座敷童ときたか」
座敷童と言えば、おかっぱ頭で着物を着た子供の妖怪。吉兆を呼ぶものとしてありがたがられていたり、南の方では気を損ねると祟ってくるという厄介者としても扱われていたりと、日本各地でさまざまな伝承を残す言わずと知れたメジャーな妖怪だ。
俺と同じ年代の人間ならば、『座敷童』と言われておよそ俺と同じ姿を想像するだろう。共通認識として完全に刷り込まれている。
「やはりご存知でしたか。あの子は有名ですからね」
「やっぱり、知名度は何かアンタ達に影響があるのか?」
「ええ、まあそこまで重要なモノではありませんが、強度というか……力の量に差が出ます。泥田坊の土地が魅せたあの幻覚、あれも妖怪の力あってこそ。ああいう不可思議な現象を起こす力の源になっているのが、貴方の言う知名度というやつでしょう」
という事は、だ。
かなりの知名度を誇る座敷童は、圧倒的な力を持つってことになる。下手に刺激するととんでもないことになりそうだな。
「はは、そう身構えなくてもよろしい。確かにあの子は私よりも格段に力を持つ妖怪です。がしかし、その力をむやみやたらと振りかざす阿呆ではない。ちゃんと、あの子の目を見て会話をしてあげれば問題ありませんよ」
「そう、か。なら大丈夫だな、目を見て話すってのは営業の基本のキだ」
サトリが俺の恐怖心を察知して宥める。
戦々恐々としていくのをやめようか躊躇っていたが、杞憂らしい。
「あの子の記憶は、貴方の『隙』にもつながるかも、しれませんね」
「記憶?」
「えぇ。田んぼに意思が宿る様に、モノには全て記憶がある。座敷童はそんな記憶を持つ妖怪ですから」
そういう、サトリの顔はとても柔らかく、朗らかな表情だった。
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