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真祖戦、決着

 吸血鬼化した体は完全に回復していた。


「バンくんは吸血鬼です。分かりますよね、死なない体になったわけではありません。もう死んでいるので、死なないだけなんです」


 ココは俺の手を握ったまま、そっと俺の胸に当てた。

 心臓は鼓動を止めている。それでも緩やかに血が体を巡っていた。筋肉がポンプの代わりをしているからだ。


「不思議な気分だ。痛みも苦しみも無いことが悲しいのだと頭では分かっているのに悲しくないんだ」


 ココがぽろぽろと涙をこぼして俺を抱きしめた。


「大丈夫です。訓練すれば心は取り戻せます。だから忘れないでください、その悲しみを」


「ああ。でも、その必要はない。俺が今から真祖を討ってくる」


「それはそうですけど」


「ありがとう。俺はもう大丈夫。頭がスーッとしてるんだ」


 ココから離れる。そういえば胸の感触が柔らかかった。こんなに頭が冴えてなかったらドギマギしていただろうな。

 俺は軽快に立ち上がり、ココの横を通り過ぎる。真祖の姿は見えないけど近くにいるのは分かってるんだ。そういう気配がする。

 その時、俺の背中に柔らかな感触があった。ココが体を寄せたのだ。振り返ろうとしたら声がする。


「少しで良いんです。少し、このまま」


 ほんのしばらくココは俺の背中に額を当てていた。その行為に何の意味があるんだろうと考えていたら、ココはもう離れていた。

 振り向かずに声を掛ける。


「もう良いか?」


「はい。絶対に人間に戻ってきてくださいね、バンくん」


「……ああ」


 俺はココを残して時計塔へ行く。

 今まで夜霧で隠れてよく見えなかったが、吸血鬼化して暗闇にも霧にも強くなったからはっきり見える。

 ビッグ・ベンのように時計盤の上が尖塔らしい。その下、時計塔の出入り口が開いている。近寄ると、ドアのそばに千切れた真祖の皮膚が落ちており、それがうねうねとカマキリの寄生虫みたいに蠢き、かすかに音を立てていた。意識を向けると、それが声だと分かった。


「殺して……殺して……」


 真祖の細胞一つ一つが今まで食ってきた人間の集合体なのだと悟った。

 真祖から切り離された細胞は徐々に壊死していく。安らかな眠りとは言い難い。

 俺は人間の成れの果てを後にし、時計塔に入った。壁を沿って螺旋階段が伸びていた。その上段に真祖が居た。


「真祖!」


 階段を上る。足の筋肉が切れる感覚がした。だが、一瞬で再生する。

 そうか、並外れた身体能力は体のリミッターを外すんだ。

 跳躍する。反対側の壁にある階段へ着地した。その間にも真祖は時計塔の最上階へ上り詰めていたが、俺はすぐに真祖へ追いつく。真祖の姿は中性的な青年として完全に回復していた。もちろんこれだけの階段を上って汗一つかいていない。


「なぜ追ってくる。それとも成れの果てを見なかったのか?」


「見た。でもあれは助からない」


「お前、完全に吸血鬼になったか」


「ああ、そうだ。おかげで体も頭も調子が良いよ」


「ははは、ならば銀の炎も使えまい。貴様に何ができる?」


「お前を殺せる」


 俺と真祖は沈黙した。時計盤の真裏だからか、幾重もの歯車がゴンゴンと音を立てていた。その歯車が一瞬、止まる。

 カチリと鳴って、俺の立っていた床が移動した。外へせり出す形になっている。


「ハハハ、この時を待っていた! 貴様を完全な吸血鬼にしたのはこのためなんだよ!!」


 時計盤の一部をくり抜いた扉が開き、その向こうから赤い陽光が差し込む。

 朝日だ。なんで? この島は高いところの霧が薄いからだ。

 そして恐怖が心を支配しているのが分かった。これは生物的な恐怖だ。


「何ッ!?」


 跳躍しようとした俺の足が動かない。視線を真下に落とすとうようよと蛇がまとわりついていた。

 紐のように細長い蛇たちだ。この時に気づく。俺にはなぜか彼らの思考が読めることに。


「塵となれ」


 真祖がそう唱えると日差しが俺の足元に達し、ジュッ、と音を立てた。

 痛み、苦しみだけじゃない。悲しさ、悔しさも混じった負のすべてがぶり返してくる。


「クソォォォォ!!」


 体を限界までひねって、腕の遠心力で背骨を捻じり切る。

 力いっぱいに脇腹を叩くと、ボキリ、と振動が胸に伝わってきて俺は下半身とおさらばした。

 おおよそ人間の戦い方ではない。だが、そんなことかまけてられないのだ。


「貴様ッ! 胴体を切り離してでも追ってくるか。そんなもので!」


 上半身だけで真祖に取り付く。たしかにそんなものだ。

 だが、これだけじゃあないんだよ。


「蛇たちよ!!」


 俺は蛇たちに指示を出す。シャーとかキィーとか声を立てながら、蛇同士で身を寄せ合って一本の縄になった。


「なぜ貴様が蛇を! ヒドラは完全に消滅したのではないのか!?」


 俺はヒドラに寄生され、俺ごと日を浴びてヒドラだけが消滅した。したと思っていた。でも、そうじゃなかった。奴の心の声はもう聞こえないが、きっと俺の中で生きているのかもしれない。あるいは、蛇たちが俺に残ったヒドラの匂いを嗅ぎつけているのかもしれない。


「さあな。だが、朝日を浴びるのは俺だけじゃなくなった。道連れだ、真祖!!」


 暴れる真祖を何が何でも離さず、俺たちは日光が照り付く時計塔の外へ出た。


「グワアアアア!!!!」


「うおおおおお!!!!」


 熱い。意識すら焼ききれそうだ。俺たちはもつれ、真祖は背中に日を浴び、俺はその影になる。

 真祖の体が燃え始めた。背中の皮膚がピンと張って、のけぞる。それにあらがって体を曲げると、ぶちぶちと筋繊維が千切れる音が鳴った。


「ぐぎぎ、熱い、熱い。消える、消えてしまう。アア、アア」


「燃えろ、消えろ、お前も俺もこの世に居ちゃいけない存在なんだ」


 真祖を捕らえる俺の手が燃えてしまう。力が入らなくなり、真祖を逃した。直射日光が俺にも照りつけ、すぐに背を向く。

 やつは這うようにして時計盤の針を十二時の方へ上っていた。


「ハア、ハア、何とかあの日陰に入らねばこの体はもう終わりだ」


「させるかよ!」


「くそ、その手を離せ!」


 下蹴りを喰らい、上手く真祖を掴めない。

 とうとう真祖は文字盤を上りきった。尖塔の屋根を這って陰へ逃げ延びようとする。


「逃げるな!」


 俺も追いかける。思うように力が入らない。いや、普通に力は入るんだ。そう、人間だった頃と同じ加減で。

 陽の光を浴びて俺も真祖も身体能力が人間と同じになっている。

 なんとか針を上り、長針に足をかけて、一時の方角へ跳んだ。真祖の背中をひっつかみ、両腕でホールドする。


「くそお、離せ! そうしてもまた日で燃えて無駄になるのだぞ!」


「これならどうだ?」


 俺は真祖を抱えたまま、バックドロップの要領で持ち上げて、俺は長い針の先へ倒れ込む。


 ズブ


 骨を押し分け、内蔵を掻き切る音が俺と真祖からした。


「ウグウゥゥ!! 貴様ァー! 時計の針に自分もろとも刺し固めるかァ!! 貴様はどこまでやるつもりなんだ……」


「お前を殺すまでだ」


「この異常者が! もう良いだろ。無駄だ、無謀だ、考えなしだ。俺は道連れにならない。第二第三の体がある。ここで消滅するのはお前だけだ。そう、そうだ。お前だけが消える! フフ、フハハハ!」


 真祖が思い出したかのように事実を並べ立て、高笑いした。

 そういえばこの体はディンゴ先生のもの。本体が別にいる可能性も無くは無かった。

 なんで気づかなかったんだ。俺はこいつと心中するつもりで策と呼べぬ策を企てたのに。


「嘘だ……、どうする……」


 ここで俺は死ぬのか? 完全に。完璧に。跡形もなく消えるのか。

 いやだ。それは今じゃない。こいつを殺してからだ。それじゃあエルゼもココもノーニャも皆が報われない。

 体がどんどん燃えて灰になりつつある。ダメだダメだダメだ! うわ……。


「それはどうかしら?」


 日差しを遮る影が出来た。恐る恐る太陽の方を見ると、そこには赤い瞳があった。


「エル、ゼ?」


「土壇場までよく頑張ったわね。偉い偉い」


 にっこりと笑った。すごく生きてるって感じだ。なんだろう、血色が良いからか?


「って、エルゼ!? 太陽だぞ……!」


 あれだけ日を怖がっていたエルゼが身を挺して朝日を遮っている。


「ごあいにく。わたしも半吸血鬼になったようね。力が入らないから早く降りてきてくれる?」


 エルゼはチョーカーをトントンと叩いた。

 時間はかかったけど、エルゼは人間に戻れたのだ。ただ、半分だけ。だから俺の体は元に戻らない。


「なぜ半吸血鬼になど……! まさか、あの女かッ!? マッドサイエンティストめ、吸血鬼を半分人間に戻すなど、俺の畑を荒らしやがって」


 真祖が苛立ちながらぶつぶつと喋ったそれはたぶんノーニャのことだ。


「真祖。あんたはここで死ぬのよ」


 エルゼは真祖に指を突きつけた。

 真祖の体はほとんど燃えカスになっていた。

 残っているのは顔の半分と片腕だけ。


「おお、エルゼ!! その美しさを保てやれなくてすまない」


 そうつぶやくと顔の半分が消える。


「やめて。気持ち悪い」


 ふふ、という笑みがこぼれている。たぶんそれは真祖にとったらご褒美なのだろう。あるいは、野菜を育てる楽しみみたいなものだ。

 最後に残った右手の甲に唇が生えた。その手が俺を指さす。


「許さん、許さんぞ貴様だけは!! いずれ別の俺が貴様を殺しに行くだろう!」


 俺はエルゼを一瞥した。

 そういえば、こんなやり取りをした覚えがある。


「来い。何度でも殺してやる」


「四百年前にも同じことを言った奴がいたなァ。やはり貴様もそう言うか、ヴァン・ヘルシングの末裔め! 絶対に、絶対に殺してやるーッ!!」


 怨嗟を断末魔として、真祖は消滅した。

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