10:価値と無価値
熱烈な歓迎を受けて、俺は頬が引きつるのを堪えた。
泥田坊は俺を見るなり、嫌悪感を隠しもせずに怒鳴りつけてくる。
やはり、俺の想像通り彼我の間にそびえ立つ壁は相当なモノ。簡単に立て壊せる程脆くも、薄くもない。
横のサトリを見ると、奴は頷いた。成程、俺の思うままにしろとの事らしい。
まあ、なんとでもなるだろう。
「いきなり泥とは随分なあいさつじゃないか、塩を撒けと言われたことならば経験はあるが、こんなことは初めてだ。こんな歳になっても初めてのことはあるもんだな」
「口の減らん奴だ、お前のような奴は好かん。そもそも話す気など無いと言うちゃろうが」
取り付く島もないとはまさにこのこと。踵を返して鍬を握り田の中央へと移動していく泥田坊。
「儂の土地じゃ、土じゃ、田じゃ。誰にも渡さん……だぁれにも、渡してなるものかよ」
ブツブツと呟き、鍬を振るう。痩身だからなのか、鍬をしっかり握れていない。細い身体のサトリだって成人男性よりも強い力を持っているのに、彼はそうでないのだろうか。妖怪にも種類があり、フィジカルもそれに依存するとかかね。
「いえ、彼の力は私の何倍もあります。器用さもね」
小声で俺の疑問に答えるサトリ。しかしそれによって新たな疑問が湧いてくる。
田畑を耕した事の無い都会人の俺ならともかく、田んぼの擬人化のような泥田坊が鍬をしっかり振るえていない理由の説明が、力不足以外で思い浮かばない。
「手を、しっかり見てください。」
眉をひそめて泥田坊の手をよく見てみると、そこに答えが用意されていた。
――指が、少ない。
思い出した。母から聞いた物語ではなく、俺が単純に興味本位で呼んでいた本には泥田坊は指が三本しかなく、それが理由で悪辣に生きるものとして語られていたと記されていた。
指には正と悪があり、そのうち正しい方を失っている泥田坊は、正しさを見失いただ何もない田んぼを虚ろな片目で耕し続けると。
「あんな状態で、いったいどれほど長い時間を無為に費やしたんだアイツは……」
「さて……妖怪の生は長い、としか。私が自我を持ったころには、彼はあそこでああしておりました」
気の遠くなるような長い年月。幾星霜を経てもなお……いや、経たからこそ彼の執着は泥のように粘性を持ち、簡単には解かせなくなってしまったわけだ。
こりゃあ、想像以上に一筋縄ではいかないな。
取りあえず……様子見がてら気になった事を投げつけてみるか。
「なあじいさん!俺ァ別にアンタんトコの土地を奪いに来たわけじゃない!」
「戯けたこと抜かすな若造がァ!儂は目がいい……お前のその目……土地を視る目だ、加えてその臭い!土のいろはも知らん癖にあれこれと値踏みしてきた奴と同じ!儂を耄碌した爺と思うて騙せると思うなよ小童が!」
どくん、と心臓が強く跳ねる。
俺がサトリにしてみせたような、観察眼による限定的な看破。
俺が土地を売り捌く敵であると、見抜かされてしまった。
「確かに、その通りだ。俺はアンタのこの土地のような『無価値』な土地を俺らにとって『価値』があるものに作り替えて売ってきた。その数は今まで食べてきた食パンの数よりもはるかに多い。だが別にそれだけが俺の全てじゃない、今日というかここにいる間はオフなもんでね、休日にまでアレコレと金の事を考えたくねえんだよ現代人は」
「ふん、儂にも分かるような嘘を。横の坊主の入れ知恵か?それにお前の口ぶりが気にくわん!無価値とは何じゃ……!儂の価値をおどれが決めるなァ!」
低く怒鳴る泥田坊の声が朽ちた田園に響く。
サンクコストバイアスにかかっているのだろう、ここで俺の主張を認めてしまえば自分自身のこれまでを否定することになる。それは、きっと何よりも耐え難い苦痛のはずだ。
ちょっとばかし、やる気になってきたかな。
「おいおい不思議なこと言うなよじいさん、価値ってのは基本的に他人が決める。そうじゃない場合は価値じゃなくて単なる思い入れだ。ま、価値基準は揺れ動くもんだが、測り手がい居て初めて『価値』が決まる。つまり……」
ここまで一息で言いきって、俺は人差し指で泥田坊とその足元を指さした。
「ここには価値がねえんだよ、泥まみれの老人さん」
口にしてから、自分にも刺さる言葉だと気づいて少しだけ胸がざわついた。
だが、今はあえて言い切る。
「妖怪なんて現実離れした存在にこれを言うのは御門違いかもしれんが、敢えて言うぜ。現実みろよ」
「……!おどれァ喧嘩を売っとるんかァ!」
「いいや?俺が売ってんのは土地だ」
売り言葉に買い言葉、ここまで口論を激しく交わしたのはいつ振りか。何時になく俺は泥田坊に何かを感じていた。
俺が熱くなるのを、サトリは見越していたんだろうか。
「話にならん!お前のようなニンゲンにこの土地の稲は見えんじゃろう、儂にしか見えんこの田の本当の景色は」
本当の景色ときたか。
幻覚の類か、或いは妖怪らしく普通の人間には見えない何某か。
いや、違うな。サトリはこの土地の事を誰もいない僻地と呼称した。農地や田畑ではなく、何もない場所と。同じ妖怪であるサトリにも観測できないのなら、それは妄想、都合のいい夢だろう。
ふ、と思わず失笑する。
今日は何とも、思い出すことが多い日だ。
何故泥田坊の事を調べていたのか、その理由が脳裏によみがえる。
何時しか妖怪の一覧を何気なしに視たとき、社会人となった俺が重なって見えてふと気になったのがきっかけだ。そしてその名前の由来を見て、呆れて大笑いをした。
奴の名前はとある諺から。
――『泥田を棒で打つ』。
その意味は、何の意味もないことをひたすらに実行すること。
まさに、俺と泥田坊を表すに相応しい。
「今日はこの辺りで失礼しましょう」
これ以上話しても口論がヒートアップしていくばかりと踏んだサトリが、仲介に入り泥田坊はフンと鼻を鳴らして農作業に戻った。
「フゥん。なるほどねぇ……。じいさん、また明日くるからよ、今度は茶、飲んでくれよ」
「知るか、早う去ね!小童が!」
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