欲しいのは
「取り引き? そんなものに乗るわけないでしょう?」
当然だ。
エルゼは真祖の提案を突っぱねる。
「いいや、お前は乗る。乗るしかない」
真祖は空いた手でエルゼを指さす。
「ハァ?」
「お前の目的は俺を殺すことだ。違うか?」
「そうよ、当たり前じゃない」
ついさっきまで俺も知らなかったが、エルゼの意思は本物だ。
さした指を真祖は自分自身に向ける。
「じゃあなぜ俺を殺したいんだ?」
それは俺も知らない。
お前もきっと吸血鬼に愛する者を殺されたんだろう。
「なぜって……。な、ぜ……?」
エルゼは目を見開いたまま凍ったように立ち尽くした。
「悲しいよなあ、中身のない人形ってのは」
真祖の言ってる意味が分からなかった。
「嘘……。わたしはどうしてこいつを知ってるの? なぜ殺したいの?」
「思い出せるか? 生まれ育った家、人間だった頃の記憶……」
「やめて……」
その瞬間、エルゼはその場に力なく座り込んで、ぶつぶつと何か呟き始めた。
何か異能の攻撃を受けているのか?
「エルゼに何をした!? ゲホッ」
くそ、これ以上は声が出せない。
真祖は指で銃の形をつくって、自分自身のこめかみに当てた。
「教えてやる。俺の十三番目の能力は記憶操作。そしてこいつは自分で自分の記憶を消したんだ」
十三番目の能力は真祖を長年隠し通したと言われるものだ。それが記憶操作なら、たしかに辻褄が合う。
だが、エルゼがその能力で自分の記憶を消しただと?
「嘘を言うな! どうしてそんなこと」
「俺はこの美しいエルゼ君を最高に熟成させて食うつもりだったんだ。それなのにお前が!」
真祖は俺をにらみつける。
「俺が?」
「お前の一族を皆殺しにしたのに、エルゼ君がきみを助けてしまった。吸血鬼にする方法で」
「……何、だと?」
一族を皆殺しにした?
母さんや兄たちを殺したのか、こいつが?
「二度は言わない。最初は眷属を新たに作ったのだと感心した。それも銀炎術使いの血。一度、食ってみたくなった。だが、お前は保護されて手が出せないし、エルゼ君はお前のことを記憶ごと消しやがった。分かるか、俺の気持ちが」
つまり、こういうことか?
父さんを殺した真祖から俺を救って、さらに俺を守るために自分の記憶ごと消した。
隣で我を失うエルゼを見る。分からない。なんでそんなことしたんだ。
「エルゼ」
でも、一つだけ分かるのは、エルゼはずっと昔から俺を守ってくれていたってことだ。
俺はフロアに膝を擦りながら彼女に近寄って、左腕だけで抱きしめる。
「おいどうした、青春か? やめろ、やめろ! 何度、俺を苛立たせるんだ」
「うるさい」
「そんな目で俺を見て良いのか? なあ、おい、起きろ。エルゼ君、取り引きをしよう」
「エルゼがお前の取り引きに、ゲホッ、乗ると思ってるのか?」
血が喉に絡んだ。俺の中にある吸血鬼の部分が体を直そうと銀の首輪に抗っているから、余計に首が閉まっているんだ。
「乗る。乗るしかない。エルゼ君、そこのバン少年を完全な吸血鬼にしろ。何度も血を与えて、人間の血を消せ。そうすればきみが失った過去すべてを取り戻してやろう」
俺の腕の中で小さくなっていたエルゼがぴくっと反応した。
もうぶつぶつと呟いてない。心の整理が付いたのか。それとも。
「バン」
「ああ」
俺はエルゼを解放する。
「エルゼ君、ほらどうした。そうだ、その首だぞ。血液ドリンクでもヒドラでも始末できなかった首だ」
学園に凶暴化するドリンクを撒いたのはこいつだったんだ。ディンゴ先生として暗躍していたということ。
それにヒドラも奴が手引した。そうだよな、わざわざヒドラが人の少ない学園へ忍び込む理由が無い。
「わたし、決めたわ」
「うぐ」
エルゼは俺の胸ぐらを掴んだ。
赤い瞳がきれいだ。こんな時に何でそんなこと。いや、こんな時だからこそだ。
エルゼが望んで俺を吸血鬼にするなら俺は受け入れたっていい。俺もきっと赤い瞳になれるから。
「取り引きは失敗ね。だって、わたしが欲しいのは過去じゃない。未来よ」
ドン
エルゼは俺を突き飛ばした。
毒で力が入らない俺はそのまま後ろに倒れ込む。離れていくエルゼを見ながら、この選択はエルゼらしいと思った。そしてこういう選択をすることは真祖も分かっていたんじゃ……!
「そうだ、エルゼ君! 昔からきみはそういう奴だったよ!! 噛み千切れ、蛇牙!」
真祖の体から流れた血が床を這う。それもすぐ俺の後ろまで血が流れていた。学校が傾いているからではない。取り引きなんて持ちかけて時間を作って、この瞬間を待っていたんだ。まずい。今の俺じゃ躱すこともできない。
床から赤い蛇が飛び出て、俺の首に食らいつく。
「動け、動け! くそぉぉぉぉ!!」
バキッ
痛くはない。いや、むしろ痛みが引いている。床に仰向けになった俺は鎌首をもたげる蛇の口に咥えられたチョーカーを目にして、痛みが引いた理由が分かった。もぞもぞとかゆみがあり、エルゼが叩き折った右腕は再生を始めている。間違いない、これは。
「ハハハハ! やったぞ、お前を吸血鬼にしてやった!! これで一族もろとも根絶やしだ」
嘘だ……。俺は人間になりたかったんだ。いやだ、吸血鬼になんかなりたくない!
不死の体になることで人は心を失う。日光に当たって灰になるしかない。もっと生きていたかった。エルゼやココとやっと仲良くなってきたのに。学園生活だって送りたかったのに。
「ああ……、ああ!!」
悔しい。なんでだよ! 俺はなんて無力なんだ……。
絶望の淵に立たされるとはこういうことを言う。終わりだ。何をやっても無意味で、今までのすべてが無駄になったんだ。最悪だ。でも、何だろう。尻のあたりで何か振動を感じた。月で星が見えない夜空を眺めながら、スマホを取り出す。
『プリヴェット!』
画面には白兎がニコニコ笑顔で手を振っていた。
……ノーニャ?




