お前が俺を
夜の女子寮へ行くと、入り口でココと会った。
パーカーにジーンズという部屋着スタイルでほっとする。あの目のやり場に困る薄い服はネグリジェというそうだが、サキュバスだと知った上で見るのは非常に危ない。もちろんさっきのナース服でも困るけど。
「バンくん、どうしたんですか? まだ傷も癒えてないのに」
顔の腫れはだいぶ引いてきた方だが、傷に絆創膏を貼ってそのままだ。
「エルゼを知らないか!?」
ココはエントランスから一歩奥に戻る。声が少し遠くなった。
「エルゼ様ですか? 帰寮の札を見る限りは……、まだですね」
最後の「まだですね」の前に俺の前に戻ってきた。
寮に居る間は札を表に、居ない時は裏にしておくルールは女子寮も一緒らしい。
「そうか。何か心当たりはないか?」
「ならきっとあそこですよ」
そう言ってココは学園の屋上を指さした。
ぼんやりと明かりが灯っている。
「屋上? あいつが屋上だなんて……」
「特訓だそうですよ。月明かりを克服するための」
「へえ、すごいな。あれ、屋上の鍵って俺が預かったままじゃないか?」
「たしかにそうですね。どうやって屋上に行ったのでしょう?」
きょとんと首を傾げる。
「まあ大方、予想は付くがな……」
俺たちは学園の屋上へ移動する。
◆
階段の一番上でココが小さな悲鳴を上げた。
「わわっ、鍵が壊されてます!」
「ドアノブを引っ剥がしたか……。他にやり方あるだろうよ」
まあ、エルゼはそういう奴だ。
この学園で霧が出ない場所は島の端か屋上くらいだしな。
島の端は遠いし、湖があるからいざという時は危ないから屋上で特訓は妥当だろう。
キィ……
ドアを開けて屋上フロアへ出ると、すぐ真上に十六夜の月が出ていた。
暗がりに目が慣れてきた時、突風が走り抜ける。
「キャッ!?」
ココがびくっと体を縮こませた。
その声に反応してか、風がキュッと気持ち良い音を立てて止まる。
「あら、ココじゃない。何か用かしら?」
「エルゼ様! バンくんが探してたので連れてきました。……それより! なんて可愛らしいお姿なんですか!?」
短パンからスラリとした脚が伸び、平たい胸にデカデカと『羽鳥』と書かれた体操服は正直……、うん、これ以上考えるのはやめておこう。だってエルゼの視線が俺を射抜いてるからね。
そこへまた風が突っ込んでくる。
「隙ありだァ! 僕の一撃……う゛っ」
エルゼが片手を横に突き出したと思ったら、そこに頭を引っ掴まれた人物が居た。
あれ、もしかしてこいつは……!
「ドラク!?」
ドサッ
エルゼが手を離し、屋上のフロアに尻もちを付いたこの少年は、紛れもなくドラクだ。
ココからペンダントを奪った時とヒドラに寄生された時とで二度も戦っている。
「痛いじゃないか! 約束しただろう、もう首から上を狙うなと!」
そう言えば、エルゼはドラクの首を蹴り飛ばしていた。俺とエルゼが初めて会った時のことだ。
「チッ」
「ああ! 今きみ舌打ちしただろう、この高貴な僕に! 言っておくが、仕方なくきみの鍛錬に付き合っているけどね、月明かりの克服など一人でやればいいじゃないか!!」
「戦いの中で克服しなきゃ意味ないのよ。それに忘れた? あんたをヒドラから助けたのわたしなんだけど。また湖に沈んでみる?」
「うう、くそっくそっ!!」
ドラクは悔しそうに床を叩いた。
弱みを握られてないかノーニャに心配されて、あいつはそんなことしないよ、と返した数分前の自分を信じられなくなる。
まあ、ココを虐げたドラクに同情はしないがな。
「ざまーみろ。……ん?」
そのドラクにココが駆け寄った。
おお、言ってやれ言ってやれ、ざまあみろって!
「大丈夫ですか、ドラクさん!」
だが、ココから出たのはドラクへの気遣いだった。
なんでそんな奴のこと気遣うんだ。
「おい待てよ、ココ。そいつはお前をバカにしてペンダントを奪った奴だぞ! ヒドラに寄生されてたとはいえ、ココに怪我を負わせてペンダントも壊した張本人だ」
「ですね。でも終わったことです」
「その通りだけどさ……」
恨んでもおかしくない。少なくとも嫌うだろ、普通。
フロアに腰を落としたままのドラクに、ココは目線を合わせてしゃがみ込む。
「ドラクさんも、もう懲りたでしょう? だからエルゼ様の鍛錬に付き合ってる。違いますか?」
そう訊かれたドラクは目が泳ぎ、俺たちをぐるりと見回して観念したように肩をすくめた。
「はぁ、そうさ、きみの言う通りだ。しかしな、月明かりの克服の鍛錬に僕は不要ではないか?」
ココは人差し指を顎に当てて、俺を見た。
なんで俺?
「それはですね~、エルゼ様がバンくんを」
「ちょっとココ!」
そこへエルゼが割って入った。ココを立ち上がらせて、屈み姿勢のココに耳打ちする。
ややあって離れ、ココは手のひらで合掌屋根を作ってドラクに小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、なんでもないです」
思わず俺はエルゼとココに向き合えるように、ドラクの前に割り込んだ。
「いやいや待て待て。エルゼが俺をどうしたっていうんだ?」
ココは困り顔で合掌造りの手を前に出した。
片やエルゼは俺と目が合うと、不敵に腕を組む。
「わたしはここで鍛錬中なの。私に用ならさっさと済ませて帰りなさい」
そうだ。俺はエルゼをディンゴから守るために来た。
でも、今のエルゼを見ていたら、嫌でも頭の中に浮かんできてしまう。
お前が俺を噛んだのか?
「お前が俺を噛んだのか?」
……あれ?
気づいた時には遅かった。
いつもの悪いクセが最低最悪のタイミングで発動してしまったのだ。




