エルゼの初任務
「ノーニャ。ごめん、俺、俺……」
約束を守れなかった。そうだよ、ノーニャが一番に俺を心配してくれていたんだ。それなのにエルゼやココのことで何度も当たり散らした。数日前の俺に吐き気がする。
『バン、落ち着いて。ヒッヒッフー』
「いや出産じゃないからな……」
『ハラショー! 少しチョーシを戻したようデース!』
「はは……、さすがノーニャだ」
『もちろん、オネーサンだからデース! お忘れデスカ?』
トボけたマスコットキャラのくせに、とは言わなかった。それに。
「ノーニャから連絡してくるってことは何か分かったのか?」
『その通りデース! 拘束具からの生体反応が無くなりマシタ。状況は?』
白兎は小さな通信デバイスを片手に振っている。一昔前の携帯電話のようだ。
コミカルな相手にシリアスに返す。
「真っ先に言うと、俺は失敗した。吸血鬼になってしまった。ごめん」
『落ち込むの早いデース! 吸血鬼になったとしてもワタシはバンの味方デース!』
ノーニャはそういう奴だ。本当に困った時は欲しい言葉をくれる。
視界の縁で赤い蛇がぶった切られた。
ほぼ回復したエルゼが俺に駆け寄る。
「バン! ごめんなさい、わたしの判断は間違いだった」
真祖が操る蛇たちに牽制しながら背中で話した。
『オヤ、あなたが羽鳥エルゼさんデスネ?』
エルゼの話に返事をしたのはノーニャだった。
スマホの音声は会議中モードだ。エルゼの耳にも間違いなく入っている。
「もしかして、あんたがバンのお姉さん?」
『オー! バン、ワタシ、オネーサンデース!!』
嬉しそうにしていた。そういえば、エルゼには姉がいると話したことがあったな。
少しの沈黙の後、エルゼが俺を一瞥する。すぐに蛇に視線を戻したが。
「あんたのお姉さん、外国の人?」
「血の繋がりはないな。名前はノーニャだ」
俺が答えると同時に蛇たちがエルゼに襲いかかり、攻撃を捌くシュバッという音もする。
「おいエルゼ、大丈夫か? 俺の右手がもうすぐ回復しそうなんだ」
手のひらまで再生し、あとは指が生えるのを待つだけだ。吸血鬼は無限の再生力を持つ。自分の意志でコントロールはできない。疲れもしない。感情抜きにすれば、気分も良い。
「大丈夫。奴はまだ魅了で動けなそうよ。むしろココが心配だけど……」
「エルゼ様、はぁ、はぁ……、私はまだいけますっ……」
息も絶え絶えと言った感じでココが答えた。だが、ココ自身が魅了に力を注ぐあまり、身動き一つ取れなくなっていた。真祖が動けるようになったら真っ先に狙われる。
「なら、バン。少しの間、交代してもらえる? ノーニャさんと話がある」
「え? ああ」
俺はエルゼと入れ替わり、蛇の一撃をさばく。早くは無い。だが、予備動作が無いから集中していないと思わぬところから刺される。蛇をけしかけている間、真祖は全身を吸血鬼化させようとしているのだ。ココの魅了が効いてるうちに叩けるなら叩きたい。だが、あいにく俺たちの回復も完全じゃない。
背中ではエルゼがノーニャと何か話している。
「ごめん」と「吸血鬼にしたわ」の言葉だけ聞き取れた。
えらく直球でシンプルだった。でも事実だ。
ノーニャの息遣いが小さく聞こえた。
『大丈夫デース!』
いろいろと思うものがあったのだろう。だが、ノーニャのひときわ明るい声が頼もしかった。
それにつられてエルゼの声も少し大きくなる。
「バンって何者なの?」
俺の話だ。思わず集中が背中に向く。おっと、危ない。視界の端から蛇が襲ってきた。
『それは……』
くそ、気になる!
だが気にしていると上下左右からくる蛇の応酬に耐えきれない。
ノーニャの声が聞こえた気がしたが、詳しくは分からなかった。
「ふうん。そっか、でもそれはあらゆる吸血鬼の天敵ね」
エルゼの回答はそうだった。
いったい何を聞いたら、そういう言葉になるんだ?
「うぐっ」
危ない。蛇の一撃を食らった。毒でしびれる。でも超回復する。吸血鬼はこんなに便利なのか。痛みも小さいし、怪我もすぐ治る。エルゼが鍛え続けようとした理由も分かる。
そんなエルゼが俺の前に立った。片手には俺が取られたそれ――吸血鬼の部分を押さえ込む銀のチョーカーを持って。
そう言えば、ノーニャは俺に作戦を伝えてくれた。それは賭けだとも言っていた。まさかエルゼが。
「わたしのすべてをあんたに賭けるわ」
エルゼが後ろ手に差し出したスマホを受け取る。
画面の中ではノーニャがサングラスをして司令官風の椅子にすっぽり収まっていた。
『羽鳥エルゼにはミッションを与えマシタ。バンもミッションを遂行するのデース!』
「でも、その作戦は賭けなんじゃないのか!? 一時的に俺の吸血鬼化を戻すために」
俺が言い切る前に蛇がエルゼへ襲いかかる。
だが、爪の一裂きで蛇たちは一斉に首を千切り取られた。
真祖が俺たちを睨みつける。それしかできないんだ。エルゼは完全に回復し、俺の右手も元に戻っていた。
「この、わたしの力が失われる」
「そうだ。でも、今ならやれる! ココが真祖を足止めしてる合間に、俺とエルゼでまた挑めばきっと」
「ダメ。あいつは自分で急所を外せるのよ。一撃じゃ足りない。あんたの能力って連続じゃ使えないんでしょ?」
その通りだった。
銀炎術は吸血鬼にダメージを与える銀の炎を操る技なのに、俺が半分吸血鬼だから自分自身もダメージを負ってしまう。
それに今は完全な吸血鬼になってしまった。銀炎術を使えばどうなることか。いや。
「使えなくても使う。死んでも使う。だから少しでも使えるようにチョーカーを渡してくれ」
「一匹だけなぜか逃げる蛇から奪ったけど、これで吸血鬼の部分を封印できるとはね」
エルゼはチョーカーのロックを外した。
「いいのかよ! 今までの努力も、鍛錬も消えてしまうんだぞ!!」
「でも、それはあんたも一緒でしょ?」
エルゼは俺の手を握った。
手のひらはマメがつぶれ、皮が分厚くなってゴツゴツとしている。
吸血鬼になっても消えていなかったんだ。俺の歩みがこの手に宿っている。
「……良いのか? もし成功したら、俺はエルゼを好きな気持ちを無くしてしまうと思う。最悪、魅了が解けた人みたいに記憶を無くすかもしれない」
思い出してもみろ。ココの魅了に掛かっていた人はみんな、魅了に掛かっていた間のことを覚えていなかった。
俺はエルゼと出会ったその日から、ずっと魅了に掛かっていたんだ。
エルゼは考え事をするようにうつむいた。それから微笑む。たぶん、俺のために。
「だったら忘れること前提で、すごく馬鹿なこと言っても良いかしら?」
「ああ」
「あんたが忘れても良い。またわたしを好きにさせるから」
それが馬鹿なこと?
拍子抜けだった。なぜなら自信に満ちた横顔がいやに格好良かったから。
忘れても忘れてなくても、たぶん俺はまたエルゼを好きになるよ。
「忘れても忘れてなくても、たぶん俺はまたエルゼを好きになるよ」
やばい。思ったことが口に出た。
「……馬鹿」
ふっ、と笑みをこぼしてエルゼはチョーカーを首に嵌めた。




